阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

イナゴの佃煮をたっぷり頂いた

2019年01月06日 | 食べる飲む
イナゴの佃煮と言っても神戸人や大阪人の食えるものの概念では食物のうちに入っていない。関東でも今やもう食べたことのある人は少ないとは思う。
 イナゴの佃煮はその昔は農家の貴重な蛋白源でもあったと聞く。私はそんなことはさておいて単純にあの食感と味が大好きだ。
郵便受けに入りませんでしたと郵便配達人が玄関先まで郵便小包を届けてくれた。送り元の名前と包装のカタチを見て、家人が
「もしかするとイナゴの佃煮じゃない」と言った。驚いたことに推測は当たっていた。

印旛沼の里山住人のkさん夫妻が成田さんの初詣の時にでも買って送ってくれた。たっぷりあるので暫く楽しむことが出来ます。謝謝。
東京では先日、清澄白河で身内が買ってきてくれたし、こうしてイナゴの佃煮をあちこちで普通に売っている。
 瀬戸内海を控えた関西は食材豊富でイナゴの佃煮を製造販売する店はない。また干瓢巻という具が干瓢だけの海苔巻きも東京では買えるが
関西ではどこにも売ってない。売り出してもそんな海苔巻きを買う人はいないと思う。結婚したころ何かの祝いの日に母が干瓢巻も作って出したところ
関西出身のあいかたが具は干瓢だけですかと絶句したことを思い出す。食材の視点から西と東の風土の違いや庶民生活の歴史を見るのも面白い。


昭和55年から62年まで住んだ茨城県北相馬郡藤代町(現 取手市藤代町)の毎年の秋には、一家4人がそれぞれ手にスーパーの紙袋を持って
住宅地を取り囲む広大な田んぼに出かけたものだ。取入れが済んだ田んぼの畔を歩くと一斉にイナゴが飛び立つ。それを捕まえるのを
子供たちも面白がった。捕まえたイナゴを一昼夜置いて糞を出させた後、ビニール袋に移して熱湯につけたあと、広げた新聞紙に撒いてから脚や羽など
硬い所を取ってそれを茹でてフライパンで味をつけて炒る。それが私の酒の肴になる。
painted by MM
一家総出のイナゴ取りの田圃には両側にホロのようにネットを張ったオートバイが疾走していた。オートバイの音に驚いて飛んだイナゴを一網打尽にして
業者に卸すんだそうだ。そのイナゴは甘露煮にされて赤坂の料亭の箸休めとして供されるという話だった。
 神戸の高校に進学した娘がある日の授業で先生が「イナゴなんかを食べる土地が日本でもあるようですが・・」と言ったとき
心の中で「私捕まえてお母さんが佃煮をこしらえて食べたんだけど」と一人ごちたそうだが、口には出さなかったそうだ(笑)。
念のためにネットで京都のイナゴの佃煮(甘露煮)を検索したら、よく通った「錦市場」で通年販売しており根強いファンがいるそうだが
商品はやはり信州から仕入れているそうだ。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三が日のお昼はいつもの焼き... | トップ | 真冬の夜のスカイツリー  ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
イナゴ (遊木民)
2019-01-06 13:42:15
  明けましておめでとうございます。
イナゴの記事を楽しく読ませて頂きました。
 東北地方ではイナゴは一般的な食べ物でした。小学校の時(昭和30年代前半)稲刈りが終わったあと全校児童で半日ほどイナゴとりをしていました。
 当日は紙(布)袋に厚紙で作った筒を取り付けた道具を作り持参しました。筒があるため取ったイナゴが逃げ出せません。
 取ったイナゴは一昼夜袋で糞を出させ、PTAの人たちが大鍋で茹で、業者に販売していました。販売代金は学校の備品購入に充てていたようで、今では考えられないことです 
 各家庭でも佃煮をつくっていました。
羽根と足先を取ってから作ると食感が良くなります。
 私も好きなのですが、家内が嫌いなので家では食べられません、居酒屋で楽しんでいます。
 
返信する
イナゴ (阿智胡地亭)
2019-01-06 22:20:57
遊木民さま
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
そうですかイナゴはやはり貴重な存在だった
のですね。茨城の時は確かに羽と脚を取っていた
ので書き足しました。そうですか、居酒屋のメ
ニューに。
これからも家でも酒肴として食べていきます。
返信する

コメントを投稿

食べる飲む」カテゴリの最新記事