帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第六 冬歌 (317)夕されば衣手(318)今よりはつぎて

2017-11-04 19:22:27 | 古典

            

 

                       帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

公任は、歌の様(歌の表現様式)を捉えて「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりと言ふべし(新撰髄脳)」と優れた歌の定義を述べた。歌には多重の意味があり、エロス(生の本能・性愛)が表現されてあったのである。「心におかしきところ」が、中世に「古今伝授」と称して歌の家々では、門外不出、一子相伝の秘事・秘伝となった。

江戸の国学も近代から現代にいたる国文学も、秘伝を明らかにできないまま捨て置いた。今や埋もれ木の如くなっているが、図らずも、その秘伝が顕わになりつつあるように思われる。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌317

 

(題しらず)           (よみ人知らず)

夕されば衣手さむしみ吉野の よしのゝ山にみ雪ふるらし

(詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(夕ともなれば、衣の袖口さむい、み吉野のよし野の山に、お雪が降っているにちがいない……ものの果てとなれば、心と身の端が寒い、見好しのの好しのの山ばに、貴身逝く白ゆき、きっと降っているのね)。

 

「夕されば…夕方になれば…暮れ方になれば…夕方去れば…果て方去れば」「衣…心身を被っているもの…心身の換喩」

「み吉野…所の名…名は戯れる。見好しの、身好しの」「山…山ば」「ゆき…雪…逝き…おとこ白ゆき…山ば去り逝く」「らし…確信をもって推定する意を表す」。

 

夕ともなれば、衣の袖口さむい、あの吉野の山に、お雪が降っているにちがいない――歌の清げな姿。

ものの果て方になれば、心と身の端が寒い、見好しのの山ばに、貴身逝く白ゆき、降っているにちがいない――心におかしきところ。

 

 

古今和歌集  巻第六 冬歌318

 

(題しらず)           (よみ人知らず)

今よりはつぎて降らなむわが宿の すゝきをしなみ降れるしらゆき

(詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(今よりは、引き継ぎ降ってほしい、わが宿のすすき(薄)、押し伏せて降っている白雪よ……井間のためには、すぐにつぎつぎと降ってほしいわ、わたしのや門の、薄情なおの端、押し伏せて、降っているおとこ白ゆきよ)。

 

「今…い間…井間…おんな」「より…起点を表す…のために…するとすぐ」「なむ…強調する意を表す…ほしい…願望を表す」「宿…家…女…や門…おんな」「すすき…薄…おばな…尾花…お端…薄情なおとこ」。

 

秋の風情を残すすすきを、押し伏せて降る、冬の白雪よ――歌の清げな姿。

井間のためには、すぐつぎつぎと降ってほしいわ、わたしのや門の、薄情なおの端押し伏せて、降っているおとこ白ゆきよ。――心におかしきところ。

 

二首は、否応なく移ろう季節のように、はかなく果てゆくものの山ば、女のご不満を詠んだ歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)