阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年03月14日(水)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年04月14日 | 東日本大震災ブログ
2012年03月14日(水)
 
手も足も出なかった無能専門家、彼らに原子力行政を任せている我々日本国の庶民
 
【福島原発事故 その時私は】[3・11~]内閣審議官 下村 健一さん(51)
2012年3月11日 東京新聞

「菅さんに冷却水必要」とメモ 頭抱える班目さん。 固まった専門家たち

 全電源喪失と聞いた時に、菅さん(菅直人首相=当時)は官邸の誰よりも早く反応しました。よく分かってたんですね。「これは大変なことだよ」と。以後、この言葉を何度聞いたか。独り言のように言い続けていた。

 当時のノートに「なぜ非常用ディーゼルエンジン(発電機)まで止まるんだ」って書いてある。これ、菅さんの発言です。「菅さんに冷却水が必要」。かなりテンションが上がってましたが、あの段階では仕方ないと思います。何も分からなかったから。

 とにかく早く電源車をかき集めないといけない。首相執務室にホワイトボードを持ち込んで、秘書官たちが手分けして電話して「インター通過」とか、どんどん書き込んだ。菅さんも携帯電話でどこかに電話して「必要な発電機の重さと大きさはどれぐらいなんだ」と。何で総理にそんなこと聞かせてるんだ…と思った。でも、専門家の人たちに「これってどうなってるの」と聞いても、「はい」って返事はするけど、固まって動かない。

 仕方ないから僕が近くに行って「あなたの持ってる携帯電話を左手に持って、右手でボタンを押して相手の人にかけてください」と言うと、動きだした。これ、本当の話。こういうのが頭が真っ白って言うんだと思った。

 組織としての備えがないから、電源車の用意さえ官邸が判断を重ねていったんです。

 二十一時十四分の電話で、東北電力からの電源車の一台目が着いたと。庶務の女の人が「よかった!」って歓声を上げた。ホッとしました。これで何とかなると思ったんだけど…。

 出入りの激しい執務室で、一瞬だけ菅さんと二人きりになった時に「(震災)現場に行くなっていう人が多いんだけど、どう思う」って聞かれた。僕は原発に降りることと気づかず、津波被害の状況把握を頭に置いて「ヘリで上空から見るんだったら、僕は(テレビキャスターだった時に)阪神大震災の初日からヘリでリポートしてたから、横で着目点の助言はできます」と言った。菅さんは「そうか」と。

 1号機の爆発は、テレビをつけたらあの映像です。「爆発しないって言ったじゃないですか!」って、菅さんが班目さん(班目春樹・原子力安全委員長)に言ったら、これは映画かって思うくらい頭を抱えて。人生で一番ショックなシーンでした。この人が日本の最高権威なのかと。

 専門家は何を聞いても、ふにゃふにゃしか言わない。菅さんから目をそらす。そんな中で唯一、明言していたのが「爆発は起きません」だったんです。

 十五日に東電へ乗り込む時は、仮眠中で午前四時台にたたき起こされた。「東電が撤退するって言っているから、今から菅さんと一緒に行って」と。僕は後続の車。着いて二階に上がったら、秘書官が真っ青な顔をして「菅さんが今すごいこと言った」と、あの「撤退した時には、東電は百パーセントつぶれます」という演説のことを知らされました。

 東電で案内された小部屋にはモニター画面があって、六分割されている。本店の非常災害対策室と福島第一原発の対策本部などみんな映ってる。官邸では様子が分からなかったのに「何だ、こんなのがあるの」って。菅さんは「いいね。じゃあ細野君(細野豪志首相補佐官=当時)ずっとここにいて」って言った。

 菅さんのけんまくでまわりが言いたいことを言えなかったとすれば、本人にも問題がある。ただ、誰が首相でも、あれだけ情報が少なく矢継ぎ早に物事が起きる渦中では、語気が強まるのは当然と思う。

 原子力を扱う人間にストレステストを課さなきゃだめです。スペースシャトルの乗組員は、想定外の状況で抜き打ちのトレーニングを受ける。今度何かが起きたとき、今の原子力技術のトップたちはまた何もできないだろう。一年たって強調しておきたいのは、「人間」の問題は何も解決していないということです。

混乱原因は「菅」より「官」 民間事故調報告書が伝えたこと
2012年3月11日  東京新聞

 福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)が先月末、公表した調査・検証報告書。事故直後、混乱した政府対応の問題点として、菅直人前首相の「性格」を挙げた。

 この点を根拠に、にわかに「菅叩(たた)き」が再燃した。だが、冷静に報告書を読むと、最大の問題はそこにはない。

問われたのは、情報を官邸に上げなかった経済産業省原子力安全・保安院幹部をはじめとする官僚たちの対応だった。 (小栗康之)

下村健一さんのより詳細なインタビュー記事があります。
危機に直面した日本の政治家、官僚、原子力専門家がそのとき取った
態度、行動などが細部にわたって語られていて必読です。
こちら

一部引用・・

――ヘリコプターから見た被災地はどういう光景だったのでしょうか?

 まだ、震災翌日の朝ですから、津波の水がほとんど引いていなかった。例えば、海の中に巨大な波板が浮いているなと思って見ていたら、それが仙台空港の屋根だったりとか。つまり実際には”浮いている”わけじゃなくて、周囲の滑走路などが完全に水没していて、その時まだ仙台空港の建物は、”海の中”のように見えたんですよ。

 また、浅い海面を目を凝らして見てみると、住宅の土台のコンクリート部分だけが水中にズラッと並んでいたりもしました。そういう光景が、途方もなく長く、飛んでも飛んでも延々と続きました。この点が、阪神大震災の時との決定的な違いです。想像を絶する世界でした。

 菅さんがずっと官邸にいて、切り取られたテレビ映像を見ているだけだったら、あのスケール感は分からなかった。報告を聞いて地図を見て頭で捉えるのと、肉眼で「災害の大きさ」と「その中にいる人間の小ささ」を同時に目撃するのとでは、絶望感に揺さぶられる度合いが全く異なります。

 前者のような観念的な認識の仕方では、自衛隊10万人出動という常識破りの決断には、あんなに速やかには踏み切れなかったのでは、とも思います。阪神大震災の時ほど遅れはしなくとも、”常識的”な小幅な増員を繰り返し、その間に、孤立した人々が飢えと厳寒の中でもっと生命を落としていたかも知れません。

 現地を空から見たからこそ得られた、「自衛隊を出せる限り出さなければ太刀打ちできない」という強烈な実感。国防という本来業務との間でギリギリの調整を重ねて、この日の内に「2万人→5万人→10万人」と急速に増員を決断できた結果、実に1万9千人の命を助けることが出来ました。本当に、現地を見に行って良かった。

中略

あと、お尋ねの”周りのフォロー”ですけど、実際あの時、周りは一生懸命、なんとかフォローしようとはしてました。つまり、その萎縮してしまっている東電やら原子力保安院やら安全委員会の人たちに対して、もっと優しい言い方で、同じことを質問し直したりとか。僕もしましたよ。でも、やっぱり反応が同じなんです。

――同じとはどういうことでしょうか?

 とにかく、思考が固まってしまってて、反応が異様に鈍いんですよ。その時に僕は「この人たちは、試験範囲内の出題なら100点とれるけれど、試験範囲以外の質問が出たら、いきなり0点になっちゃうんだな」と感じ、それこそゾッとしました。この構造を、何とかしなくちゃなりません。

――それはまさに、事故当初に言われていた「想定外だったから」ということなのでしょうか?

 「原発安全神話」っていうのは、周辺住民の反対を抑えるための方便として使っていたんじゃなくて、この人たち自身が信じ切っていたんだということが、あの時の機能停止ぶりで本当によく分かりました
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地方や地元は自立し自律する。東京に我が運命を決めさせない
 
愛媛県商議所が伊方原発の再稼働拒否
 毎日新聞 2012年3月13日 東京朝刊

 愛媛県商工会議所連合会(会頭、白石省三三浦工業会長)は12日、四国電力伊方原発(加圧水型3基、同県伊方町)の再稼働に反対する見解を発表した。運転開始から約30年を経た1号機(56.6万キロワット、77年運転開始)、2号機(同、82年)は再稼働させずに廃炉とし、94年運転開始の3号機(89万キロワット)は、電力の安定供給のために10年程度稼働した後、廃炉を要求している。

上部団体の日本商工会議所は、安全を確保した上での再稼働を求めており、「地方組織の再稼働拒否の声は聞いたことがない」としている。
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天皇陛下のおことばのこの部分を大手メディアは取り上げなかった
 
「さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。

再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。」

現地に何度も足を運び、現場、現実、現物に触れた人でなければ言えないお言葉だと思う

しかし原子力ムラの幹部や官僚連中からすると嬉しくない表現だ。
経済産業省、文科省の幹部官僚たちから宮内庁の幹部にクレームが出ているのでは?

しかし宮内庁の官僚も、彼ら自身が官僚ムラの末端メンバーと言えども、天皇陛下が自らしたためられた原文に手を加えることまでは出来ない。

せいぜい大手新聞・テレビに報道規制をかけてこの部分を取り上げないように指令を出したのだろう。

おことばの全文
 
3月11日天皇陛下のお言葉

「「東日本大震災から1周年、ここに一同と共に、震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。1年前の今日、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員を始め、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。

さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、
そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。
再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。

この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが被災地に足を踏み入れ、被災者のために様々な支援活動を行ってきました。このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います。

また、諸外国の救助隊を始め、多くの人々が被災者のため様々に心を尽くしてくれました。外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況の中で互いに絆(きずな)を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象付けられたと記されているものがあります。世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。

国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします」
 
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BBCドキュメンタリー「津波の子供たち」"Japan's children of Tsunami"
 
著作権者の意向で削除されました。一部のクリップがこちらにあります。 文字起こしされた内容がこちらにあります。
 
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原発の廃棄ゴミは安全になるまで10万年かかる
 
 行くも地獄、戻るも地獄 ~倉澤治雄が見た原発ゴミ~ 日テレ系 3・11大震災 シリーズ30  行くも地獄、戻るも地獄 ~倉澤治雄が見た原発ゴミ~「原発から出る〝核のゴミ〟をどうやって処分するのか?」福島第1原発事故が浮き彫りにした課題のひとつだ。番組では、原子力に詳しい倉澤治雄日本テレビ解説主幹が米スリーマイル原発の高レベル廃棄物の行方など「核のゴミ」を追っていく。さらに、当初は地層の「研究施設」を作るだけのはずが、いつの間にか「最終処分場」が近くに来ることになったフランスの実例。これと同様に、研究施設という名目で誘致が行われた北海道幌延町の現状。そして取材斑は、モンゴルにも飛んだ…。見えてくるのは、これまで細かい点を先送りして、巨額の費用を投入してきた核燃料サイクルの危うい現状と、「産業のない僻地」にカネを使って、処分施設を持っていこうという処分地選定をめぐる相似形だった。
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原発運転再開に賛成27%
原発再開「反対」が57% 朝日新聞世論調査 原発の運転再開に…
朝日新聞
 朝日新聞社が10、11日に実施した全国定例世論調査(電話)によると、定期検査で停止中の原発の運転を再開することに57%が反対し、賛成の27%を大きく上回った。原発に対する政府の安全対策については「信頼していない」という人が80%に上った。

 原発の再開賛否は、男女の違いが目立つ。男性は賛成41%、反対47%とそれほど賛否の差がないのに対し、女性は賛成15%、反対67%で差が大きい。

 現在稼働中の原発は、全国で2基。原発の停止による経済への影響を「心配している」人は、「大いに」と「ある程度」を合わせて75%に達したが、こうした人たちでも運転再開に賛成は31%にとどまり、反対54%の方が上回った。
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原子力ムラから圧力がかかったことを公言した古舘キャスター
 
番組を切られても本望」震災特番生放送で古舘伊知郎が“原子力ムラ”に言及し波紋広がる

一部引用・・

大震災から1年となる3月11日、テレビ各局は軒並み震災特番を放送したが、その中で、テレビ朝日系『報道STATION スペシャル』での司会・古館伊知郎の発言が波紋を広げている。

 話題になっているのは、番組の終了間際のエンディングトークの場面。震災で不通となった三陸鉄道南リアス線三陸駅のホームに立った古舘は、「この番組に関して後悔することがあります」と神妙な面持ちで語りだした。古舘はまず、“牛の墓場”となった牧場について撮影・放送しなかったことを「一つ目」の後悔として語り、その後に、「二つ目の後悔は原発に関してです」として、以下のように語った。

「『報道STATION』ではスペシャル番組として、去年の12月28日の夜、原発の検証の番組をお送りしました。津波で原発が壊れたのではなく、それ以前の地震によって一部、(福島)第1原発のどこかが損壊していたのではないかという、その追求をしました。今回、このスペシャル番組で、その追求をすることはできませんでした。“原子力ムラ”というムラが存在します。

 都会はこことは違って目映いばかりの光にあふれています。そして、もう一つ考えることは、地域で、主な産業では、なかなか暮らすのが難しいというときに、その地域を分断してまでも、積極的に原発を誘致した、そういう部分があったとも考えています。
 
その根本を、徹底的に議論しなくてはいけないのではないでしょうか。私はそれを、強く感じます。そうしないと、今、生活の場を根こそぎ奪われてしまった福島の方々に申し訳が立ちません。私は日々の『報道STATION』の中でそれを追求していきます。もし圧力がかかって、番組を切られても、私は、それはそれで本望です。また明日の夜、9時54分にみなさまにお会いしたいです。おやすみなさい」

 テレビ朝日の看板キャスターが生放送中に、原子力業界からの圧力で番組内容に変更があったことについて明確に認めるという異例の事態に、放送直後からネット上は紛糾。「古舘、よく言った」という賞賛だけでなく「今さらか」といった批判もあふれ、一夜明けた12日朝になっても活発な議論が続いている。

全文はこちら
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20120310 放射能汚染からの農業再生~福島・南相馬市
 
NHK Eテレ「復興レポート 地域ミーティング 放射能汚染からの農業再生」全国の知恵者を被災地に招き、復興の課題について住民と議論する「地域ミーティング」。安全・安心の農作物の栽培は可能か、多くの農家が不安を抱えている福島県。番組では、チェルノブイリ原発事故で汚染された農村を支援してきた分子生物学者・河田昌東さんを南相馬市に招き、「放射能とどう向き合うか」「どうすれば農作物の放射能汚染を少なくできるのか」という知恵を学び、消費者との信頼関係を再構築していく道を模索する。※河田氏はチェルノブイリ救援中部の代表で、長年にわたりチェルノブイリ救援活動を行ってきた。菜の花プロジェクトでは汚染された土地の放射能を菜の花に吸い取らせて土地の汚染度を下げる試みも行ってきた。 http://www.chernobyl-chubu-jp.org/
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