帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (258)秋の夜の露をばつゆとをきながら

2017-08-01 19:20:59 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

                 ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現である。それは、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、秘伝は埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下258

 

(是貞親王家歌合によめる)       壬生忠岑

厭きの夜の露をば露とをきがら 雁の涙や野辺を染むらむ

(是貞親王家歌合のために、詠んだと思われる・歌) 壬生忠峯

(秋の夜の露をば、秋色に染めるつゆとして・送り置きつつ、なをも・雁のなみだが、野辺を染めるのだろうか……飽きの夜のおとこ白つゆをば、ほんの少し贈り置くものの、もの足りない・かりの涙が、ひら野を、厭き色に染めているのだろうか)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「秋…季節の秋…飽き…飽き満ち足り…厭き…気が進まない」「露…秋の露…白つゆ…おとこ白つゆ…ほんの少し」「をく…降ろす…送り置く…贈り置く」「ながら…しつつ…けれども…ものの」「雁…鳥の言の心は女…鳥の名…名は戯れる…刈・狩り・めとり…まぐあい」「なみだ…つゆ…ほんの少し…(おんなの)なみだ」「や…疑問を表す」「野べ…ひら野…山ばでは無い処」「そむ…染む…染める…あき色に染める」「らむ…(いまごろ何々)だろう…現在推量の意を表す」。

 

秋の夜露をば、野を秋色に染めるため、送り置きつつ、さらに、雁の涙が、野辺を、色に染めているのだろうか(紅葉を見てのご感想か)――歌の清げな姿。

厭きの夜のおとこ白つゆをば、ほんの少し贈り置くものの、もの足りない・かりのおんなの涙が、ひら野を、いまごろ、厭き色に染めているだろうか。(厭きのおとこの、後ろめたい思いを表現した歌のようである)。――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)