遅ればせながら、毎年初詣に行く地元の氏神さんの弓弦羽(ゆずるは)神社に行きました。
青い空にきれいな雲が出ていました。
関東から引っ越して昭和63年の正月から毎年お参りしています。
青空のもと、風は冷たくて参拝客はちらほらでした。
この神社は『灘五郷』のうちの『御影郷』の全ての造り酒屋が氏子ですから、奉納の菰樽が沢山並んでいます。
狛犬と今年の絵馬です。
震災の復興修理の寄進者の名前が出ていました。
神社の隣は、今は香雪美術館になっている朝日新聞社主の元村山邸です。
上に村山とあるのは一族の方でしょう。
青い空にきれいな雲が出ていました。
関東から引っ越して昭和63年の正月から毎年お参りしています。
青空のもと、風は冷たくて参拝客はちらほらでした。
この神社は『灘五郷』のうちの『御影郷』の全ての造り酒屋が氏子ですから、奉納の菰樽が沢山並んでいます。
狛犬と今年の絵馬です。
震災の復興修理の寄進者の名前が出ていました。
神社の隣は、今は香雪美術館になっている朝日新聞社主の元村山邸です。
上に村山とあるのは一族の方でしょう。
当地の氏神さんと較べるとションボリしますが、やはり元々格式が高く、かつ周囲にお金持ちが多いのでしょうね。
500萬とか300萬のご寄進など凄いですわ。当地は、その500~1000分の1でも貼り出してくれますもん。
お酒で儲けてはるんでしょうか?
そして土地の神事や伝統文化をパトロンとして支えてきました。敗戦後のいわゆる“嫉妬の税制”や社会体制の変化で個人の旦那が存在し難くなりました。しかし当地は旦那衆が法人として姿を変えて、まだ残っている方でしょう。
格式はさりながら、氏子さんたちに大中小手酒造メーカーもこれあり、大正時代からの大林組家、武田薬品家、乾汽船家などの一族のお屋敷が近辺にありますから、良きサポーターにも恵まれていたのかも知れません。
しかし現在の禰宜さんは友の会などを組織して、日常的に神道伝道の草の根活動をしておられるようです。