帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (259)秋のつゆいろいろことにをけばこそ

2017-08-02 19:20:03 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現である。それは、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、秘伝は埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下259

 

題しらず               よみ人しらず

秋のつゆいろいろことにをけばこそ 山の木の葉の千種なるらめ

(題知らず……どのような事情で詠まれたか、わからない) 詠み人知らず(匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(秋の露、色々異に送り置けばこそ、山の木の葉が、多色になるのでしょう……あきの白つゆ、色々、人毎に、贈り置けばこそ、山ばの此の端が、種々に、成るのでしょうよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「秋…季節の秋…飽き…飽き満ち足り…厭き…気が進まない情態」「つゆ…露…白つゆ…おとこ白つゆ…ほんの少し」「いろいろことに…色々異に…種々雑多に…色男毎に…十人十色に」「をけば…降りれば…送り置けば…贈り置けば」「こそ…強く指示する」「山…山ば…感情曲線の頂上」「このは…木の葉…木の端…おとこ…此の端…わが身の端…おんな」「ちぐさ…千種…種々多色…種々雑多」「なる…である…成る…(絶頂に)成就する」「らめ…らむ…推量の意を表す」。

 

秋の露、色々多様に送り置けばこそ、山の木の葉が、多色なのでしょう。――歌の清げな姿。

あきのおとこ白つゆ、色々と男毎に、贈り置けばこそ、山ばの此の女の身の端が、千種に、絶頂に成るのでしょうよ。――心におかしきところ。

多情で、複数の通い来る男が居て、それぞれの山ばで、女の姿態さえ彷彿させる歌は、匿名でなければ詠まないでしょう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)