阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年08月06日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年09月06日 | 東日本大震災ブログ
2012年08月06日(月)
 
広島で原発避難者と被爆者が共同で署名活動
 
放射能被害二度と 原発避難者と被爆者署名活動 広島 
2012/08/05 11:45 神戸新聞


原爆ドーム前で活動する三登浩成さん(左)と衣山弘人さん=広島市中区

 福島原発事故の避難者と広島の被爆者の男性が連日のように、そろって原爆ドームの前に立っている。

福島県南相馬市から広島市に避難している衣山(きぬやま)弘人さん(54)は、原発の是非を問う国民投票の署名を集める。胎内被爆者の三登(みと)浩成さん(66)=広島県=は、被爆者健康手帳を手に観光客のボランティアガイドを続ける。

立場も取り組みも違う2人だが、「放射能の被害を二度と出してはいけない」と口をそろえる。(土井秀人)


 衣山さんは福島第1原発から18キロ離れた場所で妻と小学生の子ども2人と住んでいた。東日本大震災発生の翌日、家族で南相馬を離れ、山形など5カ所を転々とした。広島にやってきたのは「子どもが差別を受け、被爆地だからこそ放射能への理解があると思ったから」と言う。

 署名活動のきっかけは昨年の平和記念式典への参加だった。今も苦しむ被爆者の姿を知り、「私たちも放射能に故郷を奪われた。苦しみを繰り返さないため、できることをしたい」と思った。

 とはいえ、初めての経験で戸惑うことばかり。そんな衣山さんに「もっと自分をさらけ出さないと人に通じない」と声をかけたのが、三登さんだった。

 元高校英語教諭の三登さんは母が妊娠4カ月の時、胎内で被爆した。被爆者の高齢化が進む中、「自分たちの世代が語り継がなければ」と、2006年8月からガイドを始めた。6年間で16万人以上を案内した。

 三登さんは福島の事故後、「ヒロシマに向けられる目が変わった」という。被爆を遠い昔の出来事ではなく、身近な問題として考える人が増えた。外国人観光客から「多くの被爆者を出した日本が、なぜこれほど原発を造ることを許したのか」と問われたこともある。「地道に核廃絶を訴え続けたい」と三登さん。

 衣山さんの署名は7月末で1万5千筆を超えた。「原発の是非を決めるのは政治家ではなく、国民だ。一人一人に考えてほしい」。衣山さんは訴える。
 
 
福島のメル友へ 長崎の被爆者より
 
福島のメル友へ 長崎の被爆者より 投稿者 tvpickup
NHK ETV特集 2012.8.5。
メールの交換で、親交を深める82歳の男性と17歳の少女がいます。長崎で被爆した廣瀬方人さんと、福島の高校3年佐藤木綿子さん。
木綿子さんは、何気ないつぶやきの中で放射能汚染の不安を打ち明けます。あの日から変わった日常、そして先の見えない将来。
一方、廣瀬さん。15歳で被爆し、50年以上原爆の恐ろしさを訴えてきました。木綿子さんの不安をやわらげようとメッセージを送る日々。しかし、ナガサキと同じ苦しみを背負うかもしれないフクシマの子供たちに心を痛めています。 世代を越え、遠く離れながらも、心通わす二人。互いが生きる“ヒバクの今”を描きます。 朗読:柳生博(俳優)・川口春奈(女優
 
 
シリーズ原発事故(8) 4号機 取り出せるか 使用済み燃料
 
東京電力・福島第一原発の廃炉作業で、最初の山場となるのが「4号機の使用済み燃料取り出し」です。4号機は、水素爆発で建屋が大きく損傷、使用済み燃料を冷やしていた燃料プールがむき出しになっています。4号機のプールは激しく壊れた建屋の上にあり、余震で壊れるのではないかと懸念する声が地元から上がっています。さらに、6月にはプールに水を送るポンプが故障して水温が急上昇する緊張の場面が続いています。建屋に負荷をかけず、高い放射線を出す使用済み燃料をどう取り出すのか? 来年12月の本番に向けて困難な作業に挑む技術開発の現場に迫ります。
 
原発内工事は最初から末端作業員の放射能被ばく前提
 
朝日新聞デジタル社会記事2012年8月6日7時1分.

曝隠し「以前から」証言続々 車内に放置や預かり役も   関連トピックス原子力発電所 東京電力.

被曝隠しの主な手口

 東京電力福島第一原発で働く30代男性は今年5月、原発構内の免震重要棟の駐車場に止めたワゴン車の後部座席に約20組の「3点セット」を見つけた。その日の被曝(ひばく)線量を表示する線量計「APD」、長期間の累積線量を測るバッジ型線量計、そして作業員の身分証がひとくくりに束ねられていた。3時間後にのぞいてもそのままだった。被曝線量の限度を超えたら原発で働けなくなるため、線量計を残して現場へ向かったと確信した。その後も同じ光景を5回ほど見たという。

【特別報道部から】原発で働いた経験のある方から労働の実態について情報を求めます
 40代男性は3~4月、同じ駐車場で特定の車の中に10組以上置かれているのを10回ほど見た。別の車内で見かけたこともある。

 東電は被曝隠しについて「把握したことはない」としてきたが、今月3日に下請け作業員がAPDをつけないで働いたと発表。過去に同様の事例があったと記者会見で認め、調査に乗り出す方針を明らかにした。

 鉛カバーによる被曝隠しを報道した後、原発で働いた人の体験談が相次いで寄せられ、10人以上が取材に応じた。その証言から、昨年の原発事故の前から各地で被曝隠しが横行していた実態が見えてきた。(青木美希)

☆自分達と同じ日本国民ながら、下請け会社の現場作業者の健康と生命を引き換えに「電力を安定供給する」と言ってきた電力会社の社員と経営者たち。

人間の基本的な倫理・道徳というものを失った集団が、今また力をためて盛り返す勢いだ。
 
 
このままでは『国破れて山河あり』ではなく、日本という国は間違いなく『国破れて電力会社あり』になる。
 
原発報告書を中ぶらりのままにしたい勢力が勝っている
 
原発報告書 質疑の見通し立たず
8月5日 4時50分 NHKニュース

国会の原発事故調査委員会がまとめた報告書を巡って、野党の一部からは質疑を行うよう求める意見が出ていますが、各党の間で具体的な調整は進んでおらず、国会に提出されて1か月となる今も質疑などが行われる見通しはたっていません。

国会の原発事故調査委員会は、先月5日、東京電力福島第一原子力発電所の事故について、歴代の規制当局と東京電力の経営陣の安全への取り組みを批判したうえで、「自然災害」ではなく明らかに「人災」であるなどとした報告書をまとめ、衆参両院の議長に提出しました。

これについて、国民の生活が第一やみんなの党などからは、委員長を務めた黒川清元日本学術会議会長を参考人として国会に招致して、質疑を行うべきだという意見が出ています。

また、先月31日に開かれた衆参両院の議長や副議長らと、調査委員会の委員を務めた有識者らとの会合では、報告書の提言を踏まえて速やかに国会に原子力の問題に関する常設の委員会を設置する必要があるなどという指摘が出されました。

しかし、これまでの原子力政策や原発の再稼働などを巡って、各党の間で意見が分かれていることもあって、具体的な調整は進んでおらず、報告書が国会に提出されて1か月となる今も質疑が行われる見通しはたっていません。

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