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帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (404)むすぶ手の滴ににごる山の井の

2018-01-29 19:45:23 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

滋賀の山越にて、石井のもとにて、物言ひける

人の別ける折に、よめる        貫之

むすぶ手の滴ににごる山の井の あかでも人にわかれぬる哉

(滋賀の山越にて、石井のもとで話していた人が、別れて行ったときに詠んだと思われる・歌……至極の賀の山ばで、女の井のもとにて、もの、言っていた男が、離れた折りに詠んだらしい・歌)つらゆき

(掬う手の滴に濁る山の井の、水満足するまで飲めないで、人と別れてしまうのだなあ……結ぶ手が、もののしずくに汚れる山ばのおんなが、飽き満ち足りることなく、人と離れてしまうのだなあ)。

 

 

「滋賀…志賀…所の名。名は戯れる。至賀、至極の賀、山ばの頂上」「石井…石の井…石の言の心は女…女の井…おんな」「折…時…逝」。

「むすぶ…掬う…結ぶ」「滴…水滴…しづく…雫…液滴」「にごる…濁る…汚れる」「山…山ば」「井…おんな」「あかでも…飽き満ち足りることなく…不満足のまま」「あか…閼伽…聖水…水…飽か」「人…偶然であった男…合った女」「ぬる…ぬ…なってしまう…してしまう」「哉…かな…感嘆…詠嘆」。

 

 

お互い急かされないのに、すぐ離れてゆくのですねえ――歌の清げな姿。

別れ行く見知らぬ人を、不快にはさせない無難な挨拶。

 

結び合うて、もののしずくに汚れる山ばのおんなが、飽き満ち足りることなく、男と離れてしまうのだなあ――心におかしきところ。

この歌を聞き取った男は、すぐのちに、または時が経ってから、「心におかし」と思えて、心が和むだろう。

 

この貫之の和歌を、藤原俊成は『古来風躰抄』で絶賛している。その原文は「この歌、むすぶ手と置けるより、雫に濁る山の井のと言いて、あかでもなど言へる、大方すべて、詞、言の続き、限りなく侍るなるべし、歌の本躰は、ただこの歌なるべし」。

 

貫之の歌を正当に聞き取れば、俊成の絶賛ぶりも正当に聞き取ることができるだろう。そのとき、われわれは、平安時代の和歌の文脈に、一歩踏み入ったのである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (403)しゐて行人をとゞめむさくら花

2018-01-27 20:29:50 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

(題しらず)           (よみ人しらず)

しゐて行人をとゞめむさくら花 いづれを道とまどふまで散れ

 

(強いて帰り行く男を、とゞめたいの、桜花よ、いずれを道とまどふまで散ってよ……気ままに逝く男を止めてやる、おとこ花よ、どこを通い路かと惑うほどに、咲き散れ)

 

「しゐてしひて…強いて…恣意で…勝手気ままに」「行人…出立する人…帰り行く人…逝く男…逝くおとこ」「む…意思を表す…したい…してやる」「さくら花…木の花…男花…おとこ花」「木…言の心は男」「道…路…通い路…おとこの通い路…おんな」「ちれ…散ってよ…言い放ち…散れ…命令形…咲き散れ」。

 

帰りゆく男を留めたいの、桜花、道が分からなくなるほどに、咲き散らして――歌の清げな姿。

気を抜くな、おとこはなよ、精一杯に咲き散れ――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (402)かきくらしことは降らなむ春雨に

2018-01-26 20:13:06 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

(題しらず)           (よみ人しらず)

かきくらしことは降らなむ春雨に 濡衣きせて君をとゞめむ

(題知らず)           (詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(天空暗くして、できれば降ってほしい、その春雨に濡衣きせて、悪い春雨ねと、帰れない君を、我が宿に留めましょう……掻きくらし果てて、こと成れば古びる、降ってほしい春雨に罪負わせて、空が暗い帰れないわよ、貴身、わが身に留まってほしい)。

 

 

「かきくらし…暗くして…掻き暮らし」「かき…接頭語…掻き」「くらし…(天空)暗らし…(心)暗くして…暮らし…ものの果てが来て」「ことは…ことば…できる事ならば…事は…行為は…ものごとは」「降らなむ…降ってほしい…古らなむ…古びるでしょう…果て逝くでしょう」「なむ…してほしい…願望を表す…するでしょう…するに違いない…確実な推量を表す」。

 

朝帰る男を留めようと、策を弄する妻女の独り言――歌の清げな姿。

本降りの、その時のおとこ雨に何としても降られなければ、貴身を離さない、おんなの情念――心におかしきところ。

 

大堅でなくとも、たいていのおとこは、ほだされる・情愛のきずなに縛られることだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)



帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (401)限りなく思ふ涙にそほちぬる

2018-01-25 20:27:33 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

(題しらず)            (よみ人しらず)

限りなくおもふ涙にそほちぬる 袖はかはかじ逢はん日までに

(題しらず)             (詠み人しらず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(限りなく君を恋しく思う泪に、濡れた衣の袖は、乾かないでしょう、次に逢うはずの日までも……限りなく貴身を思う涙に、朱の土色の路濡れる、濡れたわが身の端は乾かないでしょう、また合う日までも)。

 

 

「おもふ涙…もの思う泪…喜びの涙…おとこの涙…おんなの涙」「そほちぬる…濡れてしまった…濡れに濡れた…そほ路濡れる」「そほ…赤い土色…朱…ものの色」「ち…ぢ…じ…地…路…おんな」「ぬる…してしまった…濡れる」「袖…衣の袖…身の端…おんな」「あはん…逢うであろう…合うはずである」「までに…までも…それほどまでも…程度をはっきり表す」。

 

朝帰る男の耳元で囁いた妻女のことば――歌の清げな姿。

限りなく満たされたおんなの本音のようである。――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (400)飽かずしてわかるゝ袖のしらたまを 

2018-01-24 20:22:41 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                                             ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

 

題しらず              よみ人しらず

飽かずしてわかるゝ袖のしらたまを きみが形見と包みてぞ行

(題しらず)              (詠み人しらず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(飽かずして別れてしまう、わたしの涙の真珠を、君の形見と思って袖に包んで、行く君を思う……満足できずして離される、身の端の白玉を、貴身の遺品と、筒見てぞ、わたしも逝くの)。

 

 

 「飽かずして…満足できず…心ゆかず」「わかる…別れる…分かれる…離れる」「ゝ…る…される(受身)…てしまう(自然にそうなる)」「袖…衣の袖…身の端…おんな、おとこ」「しらたま…真珠…白玉…涙の玉…おとこの白い涙」「きみ…君…貴身」「つつみて…包みて…慎みて…包み隠して…筒見て」「見…覯…媾…まぐあい」「筒…空洞…おとこを侮辱や揶揄する言葉」「行…ゆく(体言止め、余情がある)…逝く」。


 これらが、藤原俊成の言う「浮言綺語に似た歌言葉の戯れ」である。国学も国文学もこれを無視して一義に解釈したが、すべてを引き受けて和歌を聞けば、「心におかしきところ」が顕れる。

 

離別される、女のあきらめに似た情況――歌の清げな姿。

飽き足りぬまま分け離される、おんなの本音、これを俊成は煩悩即菩提と言った――心におかしきところ。

 

山ばの果ての男らの勝手な思いに対抗する、おんなの本音の歌が以下四首続く。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)