帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(110)しるしなき音をも鳴くかなうぐひすの

2016-12-27 19:08:50 | 古典

             

 

                        帯とけの「古今和歌集」

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。                                                                                                                                                                                                                                   

 

「古今和歌集」 巻第二 春歌下110

 

鶯の花の木にて鳴くをよめる          躬恒

しるしなきねをも鳴くかなうぐひすの ことしのみちる花ならなくに

(鶯が花の木にて鳴くのを詠んだと思われる……女がおとこ花の気に泣くのを詠んだらしい)・歌  みつね

(効きめない声あげて鳴くのだなあ、鶯が、今年のみ散る花ではないのに・どうしょうもなく毎年散る……役立たぬ、根をも、嘆き泣くかな、憂くひすの女、こ疾しだけの、早く果てるおとこ端ではないのに・毎度のことよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「しるしなき…効果無き…効きめ無き…役立たぬ」「ねをもなく…音をも鳴く…声あげて鳴く…声だして泣く…根おも泣く」「ね…音…声…根…おとこ」「を…対象を示す…お…おとこ」「も…意味を強める…追加する意を表す(他にも嘆くことがある)」「鳴く…泣く」「かな…感動・感嘆を表す」「うぐひす…鶯…鳥の言の心は女…憂く干す…いやだ干からびる」「の…主語を示す…修飾語をつくる」「ことし…今年…こ疾し…此の早過ぎ」「のみ…限定…の見…の身」「散る…果てる…尽きる」「花…木の花…男花…おとこ端」「ならなくに…ではないのに」。

 

無駄な声あげて鳴く鶯だなあ、毎年散る花なのに。――歌の清げな姿。


 歌の清げな姿を一見する限り、「散る花を止める効果もないのに、いたずらに鶯が鳴くのを詠んだ歌」で、これ以上の意味はないと思える。「歌の様を知り、言の心を心得る」平安時代の人々は、歌の清げな姿を一見するだけでは想像できない、心におかしきエロスが顕れるのを享受していたのである。


 役立たぬ根をも、嘆き泣くなあ、憂くひすの女、こ疾しのみ、すぐ散り果てるおとこ花ではないのに、弱い根も今に始まったことはないし。――心におかしきところ。


 早過ぎは、おとこの本性の恒常的疾患、ときには、弱々しい根もある、憂くひすの女よ。――これが、歌の深い心らしい。


 貫之は、このような歌を愛でて「玄之又玄」という。
躬恒を侮るなかれ」、躬恒と貫之の歌は、優劣つけ難いというのが、平安時代の人々の結論のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)