阿部ブログ

日々思うこと

谷沢栄一氏の 『世間通と人間通』 を読んで

2011年11月13日 | 日記
ブックオフで谷沢栄一氏の『古典の読み方』を懐かしくて即購入。祥伝社のNONブックシリーズの内の一冊であるが、親元に居るときこのシリーズ本はかなり読んだ。
樋口清之氏の『梅干しと日本刀』、同郷である渡部昇一氏の『日本、そして日本人』や『歴史の読み方』、松原泰道氏の『法句経入門』などだ。

谷沢栄一氏の『古典の読み方』は名著だと思う。この本は昭和56年に刊行されているが、その後絶版となっていたが、クレスト社から旧稿に手を入れて新版としてす出版しないか?との問い合わせがあり、見事『人間通と世間通~古典の英知は今も輝く~』として平成8年に再刊された。この本もブックオフで即購入。そして早速読み返して見ると構成が変わっている事に気づく。

『古典の読み方』は、①論語、②ジュリアス・シーザー、③プルターク英雄伝、④三国志、⑤悪霊、⑥この世の果て、⑦箴言集、⑧マイ・シークレット・ライフ、⑨日本文化史研究という章立てだったが、『人間通と世間通』では、これに①イソップ寓話と②チャタレイ夫人の恋人が追加されている。

感銘を受けたのは、チャタレイ夫人の恋人。

谷沢氏は福田恆成氏の言葉を引き「かれ(ロレンス)が『チャタレイ夫人の恋人』の終末において到達した救いは、もはや激しい情熱ではなく、『あたたかい心』『やさしい心』であったことを想い起こすがよい」と。つまり「あたたかい心」「やさしい心」こそ、性の出発点であり、かつ到達点であったのではなかろうか、と述べている。
谷沢氏は、更に人間に与えられたもので完全に公平なものは「性」であると断言されておる。成る程と想う。

このチャタレイ夫人の恋人の章には、あるエピソードが書かれており、男として考えさせられる一件だ。

「ある一流大学の教授で、若くしてその名を謳われて順風満帆の日々を送る男がいた。夫婦とも学者の家に育ったお坊ちゃん、お嬢さんであったらしい。二人は飯事のような夫婦生活を送っていたものと想われる。そのうち無聊の妻がテニス・スクールに通いはじめた。周知のように、この種の有閑夫人を集めるスポーツ練習場には、まともな教師と共存のかたちで、情事のお相手を努める誘惑男(ジゴロ)を置いている。
そのうちの一人が教授夫人に目をつけ、腕によりをかけて蕩し込みに努めた。天下に有名な男の女房をこっそり食べて、ひそかに教授の鼻をあかす気分はまた格別である。夫人はたちまち陥落した。
そして、このとき初めて女の喜びを知る事が出来たのである。
彼女は一大決心をした。夫と子供ももなにもかも捨てて、その色男(ジゴロ)と一緒になるべくして家出した。閉口したのは悪戯男(ジゴロ)である。世間に名の通っている恰好ののよい教授の妻だから、陥して楽しかったというもの、その女がすっぽんぽんの丸裸で飛び出してきたのでは、もはや三文の値打ちもない。もちろん冷静に突き放した。女は窮して立ち往生である。
そこで教授は、過ぎた事は問わないから家に戻ってくれと招き寄せた。通常なら元の鞘におさまって一件落着であろう。
しかし、女房は戻らなかった。恥を知った故であろうか。勿論、それもあるだろう。と同時に夫を深く恨んだからではあるまいか。
この夫と、もし平穏無事な生活を送っていたら、ついに生涯、自分は女として当然味わうことのできる喜びを、知らずに終わる結果となった筈だ。女の一生を、あたら空しく棒に振ることになったのではないか。この恨みはよほど深く心の奥底にわだかまったように推測される。」

引用が長くなったが、深く考えさせられる話だ。

見渡して見れば職場でも毎日椅子に座ってお茶をすすって一日を過ごし、私生活でも「趣味に生きているのよ私は。男なんて不要~」なんて女性が多いが、折角女性として生まれ、結婚せずとも女としての喜びは当然に追求して然るべきではないか?
家庭は女の為にあるし、子供を産んで育てるという「母」として喜び、そして女性としての喜びを知らずして朽ち果てるであろう、女性をそばで見るのは嬉しくはない。何のために生まれてきたのか?

スローセックスを唱導、実践しているアダム徳永氏曰く「男は愛するために生まれ、女は愛されるために生まれる」、また「セックスでした伝えられない「愛」もある」と。けだし名言である。

それと谷沢氏は「第三の手」として舌による「オーラルセックス」について語っているが、個人的にはアダム徳永氏の「アダムタッチ」が効果的と思う。舌と唾液でベロベロされて嬉しいか? 唾液は乾くと臭いもするし、到底お勧めできない。

最後に、武家はともかく、江戸時代の庶民は性を謳歌していたであろう事は、春画や様々な伝承記録から明らかであり、明治維新以降の南西日本(薩長土肥)の堅苦しい気質が、現代の「性の事情」に大きく影響していると思っている。
大体、薩長が天皇に軍服を着せた時点で、明治維新は日本の歴史上における大きな汚点だと言う方もいるが、自分はこれに大いに賛成する。軍服は俺みたいな輩が着る物だ。

大きく話がそれたが、谷沢氏の著書で一番鋤なのは『読書通 - 知の巨人に出会う愉しみ』(学研新書)である。石川準吉氏の「国家総動員史」や市川本太郎氏の「日本陽明学派之哲学」「日本古典学派之哲学」「日本朱子学派之哲学」3部作など読んで震えがくるほど、面白い! 是非ご一読を。