阿部ブログ

日々思うこと

日本陸軍の通信諜報を読んで知った事など

2011年11月04日 | 日記
今日は昨日のジョギング中の転倒により背中と腰が痛く、とても仕事にならない為、7時に出社したものの、お休み頂きますメールを2人の上司に送信して帰宅。
帰宅後、タイガーバームを腰の周りに大量に塗布し、仰向けに寝て療養。しかし暇なので、日本陸軍の通信諜報に関する本を読み出したが、これを一気に読了。いや読んで良かった。

この本で知った事は多い。その一つは、赤羽龍夫氏と通信諜報の関係。

自分の愛読書にはデイビッド・アーヴィングの『ヒトラーの戦争』、『暗号名イントレビッド』などがあるが、これらの翻訳者が赤羽龍夫氏。彼は1917年生まれで昭和16年に東大文学部を卒業後、参謀本部の翻訳官募集に応募し、採用された。
配属は、参謀本部第18班のドイツ班。この参謀本部第18班は、昭和14年3月、参謀本部第二部に通信諜報を任務として新設され、設立当初の人員は159名であった。

終戦時における赤羽氏の所属は、中央特種情報部第三課第三班の副班長で、肩書きは陸軍翻訳官。この第三班は、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、オランダ、デンマークなど通信傍受と暗号解読を担当する組織で、通称は「独仏班」。
この第三班は、終戦間際にスイスの暗号解読に成功し、日本政府がポツダム宣言受託に向けた動きを把握していた。
赤羽氏は、戦後、読売新聞社に入社。その後翻訳家に転身した。

それがどうした?と言われるとそれまでだが、もう一つ面白い話を知った。

時期は不明だが、参謀本部は、後にGHQの根城になる第一生命保険本社ビルの地下1階にあったIBMの電算機と、大阪の日本生命保険のこれもIBMの電算機を接収し暗号解読に役立てたとある。
IBMの電算機は、戦後の事と思われがちだが、今日のコンピューターではないがインターナショナル・ビジネス・マシーンズ(International Business Machines Corporation)と言う名称から分かるとおり、戦前から様々な用途向けに製品を納入していた。
有名な所ではアウシュビッツの電算機。これは戦時中の事からドイツのIBMが勝手にやったように思うのが普通だが、これは米国本社とドイツ親衛隊と直接のやりとりをしていた文書を題名は忘れたがDVDで見た記憶がある。
IBMのビジネス・マシーンが無ければ効率的に強制収容所は運営管理できなかっただろう。国際ビジネスに戦争は関係ないのだ。