二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

名言、

2022年05月26日 23時39分40秒 | 名言、珍言。
明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。


マハトマ・ガンジー

勝手な解釈
軽率に生きるな。
明日ないと思うと、
不正、賄賂。猫糞。
明日は?
死刑もある?
  • 成敗か?神する?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名言

2022年05月26日 13時51分01秒 | 名言、珍言。
PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ.


ロベルト・バッジョ

勝手な解釈
結果より立つ能力。
判断は、蹴らないと分からん。
運より、知るは、判断は、?
〜〜〜〜〜〜
凧が一番高く上がるのは、
風に向かっている時である。
風に流されている時ではない。

ウィンストン・チャーチル



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんでみても、凄い、この弁護士。

2022年05月26日 12時00分45秒 | ニ言瓦版
この記事、似たような記事、なんで見ても、凄いな。
この弁護士。
よく、できたものだ。





「山口県阿武町が、誤って4630万円を誤振込した事件。逮捕された田口翔容疑者(24)は、そのほとんどをオンラインカジノで使い切ったと話していたが……町は4630万円のうち9割超にあたる約4299万円を回収。一発逆転といえる事態に、全国の弁護士から、手腕を称賛する声があがっている。
田口容疑者は、カジノを利用するにあたり、3つの「決済代行業者」に合計でおよそ4292万円を出金した。
関連記事:【4630万円誤送金】振り込まれた男性逮捕で広がる町役場の責任論「被害者ヅラするな」「杜撰な管理の責任は」

阿武町の代理人弁護士・中山修身氏は、
田口容疑者が税金を滞納していたことから、「国税徴収法」などに基づいて口座の差し押さえに動いたところ、3社から全額入金された。口座に残っていたおよそ7万円と合わせ、約4299万円の回収に成功したことになる。
このことが報じられると、SNSでは、こんな声が出た。
《仮差ししておけばよかったのに間抜けな顧問弁護士だという論調から、1日で、国税徴収法を駆使してすげえ、みたいになるという、やはり弁護士は結果で評価されるところが大きいんだなと痛感いたします》
はたして「国税徴収法」とはどのような法律なのか? 
若狭勝弁護士に話を聞いた。
「国・町・市など、税金を徴収する行政側だからこそ可能な手段です。税金を滞納している人から徴収するとき、強力な手立てが行政側には与えられています。
たとえば、差し押さえがあっても、税金の差し押さえが優先的に充当される。『国税徴収法』も、滞納者の財産を調べたり、滞納者と関係する第三者の財産・帳簿を見ることができるなど、かなり広範で強力な方法を与えているのです」
当初、A銀行に誤振込された金は、別のB銀行、C銀行に移され、そこから決済代行業者3社に振り込まれていた。
「この場合、B銀行、C銀行に対して、町から『財産状況を見せなさい』という権限が生まれるわけです。おそらく健康保険などの滞納もあって、第三者の口座も調べることができた。まず、銀行が相当、町のプレッシャーに負けたという流れがあります」(同)
決済代行業者もこのプレッシャーに負け、結果、4292万円が返ってきたわけだ。
「3社から振り込まれた4292万円がカジノに使われておらず、決済代行業者のもとに残っていたなら、それを全額払ってきたということでしょう。残っているかどうかはいまのところわかっていない。警察は把握しているかもしれないけど、町もわかっていないと思います。
田口容疑者がカジノに使ってしまい、残っていなかったとしたら、決済代行業者は、身銭を切って振り込んできたことになります。
カジノに使い込んでいたとしたら、決済代行業者は賭博を手助けしたことになり、賭博罪の共犯になる。賭博のほう助ということで、警察がガサ入れすることも、理論上は可能になるわけです。
そうなったら大変だし、いろいろ調べられると困るから、早いところ町にお金を送って、トーンダウンさせよう、という動きだと思います」(同)

中山弁護士が、
記者会見で『(決済代行業者が)なぜか満額を払ってきた』と語っているように、決済代行業者がどう出るかはわからなかった。
「奇策というか、結果オーライなんでしょう。町はいろいろ手を尽くして、結果的に決済代行業者が振り込んできたわけで。ある意味、ラッキーだったとは思います。まあ、結果を出したという点では、町にとっては最高の状況になった」(同)
このほか、中山弁護士はマネーロンダリング(資金洗浄)を規制する「犯罪収益移転防止法」も活用し、決済代行業者の3社に圧力をかけたと報じられている。

中山弁護士は、1955年生まれ。1978年に東京大学法学部を卒業し、1983年に弁護士試験に合格すると、
1986年に地元・山口で、個人事務所を開設している。中山弁護士に対して、SNS上では称賛する声が多くあがった。
《4299万取り返しの件、代理人ちゃんと仕事してるねとかじゃなくて、「軍師」と呼んでいいと思う一手だと思う。諸葛亮とか竹中半兵衛みたいな感》
《国税徴収法使って滞納額超えて全額差押って技が凄過ぎるしドラマみたいだな こんなん絶対思いつかない…》
山口県阿武町では、約9割を取り戻したことにホッとする声が出ているが、まだデビット決済ぶん約330万円が未返還のまま。中山弁護士は、これらの回収について「どういう手続きをやっていくのか考えていきたい」と語っている。
地元・山口が生んだ敏腕弁護士は、こちらの回収にも成功するか――。」



この弁護士、東大なのか。面白いな。
山口県にも、凄い、弁護士いるのか。


こういう人が、最高裁判所に裁判官がいい。
司法と、弁護士。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凄いな。

2022年05月26日 11時51分29秒 | ニ言瓦版
凄い、上がるのか。利益凄いのなか。
昨日、買い物行った、業務スーパー。





「神戸物産<3038>は大幅高。前日に4月の月次動向を発表している。
4月の個別売上高は前年同期比 10.9%増、
営業利益は同 15.3%増となっている。
また、粗利益率は3月が9.4%となり、2月の10.5%から低下していたが、
4月は10.2%まで上昇。円安進行や原材料費上昇などによる利益率の低下懸念が強まっていた中、粗利益率の上昇を受けて、値上げの浸透などが意識されてきているようだ。」



この不景気と、円安で、大変だろうな。
問われるは、確保が、大変だろう。
輸入の品。


結局、商社が、問われる。
昔は、いろい商社が、百貨店が、買っていた、海外の品。
それは、商社は、ロシアばかり、投資。
何か、サハリンだ、ロシアの支援の投資、買い取り。
食も、本当は、商社の担当だろう。

業務スーパーも、才能ある商社のような、人、いるのかもしれない。
昔は、百貨店に凄い、バイヤーがいたものだ。
そして、外商が、凄かったものだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二刀流より、Xに、なるといい。本当の

2022年05月26日 11時37分58秒 | ニ言瓦版
女性も、女も、いろいろいる。
でも、ドラマのように、女優が、ドクターXになるといいな。
本当の医者に。
いや、女優より、世の中のためになる。




「中学受験で超難関私立校に入学。内部進学した女子校から、系列大学の医学部に進めるのはわずか5人。優秀な生徒が集まるなか、その狭き門をくぐったのだという。「3年生になったばかりの今の時期に進学先の学部が決まるのは早すぎる」との声も出ているが、これまでの報道などで漏れ伝わってくる芦田の“超優秀ぶり”を鑑みると、合格していてもおかしな話ではない。
「元より知的なイメージのあった愛菜ちゃんですが、ここ数年、制作発表会見などで繰り出す物事の本質をついた発言が“名言すぎる”と話題になることが多い。日本文学研究者のロバート・キャンベル氏も彼女のことを天才だと称賛していました。今回の医学部内定の報道を受けて、ネット上では育てた“両親”についての検索がかなり増えているといいます」(ウェブメディア編集者)
両親が施してきた教育の中身
 2010年、6歳のときにテレビドラマ『Mother』(日本テレビ系)でネグレクトを受ける少女を好演。凄まじい演技力をみせつけた。翌2011年、『マルモのおきて』(フジテレビ系)でゴールデンタイム連ドラ史上、最年少の7歳で主演に抜擢。共演した鈴木福とともに『マル・マル・モリ・モリ!』で歌手デビューも果たし、国民的天才子役として名をはせた。女優業と学業ともにトップクラスの成績で両立させた芦田愛菜はどのように育てられたのか。両親が施してきた“教育”の中身とは──。
「3歳のころに現在も所属する子役事務所に入りました。当時住んでいた兵庫から仕事のたびに上京していたそうです。お父さんはメガバンクに勤めるエリート。お母さんは同僚だったそうです。
 両親は芦田さんが小さいころから本をたくさん読み聞かせ、買ってあげていたみたいです。常に近くに本がある生活だったとか。小学6年生のときに谷崎潤一郎の『細雪』を読破したと聞いて驚きましたよ」(芦田の知人)
 小学生のときからジャンル問わずに読書に勤しみ、年間300冊を超える読書量だったという。2019年には好きな本との出会いを語る『まなの本棚』を上梓した。
「本をたくさん読んでいるのもあってか、語彙が豊富な印象です。小学生のころから敬語も完璧でしたね。撮影の合間もずっと本を読んでいましたよ」(情報番組ディレクター)
中学受験の勉強は“小6の夏”から
 勉強熱心だけでなく、礼儀も正しかったと評判は高い。その根底にあったのは、母からの教えのようで、
「芦田さんが7歳のころに情報番組で教育方針を特集したことがあったのですが、そのときに紹介されたのが、当時お母様が彼女に徹底して教え込んでいた、“7つの言葉”。『おはよう』『さようなら』『ありがとう』『ごめんなさい』『わかりません』『お願いします』『知りません』──この7つをしっかり言えるような子になってほしいとの願いがあったといいます。
 ほかにも、『子どもの「なんで?」に徹底して付き合う』『子どもの興味あることにとことん本気で向き合い応援する』といった姿勢を崩さないこともモットーだったそう。芦田さんの知的で謙虚な一面はお母様の教育の賜物だと思います」(同・情報番組ディレクター)
 名門私立中を受験、無事合格したことで今に至るが、本格的に勉強を開始したのは小学6年生の夏ごろだったという。短期間の勉強で超難関校に受かったのだから驚きだ。それまでも地元の学習塾に籍を置いていたが、連ドラなどの仕事に追われ、満足に通うことができなかった。
「それまでの仕事をセーブし、塾の夏期講習でみっちり基礎から叩き込んだそうです。そのころは1日に12時間も勉強に費やしていたとか。すごい集中力ですよ。お母様からよく『時間を有効活用するように』と言われていたといいますが、ここまで集中力を切らさずに頑張れる小学生はなかなかいないですよね」
 今年5月に、高校生を対象に行われた『高校生の将来就きたい職業に関するトレンド調査』という調査(アイ・エヌ・ジー調べ)で、『同世代で憧れる人』ランキングで1位を獲得している。
「かつてインタビューで“病理医”に興味があると明かしてから、さまざまなメディアでその発言が取り上げられています。今後医学部に進学するとなると、実習なども多いことから、さらに学業中心になるのではないか、ということが懸念されています。ですが、彼女の所属事務所は芦田さん本人の決断を尊重する方針のようです」(芸能プロ関係者)
 我々は“二刀流”を期待してしまうけれど──。全世代が彼女のこれからに注目している。」




いいことだ。
女優と、医者。

あの医者団はすごい。

ドクターX超える、医者団。



国境なき医師団に、入ると
医者になると、凄い医者だ。

外科医でも、なるといい。いや、精神科医か。
女性、女は、医療のトップになるといい。

それでなくでも、医大に女性の受からない事件が、あった。

ーーーーー

「国境なき医師団(こっきょうなきいしだん、フランス語: Médecins Sans Frontières[9]、略称: MSF[1][2])は、1971年にフランスの医師とジャーナリストのグループによって作られた非政府組織(NGO)で、世界最大の国際的緊急医療団体である[7]。国際援助分野における功績によって、1999年にノーベル平和賞を受賞した。 

国境なき医師団は、1968年から1970年にかけて赤十字の医療支援活動のために、ナイジェリア内戦中のビアフラに派遣されたフランス人医師たちを中心に設立された。
ビアフラでの活動から戻った彼らは、各国政府の中立的態度や、沈黙を守る赤十字国際委員会の活動に限界を感じ、人道援助およびメディアや政府に対して、議論の喚起を行う組織を作る必要があると考えた。そして全ての人が医療を受ける権利があり、また医療の必要性は、国境よりも重要だという信念に基づき、1971年12月20日「国境なき医師団」を創設した。
1975年、エチオピアの大干魃と政府の失策による飢餓で、100万人以上が死亡したが、栄養治療を大規模に展開した。
1979年の「ベトナムの船」の活動では、創設者の1人ベルナール・クシュネルがチャーターした船「光の島」号に医師たちだけでなくジャーナリストたちも同乗させ、同国での人権侵害を告発した。この活動があまりに宣伝的ではないかとの論争に発展、クシュネルは国境なき医師団を離れ、新たに「世界の医療団」(Médecins du Monde)を1980年にフランスで設立した。彼はその後同団の活動も離れフランス政界へ転進、2007年5月から2010年11月までフランス外務大臣を務め上げた。なお、「国境なき記者団」のロベール・メナール代表によると、「―記者団」は国境なき医師団関係者がメディアで「第三世界の人々の窮状に関する報道が少ない」と訴え、これを受けたフランスのジャーナリストらに設立されたもの[要出典]であり、クシュネルとメナールは互いに親交を保っている。
1991年、湾岸戦争と内乱で難民となったイラクのクルド人への援助活動を開始した。トルコ、イラン、ヨルダンで物資2000トン、スタッフ150人と、過去最大規模の活動を展開した。
1995年、ボスニア・ヘルツェゴビナの国際連合保護地域がセルビア人勢力の攻撃を受け、多くの人が殺され、強制的に移住させられた。その現場にいた唯一の証言者となった。
1999年、28年間の人道援助活動が評価され、ノーベル平和賞を受賞した。授賞式で、ロシア軍によるチェチェン市民への無差別爆撃の停止を訴えた。
2003年、イラクのバグダッドが米英軍の攻撃を受ける間も現地にとどまり、病院や診療所の支援活動をおこなった。米英政府に対してイラク国民の医療を保証する義務を遂行するよう要求した。
2010年、ハイチの大地震直後から緊急医療活動を開始し、35万人以上を治療した。その後コレラの流行のため50カ所にコレラ治療施設を開設し、1年間で17万人以上を治療した。
2011年、東日本大震災の翌日から、医療の届いていない地域で緊急医療援助を開始した。医療、心理ケア、物資や通院用バスの提供・仮設住宅、医療施設の建設支援をおこなった。
2012年~2015年、シリア、アフガニスタン、イエメンなどで続く内戦に国内外で援助を展開するとともに、民間人や医療施設が攻撃を受ける事態に国際人道法の遵守を呼びかけた。また、ギニア、リベリア、シエラレオネを中心とする7か国で未曾有の感染拡大が起きたエボラ出血熱に対して取り組みを続けた。
2015年10月3日には、アフガニスタン北部のクンドゥズで運営していた病院が、アメリカ空軍による空爆を受け、医師と患者の合計22人が死亡した。国境なき医師団の公式発表によると、すべての紛争当事者に定期的に病院の位置をGPSで伝えていた。また、爆撃が始まった直後に電話で中止を要請したが、それでもなお誤爆が続いた。医療施設への攻撃は戦時国際法に反し、国際人道法の侵害であるとアメリカ合衆国連邦政府とアフガニスタン政府に抗議。独立した国際機関による真相究明を求めている。さらに、各事務局を通じて全世界で54万通以上の署名を集め、2015年12月9日ホワイトハウスに持参した。クンドゥーズ病院爆撃事件の調査に同意するようにとアメリカのバラク・オバマ元大統領に改めて求めた[10]。


10の原則[編集]
国境なき医師団はその活動において、10の原則を掲げている。
  1. 第一に医療援助活動
  2. 証言活動
  3. 医療倫理の遵守
  4. 人権の擁護
  5. 独立性への配慮
  6. 基本原則:公平性
  7. 中立性の精神
  8. 義務と透明性
  9. ボランティアからなる組織
  10. メンバー一人一人が参加し動かす組織


凄い医者たち。

日本の医者は、どのくらい、いるのか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする