二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

野球はいい、

2017年07月07日 10時24分53秒 | ニ言瓦版
東京新聞のコラムいい。

「「東海道中膝栗毛」の十返舎一九の辞世は<此世(このよ)をばどりやおいとまに線香の煙とともに灰左様なら>。
線香の灰とのシャレでハイ、サヨウナラ。さっぱりしたものである
▼名将は最期になんとおっしゃったか。勝負にかけた熱とこだわり。野球ファンなら、あっさりの「灰左様なら」ではなく、最期まであの言葉を口にしたと想像をするだろう。「あれはファウルだ」
▼阪急ブレーブスを三年連続日本一に導いた名監督、上田利治さんが亡くなった。八十歳。ファウルとはもちろん、一九七八年、日本シリーズ第七戦である。ヤクルト大杉選手の左翼ポール際の本塁打に上田監督は「ファウルだ」と強く抗議。中断は、一時間十九分に及んだ。前代未聞である
▼判定が覆るはずもない。あの時はなんとあきらめの悪いお人かと思ったが、そのあきらめの悪さと意地が懐かしい。うわっつらの物分かりの良さと、不興を買わぬことに汲汲(きゅうきゅう)とするご時世にあってはなおさらかもしれない
▼不思議なことに関大でバッテリーを組んだ名投手、村山実さん(阪神)にも「ファウルだ」の場面がある。
五九年の天覧試合。長嶋さんに打たれた左翼ポール際のサヨナラ本塁打をずっとファウルと疑っていた
▼上空から左翼ポールを並んでながめるお二人を空想する。確認して、顔を見合わせこうおっしゃっているか。「やっぱり、ファウルだ」


無理があるが、
辞世の句は、野球でも、判定でも、最後は、勝負の最後は、悔しいが、納得するは、
灰になり、彼の世で、語ることかもしれない。
上田氏、大杉氏も彼の世で、野球しているかもしれない。
ファルの場面、本塁打の場面。
彼の世の球場で、また、野球しているのかもしれない。

彼の世にも、野球場があるといい。
名場面が、できることいい。

アメリカの映画を思い出す。
==========



「『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams)は、1989年公開のアメリカ合衆国の映画。製作会社はユニバーサル・ピクチャーズで、ウイリアム・パトリック・キンセラの小説『シューレス・ジョー』を原作にフィル・アルデン・ロビンソンが監督と脚色を兼任。野球を題材に、60年代をキーワードとして夢や希望、家族の絆といった、アメリカで讃えられる美徳を描き上げたファンタジー映画である。尚、上記の英語名をそのまま発音すると「フィールド・オブ・ドリームズ」となる。
特に野球が広く親しまれている国においてヒットし、アメリカでは第62回アカデミー賞で作品賞、脚色賞、作曲賞にノミネートされた、また日本では、第33回ブルーリボン賞や第14回日本アカデミー賞で最優秀外国語作品賞を受賞。全世界で8つのノミネートを受け5つの受賞を果たしたがそのうち4つは日本の映画賞である。

あらすじ[編集]
アイオワ州の田舎町に住むレイ・キンセラは農業でなんとか家計をやりくりする、一見普通の貧乏農家。ただ、若い頃に父親と口論の末に家を飛び出し、以来生涯に一度も父の顔を見る事も、口をきく事すらもなかった事を心の隅で悔やんでいる。
ある日の夕方、彼はトウモロコシ畑を歩いているとふと謎の声("If you build it, he will come." = 「それを造れば、彼が来る」)を耳にする。その言葉から強い力を感じ取った彼は家族の支持のもと、周囲の人々があざ笑うのをよそに、何かに取り憑かれたように生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、小さな野球場を造り上げる。
その後しばらく何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影を球場にみつける。そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放され、失意のうちに生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソンだった。」


フィールド・オブ・ドリームスも見たくなった。
見つけた。名場面。

https://www.youtube.com/watch?v=lXjz-M_6eN8&t=11s
https://www.youtube.com/watch?v=v6bD23vEigE

野球の原点は、楽しい、だから野球する。
金ではない、ある世から、この世に野球する姿。
============
名言、珍言。


「此世(このよ)をばどりやおいとまに線香の煙とともに灰左様なら

十返舎一九

句は、いい。

「この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の 煙とともに 灰(はい)左様なら」
・・・・
「あっさり型な日本人の死の美学」でしょうねえ!
まるで「地下鉄の駅で下りるような感覚」でこの世を去る…。



勝手な解釈
灰左様なら。
いい言葉だ。
最後の姿は、死んだときでない、この世から消えたとき、灰になる、そして、消えていく。
そのとき、何を思う。
人生は、最後の灰で、知る左様なら。

バカも、知恵者も、最後は、灰になり、左様なら。
生きているとは、勝手な行為である。
死ぬは、灰になり、大地、宇宙のチリ。
空しいか、後悔か、灰になり、知る自分の姿。

知るは、最後は、灰で、左様なら。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 考えると、人材の問題だろう。 | トップ | 考えると、ケアーの問題と、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ニ言瓦版」カテゴリの最新記事