二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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転職が、遅いから、起きた、向かない人、いるものだ。

2021年11月12日 14時10分56秒 | ニ言瓦版
東京新聞の記事、みると、考える裁判。


わからないことだ。親も大変。
いや、親は、育成の失敗と、思うのかもしれない。








「横浜市の旧大口病院(現横浜はじめ病院・休診中)で2016年9月、入院患者3人の点滴に消毒液を混入して中毒死させた事件で、殺人罪などに問われ、無期懲役の判決を言い渡された元看護師久保木愛弓あゆみ被告(34)。11回にわたった裁判では、被告が事件の3カ月前に看護師を辞めようと悩み、母親に相談したことが明らかにされた。なぜ被告は仕事を続け、事件を起こしたのかー。
旧大口病院の点滴連続中毒死事件 起訴状によると、久保木被告は2016年9月15~19日ごろ、いずれも入院患者の興津朝江さん=当時(78)=と西川惣蔵さん=同(88)、八巻信雄さん=同(88)=の点滴に消毒液を混入して同16~20日ごろに殺害し、さらに殺害目的で同18~19日ごろ、点滴袋5個に消毒液を入れたとされる。


◆「エプロン事件が怖い」
 2016年6月、母親は久保木被告から電話を受けた。「エプロンの事件があって、怖いから辞めようかな」
 この1カ月ほど前、母親は、久保木被告が勤務する大口病院で、看護師のエプロンが切られたり、ポーチに注射針が刺されたりするトラブルが相次いでいると聞かされていた。久保木被告から電話があることは珍しかった。
 「大口病院は怖いな。気味が悪いな」。こう感じていた母親は、病院を辞めること自体は賛成だった。ただとっさに考えて言った。「ボーナスをもらってから辞めれば」
 結局、久保木被告は大口病院を辞めず、そのまま仕事を続けた。「ボーナスをもらってすぐに辞めるのは気まずいと思ったのか」と母親は娘の胸中を推測し、こう振り返った。
 「今は愛弓のことを聞いて、辞めていればと申し訳なく思っている」

◆授業参観「母親に後で叱られる」
 久保木被告は1987年1月7日に生まれた。一家は両親と弟の4人暮らし。幼少期は水戸市で育ち、中学校で父親の転勤に伴い、神奈川県伊勢原市に引っ越した。母親によると、「学力は中の中、おとなしく目立たない子」だった。
 父親が久保木被告の小学校4-6年時に海外に単身赴任したり、思春期になって「男親なので」と子育てから手を引くようになったりしたため、子育ての中心は母親だった。
 父親は母親と娘の関係について「過干渉っていう感じだった。持ち物検査や小遣いのチェックが非常に厳しかった」と語った。
 事件後、久保木被告は面接した臨床心理士に「小学校の授業参観が嫌でしょうがなかった」と話した。日頃から「積極的になった方がいい」と母親によくしかられ、休み時間で1人でいるところを見られると、後で怒られてしまうためだ。
 臨床心理士は「目つきが悪い、愛想良くしなさいとか、表情の作り方でも母親の指導を受けていた。ありのままを母に受けいれてもらえなかった」と話し、そのことが久保木被告の自己肯定感の低い性格形成につながったのではと分析した。
 高校進学後に看護師の道を選んだのも母親の勧めだった。「愛弓が高校3年生のころは不景気で、就職がなく、手に職がつくと年をとっても役に立つ。看護師免許があるといいんじゃないかと。看護師は人の役に立つ仕事で収入がよく、愛弓はおだやかでこつこつやるタイプだからできると思った」


◆出会い系サイト利用「褒められるのがうれしくて」
 看護師になるため専門学校に進んだ久保木被告は、すぐに自分には不向きだと感じだという。
「実習が苦手でした」
 学科の成績は中くらいで、30科目のうち、
Cは3つでほかはA、Bだったが、実習は24科目のうちCが9科目あったという。
 それでも久保木被告は学校を辞めなかった。


「学費を両親に出してもらっていたので、卒業しなければと思っていたのと、
奨学金をいただいていて返済が必要だった」
 専門学校が実家から遠かったため、2年目から寮で暮らすようになり、2008年に横浜市内の病院に就職した。
当初は、リハビリ業務を担当したが、なかなかうまくいかなかった。プライベートでは、出会い系サイトで男性に会ったりしたこともあった。「男性と会うと褒められるのがうれしくて」。久保木被告は事件後に接見した臨床心理士にこう説明した。
 それでも看護師の仕事は「大変でしたがやりがいがあるものでした」と感じていた。「退院した患者さんが病棟に来てくれることがあり、元気な姿を見るのがとてもうれしかった」。奨学金の返済も終わったが、そのまま仕事を続けた。
 だが、3年後に異動して急変患者の対応をするようになって、一変する。点滴の注射に手間取って、患者の家族から「早くしてよ。死んじゃうじゃない」と責められた。抑うつ症状があらわれ、14年4月から精神科に通い始めた。コンビニでおかしや食べ物を買い、食べたものを下剤を飲んで出す。睡眠剤の過剰摂取「オーバードーズ」もしていた。休職したものの、15年4月に退職した。

◆「発する言葉が私に突き刺さった」
 久保木被告は翌5月、終末期患者を多く受け入れていた大口病院に再就職した。「私の学歴や能力では一般の企業にとってもらえない」と感じていた。ネットで調べてみると、大口病院は蘇生措置をしない同意を事前に多くの患者から取っていることが分かり、自分が延命措置をしなくても良いと思った。
 ただ、働いてみると、想像と違っていた。夕方から翌朝まで勤務する夜勤が1カ月に8~10回ほどあり、夜勤明けはベッドから出られない日があるほどくたくただった。心臓マッサージといった措置をする一方で、1日に何人もの患者が亡くなることもあった。「終末期なので亡くなるはずだったから、と割り切ることができませんでした」
 体力的にも精神的にも追い詰められていた16年4月、入院患者が急変して亡くなった。急変を発見したのは久保木被告だった。遺族からは「看護師に殺された」と責められた。説明は同僚が行い、被告だけが怒られたわけではなかったが、「発する言葉が、私に突き刺さる印象でした」と恐怖心を募らせた。
 久保木被告が、母親に打ち明けた看護師のエプロンが切られたり、ポーチに注射針が刺されたりするトラブルが起きたのは、ちょうどこの頃だった。




◆4つのトラブル「私です」
 裁判の被告人質問で、弁護人は久保木被告にこれらのトラブルをだれがやったかについて知っているか尋ねた。
病院ではこのほか、患者のカルテが破られたり、印鑑が壊されたりするようなことも起きていた。


弁護人 エプロンは
被告 私です
弁護人 カルテは
被告 私です
弁護人 印鑑は
被告 私です
弁護人 ポーチに針を刺したのは
被告 私です


 これらのトラブルは久保木被告自身が行ったものだったと明かした。
「エプロンの事件があって、怖いから辞めようかな」。
16年6月にこう母親に伝えるための自作自演だったのか。
 久保木被告は法廷でカルテを破ったことについては
「書き間違えてしまった」と理由を話した。だが、ほかについては「分かりません」と繰り返した。




 それから3カ月後の16年9月、久保木被告は入院患者3人の点滴袋に消毒液を入れて殺害したとされる。
「自分の勤務時間外に患者が死亡すれば、患者の家族への対応を避けられる」という身勝手な理由だった。
 ただ被告は精神鑑定を行った医師に、これらの事件前にも「(消毒液の)混入により複数死亡させた」と説明したといい、もっと前から犯行が行われていた可能性がある。
 大口病院での事件は、3人目の八巻信雄さん=当時(88)=が殺害された際に、
別の看護師が点滴が泡立っているのに気付き、消毒液の混入事件が発覚。報道もされるようになった。
16年11月、実家に戻ってきた久保木被告に両親は「愛弓じゃないよね?」と尋ねた。久保木被告は首を振って「違う」と否定した。


◆「信じていたのに…」母親は娘を平手打ちした
 1年半ほど経った18年6月30日、
自宅にいた母親の携帯電話が鳴った。かけてきたのは久保木被告だった。
「実は私、事件に関わっています」。母親はこの日警察から大口病院の事件で事情聴取を受けることは聞いていた。
だが
「愛弓が犯人であると、愛弓自身が話したことは、信じられませんでした。以前聞いた時には否定していたので」
 驚いた母親が「1人でやったの?」と聞くと、久保木被告は「そうだ」と答えた。
 話しているうちに、すぐに電話の相手は警察官に代わった。警察官から「逮捕まで時間がある。ホテルを用意するので近くで見守ってほしい」と言われ、久保木被告と会うことになった。部屋に入ってきた久保木被告のほほを母親は平手打ちし、そして抱き締めながら言った。「なんでこんなことをしたの、信じていたのに」。久保木被告は答えることなく、ただ泣いていた。
 その日は二段ベッドの上で父親が、下で母親と久保木被告が一緒に寝た。母親は「なぜこんなことをしたの」と尋ねた。
 久保木被告は、最初の病院で「急変した患者の家族から強い言葉を言われて怖い思いをした」と言い、大口病院でも同じような経験をしたと話した。「急変の患者には関わりたくない、遺族から強い言葉で言われたくない。自分に当たらないようにするために事件を起こした」と動機を語った。
 母親が「つらかったでしょ、こんな事件を起こす前に辞めれば良かったのに」と言うと、久保木被告は「そうだよね」というような表情を見せたという。
 
 翌7月1日朝、ホテルの部屋を出て行く久保木被告は、両親に神妙な表情を浮かべて言った。「お世話になりました。全て話してきます」
◆死んで償いたい
 一連の裁判で、父親は法廷に出廷した。母親は姿を見せず、供述調書が法廷で読み上げられた。父親は逮捕後は遠方にいるため、面会は1年に1回ほど。母親と一緒に来ることもあったが、2020年9月に最後に会った時は父親だけだったという。
 父親は面会時の様子について「顔を合わせると、涙が出てしまう」と話した。事件後には両親が被告のために貯めた結婚資金300万円と、被告の貯金300万円を遺族への賠償金として準備したとも明かした。だが、遺族の処罰感情は強く、1遺族に事件で来日したアメリカに住む親族の交通費として200万円を受け取ってもらった以外は、受け取りを拒否されている。
 弁護人は、被告人質問で久保木被告にこう尋ねている。 
弁護人 「戻れるとしたら、いつに戻りたい」
被告 「大口病院に入職する前です」
弁護人 「どうすべきだった」
被告 「看護師をやめるべきだったと思います」
 久保木被告は、裁判の最終陳述で準備してきた紙を読み上げた。
 「裁判では遺族にお詫びできればと考え、お詫びの気持ちを伝えました。許してもらえないことをしたと思っています。死んで償いたいと思っています」
無期懲役判決に「はい」
 9日に行われた判決公判。家令和典裁判長は無期懲役の判決を言い渡した。久保木被告が法廷で自分に不利益な事情も素直に語ったことや、「死んで償いたい」と語ったことから「更生可能性も認められます」と判断した。
 「わかりましたか?」。家令裁判長が無期懲役の判決を言い渡した後にこう尋ねると、久保木被告は「はい」とはっきりした声で返事した。さらに裁判長は被告に向かい、「各犯行について慎重に検討しました。苦しい評議でしたが、無期懲役としました。生涯をかけて償ってほしいと思っています」と語りかけた。被告の表情は変わらなかった。」




看護師、看護も、いろいろあるが、職、間違えたのかもしれない。
どこでも、ある職で、向かない、職がある。






この記事みると、親は、なぜ、やめさせなかった。それが事件になっていく。
医者も、看護師も、向かない。
介護士は、別。




何か、職、違う気がする。


看護師でなく、自衛隊に入ると、変わったかもしれない。
看護師、介護士と、違う。
遺体の処理か、介護か。




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