阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年04月14日(木)のブログ]

2023年05月19日 | 東日本大震災ブログ
ません
 
「気仙沼仮設診療所体験記」から引用。
2011年4月13日発行 JMM [Japan Mail Media] No.631 Extra-Edition3

3月24日(木)の昼の上司との会話。

 私「先生、僕も気仙沼行きたいんですけど。」
上司「ああ、行ってきなよ。1000年に一度なんだから。こっちは任せて。」

 いつも粋な返答をしてくれるナイス上司のおかげで、私は同僚清水と同日23時40分にバスに乗りこむことができた。東京駅発、仙台行きの夜行バスだ。

 都立墨東病院はDMATへスタッフを送り込んでいるが、なぜかシニアレジデントはDMATに参加できない。他の都立病院のシニアレジデントはDMATとして現地に行っているのにもかかわらず。

 血の気の多い(?)墨東レジデントはこの未曾有の事態に参加できないことにやきもきしている。「東北では今や絶対的な人手不足なはずなのに、なんで私たちは現地に行けないのだ」と。

 同僚の清水もなんとかして現地で役に立つことができないか模索していた。そこで元墨東病院の看護師が気仙沼で医療チームを立ち上げていることを聞きつけたのだ。
彼はその医療チームに参加する計画を立て、人づてに連絡先を聞いてその看護師さんに連絡をとった。私もその計画に乗っかることにした。

 医療チームを立ち上げたのは、気仙沼出身の菅原千賀子さん。地元を救いたい一心から、独自の医療チームを作ってしまった。すごい行動力だ。医師と看護師から構成される4~6人の小さなチーム。菅原さんは現地で指揮をとり、そこに2~3人の医師と看護師が数日ごとに入れ替わるというシステムだ。私たちは3月25日に現地入りして、26日から28日まで診療業務に携わった。

 私たちは気仙沼市役所の避難所に併設された仮設診療所で診療を行った。避難所には100人程度の被災者がいて、高齢者が多い。

 私は外来診療、清水は避難所の回診を担当した。外来に来る患者さんは風邪か、高血圧などの慢性疾患をかかえる方ばかりで、感冒薬か常用薬の継続処方が多かった。
避難所でインフルエンザ感染が広がることを恐れ、発熱患者は特に注意深く診療した。インフルエンザ感染と診断した場合には、感染者だけでなく濃厚接触者にも抗インフルエンザ薬を処方した。外来では1日30人程度の診察をしたが、重症患者はおらず、意外にも(よくよく考えれば当たり前だが)外傷患者は一人のみだった。被災から2週間も経過すると外傷患者は少なくなっていたようだ。

 私たちは市役所の職員(60人程度)の健康診断も行った。職員は膨大な業務に追われて疲弊しきっていたのだが、みんな我慢強く黙っている。こちらから話しかけないと何を抱えているのか全く分からず、健診をやって初めて発熱者と抑うつ状態の職員を発見した。

また、市役所職員は避難所への供給物資を分配するのだが、避難所で何が不足し、何が充足しているのかを把握するなど、とても無理だ。そんな余裕はない。被災者の食事を優先させるため、いつも自分たちはカップ麺(カップ麺やごはんは余っている)ばかり食べていた。彼ら自身も被災者であり、彼らの健康状態が気仙沼の復興を左右してしまうにもかかわらずだ。

 私と清水は被災した方々と一緒に避難所生活をした。ボランティアが最低限守るべきこととして「現地の食糧に手をつけてはいけない。安全な寝場所は避難者のものだ」というフレーズを聞いたことがあったから、私たちは寝袋と食糧を持ち込んだ。自分のためにカロリーメイトと水、タンパク不足の被災者のために高蛋白質の食糧を大量に買いこんで行った。

 しかし、「現地の食糧には手をつけない」という私たちの信念は初日の夜から崩された。私たちが避難所に着くやいなや、おばちゃんたちが食事を用意し、挨拶をかわしている数分間で私たちの食卓が用意されてしまった。私が「僕らは食べに来たんじゃありません。十分食べ物は持ってきました」と主張するも虚しく、避難所のおじちゃん、おばちゃん達の前では全く無力だった。

 さらに食事をしている間に暖かい寝床が用意されていた。癒しに来たつもりが、いきなりこちらが癒されてしまった。私たちの部屋では私と清水が最年少であり、気づくとおばちゃんたちのアイドルになっていた。

 「こんなに太ったまま痩せないの。私たちこれでも避難民。はっはっは」とゲラゲラ笑うおばちゃん。おばちゃん達は明るい。たくましい。しかし、私たちを気遣い、明るく振舞っている彼女たちの家は流され、親族は行方不明で、仕事で使う船も流されている。今後、仮設住宅に移り住めたとして、漁業という中心的な産業がまるごと破壊された状態でどうやって生計をたてていったらよいのだろう。誰が助けてくれるのか。

 実は、彼女たちは毎晩睡眠薬を使用しており、夜はあまり眠れていないようだ。ある早朝に震度5弱の余震が来ると、私と清水は布団の中でのんきにごろごろしていたのだが、避難所の人々は速く揺れを察知して、驚くほど速く逃げるために身構えた。
未来は不安だらけで現状はこんなだ。安心なんてないし熟睡もありえない。
 
 仮設診療所で診療中。患者さんが持参した薬の薬効を私が分からずに診療がもたついたことがあった。私が、「すみません。時間がかかってしまって。」と謝ると、「いえいえ、とんでもありません。東京から来てくれたんですよね。ほんと、、、ほんとうに助かります。ありがとうございます。ありがとうございます。」と声を震わせて俯いてしまった。

 東京のERで昼間から夜通し働いても、こんなに感謝されることはめったにない。東北では人手が足りていないのだ。東北に派遣されたスタッフから「人手は十分にいた」と聞くことがあるけど、それは嘘。人員配置を間違えているだけだ。限界を超えて自己犠牲を払っている人、辛くても口に出せない人が少なくとも気仙沼にはいた。

 私たちは被災から15日が経過した時点で現地入りしたのだが、すでに被災直後とは必要とされる物資が変化していた。「カップ麺や白米は余っているが、蛋白質が足りていない」、「医薬品は充足している」、「重症患者の搬送は終了した」、「避難所の栄養状況が悪く、慢性疾患が悪くなってきている」、「精神科の医師の診察が必要となってきている」などである。被災地の状況は常に変化しているのに、今日と明日では必要なものが異なるのに、その全体像を把握できている人は誰もいなかった。
私たちが会った市役所の職員は疲弊していた。そもそも情報の収集と整理に必要な人手が足りていないのだ。復興までの何年間もこのような人手不足が続くかと思うと気が遠くなる。

 復興には何年もかかり、支援も長期にわたって必要となる。医者でも医者じゃなくても、体が動けば役に立てる。友人たちも個人的に支援機関にオファーして、現地に行っている。適切な機関を通じて行けばいいのだ。不安と無力感に消耗しているくらいなら、思い切って行ってしまえばいい。人手は足りてないのだから。

 宮坂 政紀:都立墨東病院 救急シニアレジデント
 
 
 
 
原発の緊急時計画区域 京都府、20キロ圏に拡大
【 2011年04月13日 23時25分 】京都新聞

稼働中の原発からの距離 福島第1原発の事故を受けて京都府の地域防災計画見直しに向けた専門家会議(議長・林春男京都大教授)は13日、原発事故の波及を想定した緊急時計画区域(EPZ)の範囲を現在の原発から半径10キロから暫定的に20キロ以内まで広げるべきとの意見をまとめた。府は国の指針改定を待たずに専門家会議の意見に沿って見直す方針。自治体独自で拡大を決めるのは異例という。

 現行の10キロでは高浜原発(福井県高浜町)に近い舞鶴、綾部両市の一部が入り、域内には推計で1万2千人が生活する。20キロに拡大すると、高浜原発では両市に加え宮津、南丹両市と京丹波町も範囲に含まれ、域内の推計府人口は9万人と大幅に増加。さらに舞鶴、綾部、南丹3市の推計4千人が、新たに大飯原発(同県おおい町)のEPZ内に入る。

 また、舞鶴市は市役所と市街地の多くが範囲に入り、市の防災計画の抜本的な見直しが必要になる。

 EPZは原子力災害時に住民の屋内退避や避難対策など必要な措置を取るエリア。国の指針は8~10キロとしている。防災や原子力の専門家9人でつくる府の専門家会議は、今回の事故で国が20キロ圏内に避難指示を出したことから「10キロで駄目なのは明らかだ」と指摘し、拡大の必要性で一致。まず20キロで実効性のある計画を作成し対策強化を求めた。

 府は27日の次回会議で20キロに拡大する見直し案を提示し、5月に開く府防災会議で正式に拡大を決定する見通し。
 
 
今朝の岩手日報web版一面
・新日鉄釜石が生産再開 「鉄の街」復興へ大きな一歩 04/14 08:24

・水沢開催を当面見送り 岩手競馬、存続の危機 04/14 08:24

・13日の県内、強風で鉄道に乱れ 奥州などで最大観測 04/14 08:24

・盛岡などで震度3 午前4時57分ごろ 04/14 07:47

・救おう被災聴覚障害者 県ろうあ協会などが支援団体 04/13 18:34

・ロックの縁、支援も熱く 気仙地域にバンド仲間続々 04/13 18:34

・被災地から盛岡へバスツアー 横浜FCの支援試合 04/13 16:05

・「机浜番屋群」跡形なく 田野畑、観光シンボル失う 04/13 16:05

・車から電源、停電乗り切る 釜石の重症心身障害者 04/13 16:05

・避難所出ても生活費不安 雇用促進住宅や仮設入居者 04/13 14:44

岩手日報サイト
 
 
4月11日 京大 小出助教インタビュー
名前のない新聞から引用。
5月号のために京大原子炉実験所に伺い、小出裕章さんにインタビューしてきました。1時間ほどの間に何度も何度も取材申し込みの電話が入るほどの忙しさの中­、インタビューにも電話の応対にも丁寧に誠実に応えられていました。新聞が出るのは5月初旬の予定ですが、緊急事態なのでyoutubeで公開します。電話応対など無駄な­部分はカット編集してあります。http://amanakuni.net/
小出先生が原子力に反対する理由、原子炉実験所での研究のことなど、福島第一原発の事故以外のこともかなり聞き出されていて、出色のインタビューです。小出助教に関わる情報ブログはこちら
 
 
今日読んだネット記事
〇「福島には原発が必要だった」  こちら

〇「被災していない人にも【共感疲労】という苦しみがある 」 こちら

〇「ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリから学ばない原子力政策 ―子どもたちに対する、的確な放射能被ばく対応を望む― 」 こちら

〇「原子力安全委員会の存在意義はどこに? ―御用学者は必要ない― 」 こちら

〇「投票する側」ではなく「投票される側」の問題 こちら

〇「原発やめろデモ大成功!!!史上空前の15000人が高円寺に!!」 こちら
 
 
11時間労働だと8時間労働と比べ心疾患のリスクが1.7倍に
☆全国の銀行員をはじめとするこの国の勤め人さんたち。こんな記事がありました。だからどうしたってか?確かに誰も好きでやっている訳やない。

 働いてもシアワセになれない仕組みは、しかし人頼みではだ~れも直してくれんのも事実です。

⇒毎日残業だったり家に仕事を持ち帰るなどして11時間働いているという人は、その分やりがいのある面白い仕事を任せてもらっていたり、毎日定時に帰る8時間労働の同僚と比べ収入が多いということもあるかもしれませんが、11時間労働の日々が続くと、そういったメリットとひきかえに健康を犠牲にし寿命を縮めている可能性もあるようです。

イギリスで行われた調査により、11時間労働の人々は8時間労働の人々と比べ心疾患のリスクが67%高くなることが明らかになっています。

アナルズ・オブ・インターナル・メディシン誌に掲載された論文で、医師が心疾患の危険因子を分析する際には、患者の体重や血圧、糖尿病であるかや喫煙習慣などにくわえ、労働時間も考慮すべきだと研究者たちは示唆しています。

ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのMika Kivimaki教授らは、1985年以来イギリスの公務員1万人以上のデータを収集し、そのうち調査開始時点で狭心症などの心臓病の症状がなく、過去に心臓病と診断された病歴もなく、かつフルタイムで働いていた7095人(男性4986人・女性2109人、年齢39歳~62歳)について追跡調査(調査期間の中央値12.3年)を行い、コレステロール値や血圧、年齢、喫煙習慣・糖尿病であるかなどの心臓病の危険因子の調査とともに、平日の1日の平均労働時間(家へ持ち帰った仕事を含む)などの生活スケジュールを報告してもらいました。

心臓発作を経験した人数・回数やさまざまな心臓血管系疾患を患うようになった人数などのデータは、追跡期間中5年に1度の健康診断と保険記録や病院の記録により収集され、分析されましたが、その結果、コレステロールや血圧、年齢などの因子にくわえ週の平均労働時間もリスクファクターとして考慮することで、心疾患リスクをより正確に(予測的中率が5%上昇)分析することができると判明しました。

現在多くの医師により、心疾患の病歴がない人が今後10年以内に冠動脈性心疾患を発症する予測値を算出する「フラミンガムリスクスコア」が広く使われていますが、この「フラミンガムリスクスコア」算出に用いられるリスクファクターには労働環境によるストレスなどといった心理学的な要素が含まれていません。今回の調査結果では1日の平均労働時間が11時間の人々は、8時間労働の人々と比べ心疾患リスクが67%高かったとのことで、この結果を受けて、問診の際の質問項目に「労働時間」を加え、年齢やコレステロール値、血圧といった生理学的なデータとともに、週の労働時間も心疾患のリスクファクターとして分析することで、高リスクの人々をより正確に特定することができ、効率的な予防医療につながるのではないかと期待されています。

2011年04月12日 23時00分08秒 GIGAZINE掲載。
 
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