JR新居浜駅からマイントピア別子行のバスに乗り、瑞應寺前で下りました。
帰りのバスの時刻を確認してから参道を上りました。バスはほぼ一時間に一本で乗車時間は15分ほどです。寺は山根という地区にあります。
7年前に友人たちと参観して以来、もう一度訪ねたいと思っていました。参道の入口からは木が茂っていて山門は見えません。
泊まった「ホテル柳家」から、独身寮まで歩きました。↑この橋からの風景は半世紀前に毎日見ていたシーンです。
先輩が毎日のように通っていた「ソワレ」という喫茶店の建物はまだ残っていました。
道の途中にその昔、泉寿亭という大きな接遇施設があった場所があり、現在は新居浜市に寄贈され、跡地に市立図書館が建っていました。
半世紀たっているので当然ながら、独身寮は新規に建て替えられており、記憶を呼び起こすものは何もありませんでした。
寮の友人と夜よく飲みに出た商店街の街並みはすっかり様変わりしていました。
こんなバスも走っていました。
ジパング倶楽部の切符ですから乗る列車は「ひかり」です。しかもいつものように自由席。



岡山で予讃線の「特急しおかぜ」に乗り換えてから食べる昼食を買いました。

ピリパオセット440円。豚まん一個、焼売2個、焼き餃子4切れ。ビールのアテに丁度いい買い物でした。


瀬戸大橋を渡り、 四国に入ってしおかぜの車窓から見る「剣山山系」は雨にけぶっていました。「しおかぜ」の自由席もほどよい人数で座れました。

駅には3人の友人が待っていてくれました。

朝あまり寒かったので心臓近くに入っているステントのことをおもんばかり、自分だけラウンドをせずに忘年会だけ参加しました。最多参加者のときは12名の出席を
見たことがありますが、この日の出席は7人でした。
宝塚で阪急からJRに乗り換えました。

阪急宝塚駅からJR宝塚駅への乗換は橋上通路で結ばれて平面移動になり楽になりました。




帰りはちょうど大阪行きの快速が来るところでした。

三田(さんだ)市は幕藩時代は九鬼家がお殿様の土地で、九鬼家の菩提寺「心月院」には
三田藩の重臣の家柄だった白洲家の白洲次郎と白洲正子が眠っています。
平日の午後3時くらいなのに猛烈に人が出てました。聞こえてくるのは中国語、韓国語にフランス語や英語などなど。
さすが都会人たる京都人です、店員たちはみな笑みを浮かべながらなごやかに彼らに対応していました。
永井荷風さんの息子さん?のような方も買い物をされていました↑。




いつもの店でいつもの買い物をしました。鯉の甘露煮。ちょっと高くなっていて一切れ1000円と900円

子持ち鮎が炭火で焼かれて・・

ハモの照り焼き、一串1200円。

漬物は市場から2分ほど離れた馴染みの「大藤」で買うことに決まっています。

店先には蕪の千枚漬けのシーズンが来たことを示すために、毎年こういう本物の材料がディスプレイされています。

千枚漬は3日以内に食べきってくださいねと店員さんからの依頼でした。

おいしい京料理を昼食で食べ、めざした買い物もすませ、心弾んで始発の阪急河原町駅まで歩きました。
錦市場から四条通に出る間にこんなショーウインドーがありました。


もうあまりみかけなくなっているそうです。
【恐い顔の鍾馗(しょうき)様は閻魔さまにも似ていますが中国の唐の玄宗皇帝の夢枕に現れて 鬼を退散したという 魔よけ・火除けの神様です。
大切な家を守ってくれると京都では中屋根の上に置きます。また京都人は鍾馗様を「しょうきさん」と親しみを込めて呼んでいます。
引用元】

ビルとビルの間に町屋が残っていて何となく懐かしい気分になります。


有名な扇屋さん「宮脇」の前を通りました。



モジャハウスがありました。嬉しくなります。


お風呂屋さんの暖簾のモダンなことに感激!さすがに京都です!

いよいよ錦市場に到着です。


蛸薬師通りを烏丸通りに抜ける交差点にレトロな建物がありました。

六角堂は初めてですが、京都の学校に通学した同行者がいるのでガイド役に不足はありません。






ハクチョウが3羽いました。

イケメンのお父さんが来たねと三羽のひそひそ声が聞こえたような・・

3羽にじっと注目されて照れました。


近くでよう見たら大したことなかったなぁと散っていきました。なんや、コラ!

大きな鯉がいて驚きました。

2014.11.09 ~ 2014.11.15、閲覧記事数:17765PV、訪問者数: 1360IP、ランキング: 3257 位/2089144ブログ
京都線の特急は十三で乗り換えると座れないことがあるので梅田まで行って始発に乗りました。


家を出てから一時間半で阪急烏丸駅に着き、買い物の前にネットで調べてあったという店「逸品 はし長」で昼にしました。
入店するとオーナーシェフが、自然体のいい笑顔で迎えてくれました。カウンターが八席ありましたが、電車に乗る前に携帯で予約していたからか
小上がりのテーブル席に案内されました。 小上がりの隣のテーブルには7人分の席が準備されていました。

先付からはじまる8品のコースは、地元の人たちが普段使いにしている割烹らしくなんともおいしい料理でした。

ごぼうのしんじょうに栗の摺り流し。辛子添え

タイと貝柱の刺身はまさに食べごろの状態で出てきました

サンマのわた焼き。骨はカリカリでほろ苦い独特の風味が香うばしい

梨の菊菜と菊の花弁和え

むかご山芋まんじゅう

漬物も山椒ちりめんも自家製のすっきりさがあって美味

デザートはヨーグルトゼリーと黒砂糖シャーベット、リンゴの甘煮にリンゴバター餡

一人前、税込3500円でこのコースの提供は、本当に素晴らしいと思います。京都にもいい店がいろいろあるんですね。
隣の席には7人組の外国人女性が座りました。いっぺんに賑やかになりました。スペイン語と英語が聞こえたので
南米からの観光客かと思い、聞いてみるとフィリピンからとのことでした。メンバーの一人が池坊を習っていて、池坊の
花展に毎年参加していて、高校の同級生たちも一緒に京都に遊びに来たと。
全員が普通に箸を使い、割烹料理をおいしそうに賑やかに喋りながら楽しんでいました。おそらく上流のご婦人たちの
定例の京都旅行で、帰る時のシェフの話では「池坊さんの紹介でうちの店に来られるようになり、それから毎年来られています」とのことでした。
興味があったので、家庭で使うのは英語かスペイン語か聞いてみたら、半々でした。タガログ語は使わない階層の人たちが
行く高校の同級生たちなんでしょう。
一月以来ひさしぶりに西宮の居酒屋「ふうてん」に行きました。御影高校の前から阪神バスに乗り阪神西宮駅の終点まで国道2号線を35,6分ほどバスの旅を楽しみました。
このルートは10数年前に3年ほど毎日、車で西宮に通勤したとき走った道筋なので車窓から懐かしい風景を眺めて行きました。
阪神西宮駅から西宮東口商店街にある「ふうてん」に行く途中に「海清寺」があります。禅堂です。ここの大楠にはいつも足が止まります。見事な大木です。
8カ月行かない間に大きな蕎麦店がなくなって別のビルに建て替わっているのには驚きましたが、「ふうてん」は
同じ顔で旨いものを出してくれました。(続く)
西宮東口商店街のYoutube。
JR明石駅から歩いて10分ほどで明石市立文化博物館につきます。
博物館までは明石城址のお堀端を歩きます。
文化館の常設展のホールには布団太鼓台と和船の漁船が展示されていました。
展示は撮影禁止なのでこのサイトから借用したアカシ象の化石。雄と雌だそうです。
よくこんな全身の化石が残っていたものだと思いました。
児童の共同製作作品が掲示されていました。
館内をかなり歩いてお腹がすいたので、駅ビルのお好み焼きの店で明石焼き(たこ焼きを出汁に浸して食べる)
を3人で楽しみました。広島で広島式のお好み焼きを広島焼とはいわないように(普通にお好み焼きと言います)、
明石には明石焼きはなく、あるのは「たまご焼き」と言う「タコ焼き」です。
帰りに駅ビルで「菊水」の「穴子の押し寿司や、タコセンベイなどを買ってかえりました。穴子の寿司はさすがの味でした。
2014年3月5日掲載
知らない方には「それがどうした」の類の動画でしょうが、このあたりにあった広島支社に三年勤務、
そして白島線の沿線のワンルームマンションに三年住んでいたので、使った電車の懐かしい動画を見つけました。
白島線(はくしません)は、八丁堀と白島を結ぶ、全長がわずか1200mの路線で、広島電鉄の創業路線の一つです。
出汁に浸けて食べる明石の玉子焼き(たこ焼き)の木村商店は、遠目にも長い長い列が出来ていました。やむなく商店街の中の
無愛想なおばさまの店で食しました。



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JR三宮駅で新快速に乗り、明石駅で下車。明石からは山陽電車に乗り替えて魚住駅で9:45の集合でした。
2年前と同じく、Halimaoさんのお付き合いの中に入れてもらい月曜会のメンバー4人で参加しました。

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2012年の訪問アルバムはこちら。