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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現である。それは、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。
歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、秘伝は埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (259)
題しらず よみ人しらず
秋のつゆいろいろことにをけばこそ 山の木の葉の千種なるらめ
(題知らず……どのような事情で詠まれたか、わからない) 詠み人知らず(匿名で詠まれた女の歌として聞く)
(秋の露、色々異に送り置けばこそ、山の木の葉が、多色になるのでしょう……あきの白つゆ、色々、人毎に、贈り置けばこそ、山ばの此の端が、種々に、成るのでしょうよ)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「秋…季節の秋…飽き…飽き満ち足り…厭き…気が進まない情態」「つゆ…露…白つゆ…おとこ白つゆ…ほんの少し」「いろいろことに…色々異に…種々雑多に…色男毎に…十人十色に」「をけば…降りれば…送り置けば…贈り置けば」「こそ…強く指示する」「山…山ば…感情曲線の頂上」「このは…木の葉…木の端…おとこ…此の端…わが身の端…おんな」「ちぐさ…千種…種々多色…種々雑多」「なる…である…成る…(絶頂に)成就する」「らめ…らむ…推量の意を表す」。
秋の露、色々多様に送り置けばこそ、山の木の葉が、多色なのでしょう。――歌の清げな姿。
あきのおとこ白つゆ、色々と男毎に、贈り置けばこそ、山ばの此の女の身の端が、千種に、絶頂に成るのでしょうよ。――心におかしきところ。
多情で、複数の通い来る男が居て、それぞれの山ばで、女の姿態さえ彷彿させる歌は、匿名でなければ詠まないでしょう。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)