【あらすじ】
新宿で働く安サラリーマン、山田一雄45歳。将来の希望などさしたるものもない独身暮らし。楽しみといえば給料日に歌舞伎町のキャパクラへ行くことぐらいだった。この男がある日、奇妙な夢を見始める。白髭の老人との対話の末に、夢旅行へ誘われ、時空を超えた旅が始まる。やがて辿り着いた世界は、20XX年の新宿だった。
(右下の欄のカテゴリーで、1章から順にお読みください)
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~~14~~
標高四十四・六メートルの箱根山の北斜面の半分が崩れ、四方へ樹木が木っ端微塵に吹き飛ばされて赤茶けた土砂が露出している。しかし旧陸軍が空爆を想定して建設した地下基地は、コンクリートによる分厚い天井構造が施されており、直接の破壊は免れていた。ドリーマーがここを本拠とした理由は軍事攻撃にも耐えられる基地だったからである。
古い地下基地があるという噂は、都市伝説のひとつであった。もちろん防衛省は、都内にあるこうした旧軍部の地下要塞を把握していたが、老朽化したものであり、利用価値のない穴蔵と考えていた。現在、市ヶ谷防衛省には核攻撃に耐えられるシェルターが設置してあり、地下のハイテク司令センターとなっている。三島由紀夫が「亡国の兵士よ目覚めよ!」と叫び、割腹自殺した祈念の地だ。
見向きもされない穴蔵はドリーマーたちに好都合だった。旧陸軍地下司令部のさらに五メートル下に、彼らの新たな地下基地司令部が建設されていた。その地下基地の真上で爆破攻撃が起こり、防衛省直轄の治安部隊が投入されたのである。
今まさに、その箱根山の周囲、東西南北それぞれの位置に小隊が銃座を設置してテロ攻撃に備えていた。よもや、その地下にドリーマーが潜んでいるとは思ってもいない。しかし、旧陸軍地下基地がアジトになっている可能性をかんがみ、真っ先に爆弾処理班と偵察隊を突入させ、地下内部を捜索していた。
古びたレンガトンネルが崩れ、地下司令部跡は廃墟と化しているだけだった。ドリーマーの基地への扉はすべて封鎖され、外部からはわからないよう処理されていた。よって旧陸軍の地下基地は、皮肉にもカモフラージュ効果を発揮していた。
○○○
午後九時の時点で、部隊長が現在の報告を部下から受け、目下、箱根山周辺で不信な動きはない模様と山本本部長に伝えた。
「まだ旧陸軍の地下基地に潜んでいる可能性はあります。地下はトンネルが張り巡らされており、そのすべてを短時間で捜索するとこは困難です」
「困難か。では地下へ催涙弾を打ち込んではどうか」と山本が言った。
「ある程度の範囲には効果がありますが全体へは効かないと思われます」
そのやり取りを聞いていた杉山が言った。
「隊員を地下へ入れてはどうでしょうか」
「危険です」部隊長が即座に答えた。「二次攻撃で爆破されれば隊員の生命にかかわり指令は出せません」
杉山は無表情だったが、口では「無謀な意見でした」と言った。
部隊長は素人が口を挟むなと腹では思っているが口には出さない。
「しかしだ」と山本が腑に落ちない表情で言った。「もし地下に潜んでいたとしてなぜ自分たちの隠れ家を爆破するのかそれが理解できん」
その疑問を受けて杉山が答えた。
「自爆テロと同種のものと思います。公園移転が通達された当日ですから。箱根山を爆破すれば全国ニュースにも流れ自分たちの立場が注目されると」
「それも考えられるが現時点では不明のことだ。とにかく現場を厳重に監視して広場の住人の安全確保と共にテログループの捜査を徹底するように」
部隊長が敬礼し、その場を離れた。杉山がそれに合わせ、「少しこの場を離れてよろしいですか」と許可を求めた。さりげなく胸を押さえる仕草を察した山本が「大丈夫か、少し休んでいていい」と言って顎をしゃくった。
「はい。まだ少し体調が戻っていないようなので、少しクルマで休んでいます」
「そうしなさい」
公園南ゲート脇に停めてあったハイブリッドカーに戻ると、車内から携帯モバイルを操作し、洋介に指令を出した。このとき洋介は運動広場にいて吉川を捜し続けていた。
「聞こえる?」
「はい」
「次の指令。作戦コード01192 谷田部に接触し、指示に従いなさい」
「ラジャー」
杉山がタバコに火を点け、いったん吸い込んだ煙をフロントグラスに向けて吹いた。その顔は数年後の国家安全保障局での、あの狐女そのものだった。
指令に従い、洋介が谷田部を探そうとすると、男が姿を現した。顎をしゃくって広場の端へうながし、ほかの者たちに声が聞こえない距離を取った。
「作戦コードは聞いたな?」
「はい。指示に従えと」
「よし。ならおまえの頭にインプットされた地図どおりに動け。合図したら行動開始だ」
「ラジャー」
すぐに洋介が動いた。広場の西側へ回り、林に身を潜めた。そこは箱根山と広場の中間地点だった。広場からも治安部隊からも死角になっている。地面の枯れ草をはらうと穴があった。中にゴミ収集袋がひとつ。洋介がその穴から魚の腐ったような異臭を放つゴミ袋を拾い上げ、新聞紙にくるまれた白い塊を取り出した。プラスチック爆弾だった。起爆スイッチを入れるとタイマーがカウントされ始めた。穴に入れ直しゴミをかぶせ枯れ草をかき入れた。
穴の位置からさらに林の奥へ進み、大樹の陰に身を寄せ、そこから銃口を治安部隊がいる方へ向けた。拳銃には発射音を消すサイレンサーが取り付けてあった。一発発射し、方向を変えながら次々に六発撃った。一発が隊員の背中に当たっていた。
もんどり打って倒れた男のすぐ横の隊員が、
「背後より攻撃アリ!」と叫んだ。
小隊が一斉に広場側に向き直り、銃口を突き出した。
班長が大声をあげた。
「一名負傷。救護班を呼べ。攻撃位置を確認せよ!」
洋介が銃に弾を装填し、今度は広場へ向け同じように発砲した。人の群れに弾が飛来し、何人かに当たった。血を流して倒れ、周囲がパニックになった。女たちが悲鳴をあげ、男らが怒号をあげた。広場で人々が逃げ惑った。
「撃ってきやがった!」
「なんでだ!」
「伏せろ!」
人の群れに潜んでいた谷田部が、拳銃をゴミ袋から出して仲間の男たちに手渡し「爆発が合図だ」と言った。
数秒後、中間地点にパッと閃光があがり、大地がドーンと轟いた。辺りに土石が飛び散った。洋介が仕掛けた爆弾だ。
「やつら大砲撃ったぞ!」
「殺される!」
男たちが怒鳴り、谷田部が「撃ち返せ!」と言った。
仕掛けられた戦闘が始まった。
谷田部らが手にした銃を治安部隊がいる箱根山へ向け、撃ちまくった。
待機していた装甲車が並んで突進し、いつでも発砲できる状態だ。隊長が拡声器で怒鳴った。
「テログループに告ぐ! 即刻、投降しなさい! これ以上戦闘行為を続ければ本隊は攻撃を開始する!」
地下基地で広場をモニターしていた高野隆が叫んだ。
「戦闘が始まったぞ!」
高野はどうしていいのかわからなかった。吉川はすでに地上に出て、洋介に接近しようとしていた矢先に起こった事態だった。
野川典子が木陰から飛び出し、洋介に向かって「吉川がいたわ!」と大声をあげた。
「どこだ!」
「あっち!」
洋介が、その方向へ走った。木の影にいた吉川が足払いを掛け、宙に躍り上がった洋介が肩口から落下した。後ろ手に固め技を極め洋介の動きを制した。
「離せ!」
それでも洋介が動くと、右腕が万力を掛けられたようにギリギリと捻れ、肩が外れた。みぞおちに拳をくらわせると洋介が目を剥いてガクンと首を折った。
洋介を草むらに引きずり込み、吉川が喝を入れた。耳元で吉川が言った。
「よく聞け! 山田一雄ゼロゼロKY 極秘指令コード発令。どこへも・どこでも・どこまでもドリーマーは夢を駆ける戦士。目を覚ましおまえの使命を発動せよ」
数秒間の沈黙・・・洋介がガクガクと身体を振動させ、背越しの吉川を跳ね飛ばした。次の瞬間、雑草の上で跳ね転がった。身体じゅうを掻きむしり、頭を土に打ち付けた。額が割れ、血が流れ出た。洋介の中でふたりの男が戦っていた。
「おれは工作員だ!」
「違う! 山田一雄ゼロゼロKYだ」
「おまえを殺す」
「おまえが眠れ」
「うるさい! ウッウウウウーッ」
「おまえの秘密知っているぞ」
「何をだ!」
「小学生で母親の乳を吸っただろうが」
「なんでそれを」
「トラウマさ」
「お、おれは石井洋介・・・杉山課長の指令に従う・・・」声がじょじょにかすれていった。
地面に転がり動かなくなった洋介が、スクッと上半身を起こした。外れた右肩がダラリと下がっているのを気にも留めず言った。
「もう頭が切り替わった。ああ、スッキリだ」
起き上がろうとし、右腕が動かないのを認め、「コレ何とかして」と肩を突き出した。吉川が肩を入れてやると、洋介がテーピングされた自分の手首を見てニヤリと笑った。「指は動く。まだ使い物になるな」
「杉山はとんだ食わせ者らしい。治安部隊とホームレスを戦わせたぞ」
「で、これからどうする?」
「いったん地下に潜るしかない。だがホームレスをどう護るか」
「おれが谷田部を捕まえ治安部隊へ引き渡す。任せてくれ」と言って自信ありげな顔をかざし、吉川の肩を叩いた。
ゼロゼロKYとなった石井洋介は広場北側の治安部隊がいない場所から人の群れに入り、寄り添い固まって動かないホームレスたちの中に谷田部の姿を追った。谷田部は暴動に使った拳銃はすでに隠し、自分もホームレスの一人として保護を求める弱い人間だとでもいうかのように輪の中でブルブル震えていた。突然の混乱で誰が犯人なのか、誰にもわからなかった。しかし、これで治安部隊により全員が検挙されることになる。
杉山がもくろんだ作戦Bの成功だった。
人混みに谷田部を発見した洋介が近寄り、光のない目で淡々と言った。
「指令どおり実行しました」
「え、何のこと?」谷田部が素知らぬ顔を装った。
「作戦B。破壊工作と銃撃戦です」
「何言ってんのか、こいつ気が狂ったんじゃないの」周囲の者に聞こえるように言って、その場から離れようとした。
「皆さん僕は食料配給班主任の石井洋介です。実はそこの谷田部さんがこの騒動を仕組んだという報告を受けました。発砲をうがながし、その拳銃も所持しているはずです」
谷田部の顔色がまったく違うものに変わっていた。周囲の男たちが一斉に谷田部を睨んだ。谷田部が声を震わせて言った。
「何言ってやがる! 調べろよそんなもんねえぞ」
「銃はもう隠しているでしょう。でも指に硝煙反応が残っている。指を嗅がせてもらいましょうか。ほら隣の人臭ってみて」
そう言ったように隣の男が谷田部の手を掴み、匂いを嗅ごうとすると激しく抵抗した。周囲のホームレスたちが「こいつを突き出せ!」と騒ぎ出した。
「では僕が連行しますから、そこのお二人は押さえるのを手伝ってください」
そう言われた男が力いっぱい谷田部を押さえ込んだ。洋介が後ろでに手錠を掛けた。谷田部が泣きそうな顔になり、わけのわからないことを口にしていた。
「おまえら、みんな投獄されるぞ。生き地獄だぞ。逆らうと殺されるんだぞ。いいのか、いいのか!」
「さあ行くぞ、おまえこそ覚悟しろ」
「おい、仲間になればいい暮らしができるんだ。まだ間に合う。な、仲間になれよ」
「おまえこそ、正直にしゃべれば刑が軽くなるぞ」
「知らないぞ。やつらに反抗すればどうなるか。おまえなんか虫けらだぞ」
「いいから歩け」
広場を離れ、人影のない林の中に入った。洋介が手錠のクサリに手を掛けて前へ引っ張り、数歩進んだ。谷田部の身体がガクンと重くなり、バサリと音を立てて倒れ込んだ。頭部側面が破裂して、白子のような脳味噌が飛び散っていた。
その場に伏せ、状況を把握した洋介は草むらに死体を引き入れた。次の行動を頭に整理するため呼吸を整えた。
――谷田部を狙撃したのは今朝、接触していた大柄な男だろう。情報部とは違う外部組織の仕業だ。杉山もその組織に関わるひとりだ。山本本部長は知らないのだろう。杉山を追って暴く。それしかない。
時計を見るとすでに午前0時を過ぎていた。南ゲートに設置された対策本部の仮設テントには山本本部長、治安部隊幹部、警察幹部らがいたが、その中に杉山の姿はなかった。洋介は、谷田部が攻撃首謀者であることを山本本部長に報告し、連行中に狙撃されたことを伝えた。そして、もう広場の人間たちに反抗する者はいないと告げ、攻撃包囲を解除してほしいと頼んだ。
捜査班がすぐに現場へ直行し、谷田部の遺体が回収され、所持品が調べられたが証拠となるような物品はなにもなかった。広場の地面からゴミ袋に入った銃砲が発見され、発砲した者が調べられた。目撃者の証言で五人の男が検挙された。どれも最近、公園村に住み始めた人間で、谷田部の誘いに乗った金品目当ての男たちだろうと察せられた。
洋介が山本に近づき、杉山の所在をたずねた。
「具合が悪そうだったから少し休んでいろと言ったが」
「そうですか」洋介が声を落として言った。「実は杉山さんの指示で谷田部は動いていたようです」
「確たる証拠があっての話だろうな。彼女は私の部下だ。憶測でそのような重大な発言は許されないぞ」
「ええ、谷田部が口を割ったんです」
「だが、その谷田部はもう証言できないだろう。むしろ君に嫌疑が掛かるが、その覚悟があって言っているのだろうな」
「もちろんです。ただ証人は死んでしまったので。お願いです今ここに杉山さんを呼んでください」
「クルマで休んでる。呼んで来なさい」
ゲート脇のトイレに入り、洋介は携帯モバイルで吉川にメール文を送信した。
――事態は一時、終息。谷田部を連行中スナイパーに狙撃。仲間5人検挙。主犯は杉山泰子。本部長に伝えたが信じていない模様
すぐに返信メールが入った。
――了解 地下基地は緊急事態レベル3に変更 帰還せよ
返信した。
――杉山を追う
携帯モバイルを仕舞い、トイレを出て門の外に出た。南ゲート脇に黒塗りのハイブリッドカーが停まっていた。だが、その中に杉山の姿はなかった。助手席側のドアレバーに手を掛けると、鍵が開いた。素早く車内に身を入れ、後部座席を見たがやはり姿はなかった。
洋介の耳奥のマイクロフォンから声が聞こえた。
「これから私の指示に従ってもらうわ」
「もうマインドコントロールは効いていない」
「知ってるわ。だけど指示に従ってちょうだい」
「どういうことだ」
「工藤香織とお腹の子のためよ」
「なるほど」
「そのクルマで臨海公園村夢の島Cブロックに来て。場所はカーナビに登録してあるわ」
「なにが交換条件だ」
「来ればわかるわ。来なければどうなるかわかるでしょ」杉山の声がサディスティックなものに変化していた。
「ああ見当はつく。今すぐに行く」
キーを回し、滑るようにハイブリッドカーが公園脇の道、南ゲートと反対側へ進んだ。そのまましばらく走り、次の角まで来てカーナビを起動させ、そのルート設定どおりにハンドルを切った。四谷を抜け、外苑西通りで首都高に乗り、日本橋方面へ向かってアクセルを吹かした。首都高もかつてのような渋滞はなく、現地到着予想時刻は五〇分後と表示されていた。実際のスピードでなら三〇分もかからないだろう。
夢の島は現在、さらに先の東京湾が埋め立てられ、広大な面積が誕生していた。そこは新海面処分場と呼ばれ、資源として再利用のできない廃棄物が埋められている。そのCブロック地点にカーナビが誘導していた。つまり、そこがホームレスらの夢の島「臨海公園村」建設地だった。
ゲート前でいったんクルマを停め、係官に情報部のlDを掲示するとすぐにゲートが開き、真っ直ぐ続くアスファルト道を進んだ。
耳奥のマイクロフォンから声がした。
「その道を進むと一番奥に五階建てのグレーの建物があるわ。その前にクルマを停めて待つように」
「わかった」
「それから変な動きを見せたらどうなるかわかっているわね」
「わかっている」
ゴミ処理工場にしか見えない窓のない建物の前に到着し、車中で待機しているとビルの扉が開き、杉山と大柄な男が出てきた。昼間、戸山公園村で谷田部と接触した男に違いなかった。
ふたりがクルマに近寄り、杉山がウインドウ越しに下りるようにと目配せした。洋介は拳銃を持っていなかったが、無表情な男が身体を調べた。股間に指を這わせたところでグッと力を込めたのは脅しだ。
「計画を邪魔してくれたわね」とだけ杉山が言い、中に付いてくるよう促した。
扉を入るとフロアの奥に大扉があり、杉山がlDと自分の瞳をスキャンして扉を開けた。長い廊下が続き、三番目のドアの前で立ち止まった。
「中に入ってその椅子に座りなさい」
言われたように椅子に座ると、後ろ手に手錠が掛けられた。
「おれを拷問するのか」
「そんな手間もいらないと思うけど」杉山がそう言って、壁のモニター画面を顎で示した。
映像には手術用ベッドに横たわった香織が映っていた。
「なにをするつもりだ」
「彼女は部下だから身体を傷つけたりはしないわ」
「なるほど」
「堕胎させるだけ」
ゼロゼロKYとしての洋介は冷静に聞いている。だが、身体の中で眠っている石井洋介が今の話を聞けば狂わんばかりに動揺することは間違いない。
「それが交換条件か」
「あら、やめてくれって頼まないの?」杉山が冷静な洋介の状態を見取って言った。
「頼んでも無駄だろう」
「もっと強いマインドコントロールを受けているみたいね」
「俺は実行可能な範囲で考えるだけだ」
「いいわ、ではこちらもそのようにするだけよ」
数分後、白衣を着た要員が部屋に来て洋介の上半身を裸にし、電気ショックの電極棒をかざして指示を待った。杉山が顎をしゃくると、要員が電極棒を洋介の肩口に当てたとたん、洋介がブルブルと全身を痙攣させ、肩の肉が異臭を放ち黒く焦げた。心電図の波が跳ね上がっている。洋介が目を剥き、口元から泡を吹いている。
「どう気持ちいいでしょ? 少しずつ電圧を上げてあげるわね。もっと気持ちよくなるから」
「こういう快感もあるんだな」言葉の余裕とは裏腹に、洋介は肩で荒い息をしていた。「だが、どこまでこの身体が保つかな。殺したらなにもわからないぞ」
「ギリギリまでよ。それが最高の快楽。その次のお楽しみもあるわ」
同じことが繰り返され、洋介の身体がエビ反りになった。肉が焼ける臭いがし、ゼイゼイと荒く息をした。
「もう、そろそろ身体が保たないぞ」
「なら話しなさい。アジトの本拠地はどこ?」
「防衛省」
「ダメね。香織さんを傷めるか」
「おれを殺せ」
「フン。じゃ、次の手ね。自白剤を打って」
杉山がそう言う横で白衣の男が注射器に薬品を注入し始めた。液を飛ばして空気を抜き、針を洋介の腕にプスリと刺した。身体中が熱くなり、頭の中に大きな波がドドドッと流れ込んできた。目を白黒させ、水面の空気を吸う金魚のようになって口をパクパクさせている。
「これなら効いちゃうでしょ。どう気分は」
「はははっ、らりるれろ」
「アジトはどこ?」
「防衛省のそのそのその」
「防衛省に関係あるところ?」
「防衛省の地下一〇〇メートルは地下トンネルで繋がり皇居も国会議事堂も東京スカイツリーも吉原ソープも歌舞伎町風俗街もみーんな繋がってらあ」
「ちょっとコレ薬が強すぎたんじゃない」
白衣の男が「もう少しすれば安定してくるはずです」と答えて洋介の顔を二三度叩いた。
「さあ、答えて。アジトはどこ?」
「アジトは戸山の」
「どこ?」
「戸山の戸山の戸山の」と壊れたレコードにように同じところを繰り返した。
洋介の脳内で、アキレスとスパルタンが言い争い、戦っていた。
――早くしゃべろ!
――うるさい! しゃべるわけにはいかない。
――このままここで抵抗していれば脳が損傷して本物のキチガイになるぞ。
――とことんまで戦うまでだ。
洋介の耳の外、遠くで杉山の声が聞こえる。
「アジトはどこなの? しっかりしなさい!」
「とんとんとやまでとんかつくいたいな」
「え? なにがって?」
「しゃべったらなにくれるのぉー」
「ねえ、コレ本当に壊れちゃたんじゃないの」杉山がそう言って、白衣の男を睨んだ。「いったん中止。明日の朝、また別の方法で責めるしかないわね」
洋介は、そのまま白い部屋に放置された。
○○○
薄ぼんやりとした意識が洋介の中に戻ってきたのはそれから数時間後だった。白い部屋にいて後ろでに手錠されていた。さすがのゼロゼロKYのマインドコントロールも限界を超え、いつもの洋介の意識が蘇り初めているのだ。
椅子ごと倒れて転げ回り、何度も嘔吐し、肩が千切れるほどヒリヒリ痛んだ。身体中が酷い船酔い状態だった。胸に強い使命感だけが固まっていた。それはゼロゼロKYからもたらされる心的サポートだ。やがて洋介が動かなくなり、気絶していた。それがせめてもの救いだった。だが、もう一度、杉山に責められれば生身の洋介の自白は必至である。
その頃、戸山公園村では事態がいったん終息し、運動広場では村民らが防災毛布にくるまり仮眠していた。一方、地下基地司令部は寝ずの体制である。携帯モバイルは杉山のハイブリッドカーのダッシュボードの裏に隠されていた。洋介がどこに向かったのか位置確認されていた。吉川と真理恵が救出に向かい、臨海公園村夢の島Cブロックに潜入していた。
GPSが位置を示したクルマが停まっている前のビルにいるに違いないと踏んだ吉川は、そのビルの裏手に回り込み、通用口からの進入を試みた。だが、一般のビルとは違い、施錠が厳重なために侵入は容易ではなかった。
「ビルの壁に穴を開けて入るしか手はないな」そう言って吉川が黒いザックから溶接バーナーを取り出した。「ブランガスなら数分で穴が空く」
外付け階段の下の死角にもぐり込んでバーナーに点火した。青白い炎が外壁に穴を空け出した。ブラウンガスは照射する物質によって熱温度が変化し、三〇〇〇度を超える熱で鉄板を溶かし切り、人ひとりが潜り込める穴が開いた。
「ボス、洋介がどこにいるのか私が中に入って探したほうが」
「あの手は君にとって危険過ぎる」
「でももう時間が」
「洋介がどこにいるか調べるだけだな」
「はい。私が霊体で侵入して場所を見つけます」
「わかった頼む。場所だけ知らせろ。すぐに追いつく。なにもするな」
「ええ」
外壁版の穴の横で真理恵がぐったりして動かなくなった。吉川がザックからブルーシートを出し、身体をくるんで階段下の奥へ押し込めた。
真理恵の身体から離れた立花葉子が壁を通り抜けビルの中に入った。長い廊下を進み、次々に部屋の中を覗き込んだ。一室で杉山がソファーから足を投げ出し、タバコを吹かしながらコーヒーを飲んでいた。
「石井が言った戸山ってことは、あの公園のどこか・・・自白剤でもしゃべらない・・・もっと痛めつけて殺すまでにしゃべらせなきゃ」
葉子は、瞬時に杉山の思念を読み取っていた。今すぐ乗り移って杉山の息の根を止めたい衝動にかられていた。たとえ自分が霊体エネルギーをすべて使い果たしてここで終わるとしても洋介を助けたかった。だが、ほかの部屋には訓練を受けた屈強な工作員たちが待機していた。今ここで騒ぎを起こすわけにはいかなかった。救出が不可能になるばかりか、吉川の身も危険に晒すことになる。
思い止まった立花葉子が廊下を漂い、洋介のいる部屋を探り当て、中に入った。嘔吐物にまみれ、倒れている洋介を見て葉子の目から涙がこぼれた。身体はなくともエネルギー体の感情反応は人と同じだった。
通風口から天井裏を這っていた吉川が、葉子の思念をキャッチした。
――今いる通風管の五メートル先を左に折れて、そのまま進んで三つ目の通風口がこの部屋です。
「大丈夫か?」
――洋介は気絶してるだけです。
「すぐに行く」
吉川が音を立てず急ぎ進み、天井付近の通風口からを開いた。身体は入れず、まずビデオカメラで室内の動画を撮った。それを室内監視カメラに接続させ、カモフラージュを施して室内に下りた。
「葉子、そこにいるか」
――はい。
「ならもう真理恵の身体に戻れ」
――わかりました。
ガスバーナーで手錠のクサリを焼き切り、洋介の身体にワイヤーを回し、電動ウインチで通風口へ引き上げた。三〇秒の早業であった。
一方すでに部屋を離れた霊体の葉子は、廊下を漂いながら杉山がいる部屋の前で止まり、中へ入った。
杉山泰子はソファーに身体を伸ばして目を閉じていた。葉子がその身体にすーっと身を重ね合わせた。「ウッ」と一言発したがそのまま眠っていた。
杉山は浅い眠りの隙間で夢を見ている。
遊園地のようなところにいて、鬼ごっこをしている。自分が追われていた。手にはソフトクリームをしっかり握り、それを奪われないよう必至で鬼から逃げている六歳の少女だ。黄色みを帯びたそのソフトクリームが溶けだし、どろどろと溶けて先端から消えていく。ケタケタ笑う鬼が追いかけて来る。泰子ちゃんのなめるぞー、全部なめてあげるぞー。鬼が恐いわけではなかった。自分の物を奪われるのが恐いのだ。鬼は近所に住んでいる青年の顔だった。
夢を覗き見て葉子が、だれにもトラウマはあるのだと思った。それから杉山の記憶が詰まっている言語脳、左脳へ入った。
言葉の渦、記号の嵐――そこに何度も表出するワードは、喪失・復讐・死、それから勝利・征服・階級であった。葉子はその渦と嵐の中で最新の言語ユニットを探った。洋介・戸山・計画といったカテゴリー・ワードを見つけ、そこにフォーカスし、杉山の身体から離れた。真理恵に意識を向け、飛ぶように移動すると、階段下で吉川が真理恵の身体を揺さぶっている最中だった。
その数秒後、真理恵が目を開けた。
「意識は同調したか?」
「ええ、もう」
「すぐ戻ってなかったな」
「そうです」
「なにかあったのか?」
「あとで話しますから急ぎましょう」
洋介を背に抱えた吉川が、ハイブリッドカーに向け携帯モバイルをかざし、それから埠頭まで移動して岸壁に停めてあったゴムボートに乗り込んだ。モーターを起動させるとボートが音もなく暗い波間に消え、その直後にハイブリッドカーのダッシュボードが発火した。洋介の携帯モバイルが燃え、内蔵チップのデータが消去されていた。
新宿で働く安サラリーマン、山田一雄45歳。将来の希望などさしたるものもない独身暮らし。楽しみといえば給料日に歌舞伎町のキャパクラへ行くことぐらいだった。この男がある日、奇妙な夢を見始める。白髭の老人との対話の末に、夢旅行へ誘われ、時空を超えた旅が始まる。やがて辿り着いた世界は、20XX年の新宿だった。
(右下の欄のカテゴリーで、1章から順にお読みください)
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標高四十四・六メートルの箱根山の北斜面の半分が崩れ、四方へ樹木が木っ端微塵に吹き飛ばされて赤茶けた土砂が露出している。しかし旧陸軍が空爆を想定して建設した地下基地は、コンクリートによる分厚い天井構造が施されており、直接の破壊は免れていた。ドリーマーがここを本拠とした理由は軍事攻撃にも耐えられる基地だったからである。
古い地下基地があるという噂は、都市伝説のひとつであった。もちろん防衛省は、都内にあるこうした旧軍部の地下要塞を把握していたが、老朽化したものであり、利用価値のない穴蔵と考えていた。現在、市ヶ谷防衛省には核攻撃に耐えられるシェルターが設置してあり、地下のハイテク司令センターとなっている。三島由紀夫が「亡国の兵士よ目覚めよ!」と叫び、割腹自殺した祈念の地だ。
見向きもされない穴蔵はドリーマーたちに好都合だった。旧陸軍地下司令部のさらに五メートル下に、彼らの新たな地下基地司令部が建設されていた。その地下基地の真上で爆破攻撃が起こり、防衛省直轄の治安部隊が投入されたのである。
今まさに、その箱根山の周囲、東西南北それぞれの位置に小隊が銃座を設置してテロ攻撃に備えていた。よもや、その地下にドリーマーが潜んでいるとは思ってもいない。しかし、旧陸軍地下基地がアジトになっている可能性をかんがみ、真っ先に爆弾処理班と偵察隊を突入させ、地下内部を捜索していた。
古びたレンガトンネルが崩れ、地下司令部跡は廃墟と化しているだけだった。ドリーマーの基地への扉はすべて封鎖され、外部からはわからないよう処理されていた。よって旧陸軍の地下基地は、皮肉にもカモフラージュ効果を発揮していた。
○○○
午後九時の時点で、部隊長が現在の報告を部下から受け、目下、箱根山周辺で不信な動きはない模様と山本本部長に伝えた。
「まだ旧陸軍の地下基地に潜んでいる可能性はあります。地下はトンネルが張り巡らされており、そのすべてを短時間で捜索するとこは困難です」
「困難か。では地下へ催涙弾を打ち込んではどうか」と山本が言った。
「ある程度の範囲には効果がありますが全体へは効かないと思われます」
そのやり取りを聞いていた杉山が言った。
「隊員を地下へ入れてはどうでしょうか」
「危険です」部隊長が即座に答えた。「二次攻撃で爆破されれば隊員の生命にかかわり指令は出せません」
杉山は無表情だったが、口では「無謀な意見でした」と言った。
部隊長は素人が口を挟むなと腹では思っているが口には出さない。
「しかしだ」と山本が腑に落ちない表情で言った。「もし地下に潜んでいたとしてなぜ自分たちの隠れ家を爆破するのかそれが理解できん」
その疑問を受けて杉山が答えた。
「自爆テロと同種のものと思います。公園移転が通達された当日ですから。箱根山を爆破すれば全国ニュースにも流れ自分たちの立場が注目されると」
「それも考えられるが現時点では不明のことだ。とにかく現場を厳重に監視して広場の住人の安全確保と共にテログループの捜査を徹底するように」
部隊長が敬礼し、その場を離れた。杉山がそれに合わせ、「少しこの場を離れてよろしいですか」と許可を求めた。さりげなく胸を押さえる仕草を察した山本が「大丈夫か、少し休んでいていい」と言って顎をしゃくった。
「はい。まだ少し体調が戻っていないようなので、少しクルマで休んでいます」
「そうしなさい」
公園南ゲート脇に停めてあったハイブリッドカーに戻ると、車内から携帯モバイルを操作し、洋介に指令を出した。このとき洋介は運動広場にいて吉川を捜し続けていた。
「聞こえる?」
「はい」
「次の指令。作戦コード01192 谷田部に接触し、指示に従いなさい」
「ラジャー」
杉山がタバコに火を点け、いったん吸い込んだ煙をフロントグラスに向けて吹いた。その顔は数年後の国家安全保障局での、あの狐女そのものだった。
指令に従い、洋介が谷田部を探そうとすると、男が姿を現した。顎をしゃくって広場の端へうながし、ほかの者たちに声が聞こえない距離を取った。
「作戦コードは聞いたな?」
「はい。指示に従えと」
「よし。ならおまえの頭にインプットされた地図どおりに動け。合図したら行動開始だ」
「ラジャー」
すぐに洋介が動いた。広場の西側へ回り、林に身を潜めた。そこは箱根山と広場の中間地点だった。広場からも治安部隊からも死角になっている。地面の枯れ草をはらうと穴があった。中にゴミ収集袋がひとつ。洋介がその穴から魚の腐ったような異臭を放つゴミ袋を拾い上げ、新聞紙にくるまれた白い塊を取り出した。プラスチック爆弾だった。起爆スイッチを入れるとタイマーがカウントされ始めた。穴に入れ直しゴミをかぶせ枯れ草をかき入れた。
穴の位置からさらに林の奥へ進み、大樹の陰に身を寄せ、そこから銃口を治安部隊がいる方へ向けた。拳銃には発射音を消すサイレンサーが取り付けてあった。一発発射し、方向を変えながら次々に六発撃った。一発が隊員の背中に当たっていた。
もんどり打って倒れた男のすぐ横の隊員が、
「背後より攻撃アリ!」と叫んだ。
小隊が一斉に広場側に向き直り、銃口を突き出した。
班長が大声をあげた。
「一名負傷。救護班を呼べ。攻撃位置を確認せよ!」
洋介が銃に弾を装填し、今度は広場へ向け同じように発砲した。人の群れに弾が飛来し、何人かに当たった。血を流して倒れ、周囲がパニックになった。女たちが悲鳴をあげ、男らが怒号をあげた。広場で人々が逃げ惑った。
「撃ってきやがった!」
「なんでだ!」
「伏せろ!」
人の群れに潜んでいた谷田部が、拳銃をゴミ袋から出して仲間の男たちに手渡し「爆発が合図だ」と言った。
数秒後、中間地点にパッと閃光があがり、大地がドーンと轟いた。辺りに土石が飛び散った。洋介が仕掛けた爆弾だ。
「やつら大砲撃ったぞ!」
「殺される!」
男たちが怒鳴り、谷田部が「撃ち返せ!」と言った。
仕掛けられた戦闘が始まった。
谷田部らが手にした銃を治安部隊がいる箱根山へ向け、撃ちまくった。
待機していた装甲車が並んで突進し、いつでも発砲できる状態だ。隊長が拡声器で怒鳴った。
「テログループに告ぐ! 即刻、投降しなさい! これ以上戦闘行為を続ければ本隊は攻撃を開始する!」
地下基地で広場をモニターしていた高野隆が叫んだ。
「戦闘が始まったぞ!」
高野はどうしていいのかわからなかった。吉川はすでに地上に出て、洋介に接近しようとしていた矢先に起こった事態だった。
野川典子が木陰から飛び出し、洋介に向かって「吉川がいたわ!」と大声をあげた。
「どこだ!」
「あっち!」
洋介が、その方向へ走った。木の影にいた吉川が足払いを掛け、宙に躍り上がった洋介が肩口から落下した。後ろ手に固め技を極め洋介の動きを制した。
「離せ!」
それでも洋介が動くと、右腕が万力を掛けられたようにギリギリと捻れ、肩が外れた。みぞおちに拳をくらわせると洋介が目を剥いてガクンと首を折った。
洋介を草むらに引きずり込み、吉川が喝を入れた。耳元で吉川が言った。
「よく聞け! 山田一雄ゼロゼロKY 極秘指令コード発令。どこへも・どこでも・どこまでもドリーマーは夢を駆ける戦士。目を覚ましおまえの使命を発動せよ」
数秒間の沈黙・・・洋介がガクガクと身体を振動させ、背越しの吉川を跳ね飛ばした。次の瞬間、雑草の上で跳ね転がった。身体じゅうを掻きむしり、頭を土に打ち付けた。額が割れ、血が流れ出た。洋介の中でふたりの男が戦っていた。
「おれは工作員だ!」
「違う! 山田一雄ゼロゼロKYだ」
「おまえを殺す」
「おまえが眠れ」
「うるさい! ウッウウウウーッ」
「おまえの秘密知っているぞ」
「何をだ!」
「小学生で母親の乳を吸っただろうが」
「なんでそれを」
「トラウマさ」
「お、おれは石井洋介・・・杉山課長の指令に従う・・・」声がじょじょにかすれていった。
地面に転がり動かなくなった洋介が、スクッと上半身を起こした。外れた右肩がダラリと下がっているのを気にも留めず言った。
「もう頭が切り替わった。ああ、スッキリだ」
起き上がろうとし、右腕が動かないのを認め、「コレ何とかして」と肩を突き出した。吉川が肩を入れてやると、洋介がテーピングされた自分の手首を見てニヤリと笑った。「指は動く。まだ使い物になるな」
「杉山はとんだ食わせ者らしい。治安部隊とホームレスを戦わせたぞ」
「で、これからどうする?」
「いったん地下に潜るしかない。だがホームレスをどう護るか」
「おれが谷田部を捕まえ治安部隊へ引き渡す。任せてくれ」と言って自信ありげな顔をかざし、吉川の肩を叩いた。
ゼロゼロKYとなった石井洋介は広場北側の治安部隊がいない場所から人の群れに入り、寄り添い固まって動かないホームレスたちの中に谷田部の姿を追った。谷田部は暴動に使った拳銃はすでに隠し、自分もホームレスの一人として保護を求める弱い人間だとでもいうかのように輪の中でブルブル震えていた。突然の混乱で誰が犯人なのか、誰にもわからなかった。しかし、これで治安部隊により全員が検挙されることになる。
杉山がもくろんだ作戦Bの成功だった。
人混みに谷田部を発見した洋介が近寄り、光のない目で淡々と言った。
「指令どおり実行しました」
「え、何のこと?」谷田部が素知らぬ顔を装った。
「作戦B。破壊工作と銃撃戦です」
「何言ってんのか、こいつ気が狂ったんじゃないの」周囲の者に聞こえるように言って、その場から離れようとした。
「皆さん僕は食料配給班主任の石井洋介です。実はそこの谷田部さんがこの騒動を仕組んだという報告を受けました。発砲をうがながし、その拳銃も所持しているはずです」
谷田部の顔色がまったく違うものに変わっていた。周囲の男たちが一斉に谷田部を睨んだ。谷田部が声を震わせて言った。
「何言ってやがる! 調べろよそんなもんねえぞ」
「銃はもう隠しているでしょう。でも指に硝煙反応が残っている。指を嗅がせてもらいましょうか。ほら隣の人臭ってみて」
そう言ったように隣の男が谷田部の手を掴み、匂いを嗅ごうとすると激しく抵抗した。周囲のホームレスたちが「こいつを突き出せ!」と騒ぎ出した。
「では僕が連行しますから、そこのお二人は押さえるのを手伝ってください」
そう言われた男が力いっぱい谷田部を押さえ込んだ。洋介が後ろでに手錠を掛けた。谷田部が泣きそうな顔になり、わけのわからないことを口にしていた。
「おまえら、みんな投獄されるぞ。生き地獄だぞ。逆らうと殺されるんだぞ。いいのか、いいのか!」
「さあ行くぞ、おまえこそ覚悟しろ」
「おい、仲間になればいい暮らしができるんだ。まだ間に合う。な、仲間になれよ」
「おまえこそ、正直にしゃべれば刑が軽くなるぞ」
「知らないぞ。やつらに反抗すればどうなるか。おまえなんか虫けらだぞ」
「いいから歩け」
広場を離れ、人影のない林の中に入った。洋介が手錠のクサリに手を掛けて前へ引っ張り、数歩進んだ。谷田部の身体がガクンと重くなり、バサリと音を立てて倒れ込んだ。頭部側面が破裂して、白子のような脳味噌が飛び散っていた。
その場に伏せ、状況を把握した洋介は草むらに死体を引き入れた。次の行動を頭に整理するため呼吸を整えた。
――谷田部を狙撃したのは今朝、接触していた大柄な男だろう。情報部とは違う外部組織の仕業だ。杉山もその組織に関わるひとりだ。山本本部長は知らないのだろう。杉山を追って暴く。それしかない。
時計を見るとすでに午前0時を過ぎていた。南ゲートに設置された対策本部の仮設テントには山本本部長、治安部隊幹部、警察幹部らがいたが、その中に杉山の姿はなかった。洋介は、谷田部が攻撃首謀者であることを山本本部長に報告し、連行中に狙撃されたことを伝えた。そして、もう広場の人間たちに反抗する者はいないと告げ、攻撃包囲を解除してほしいと頼んだ。
捜査班がすぐに現場へ直行し、谷田部の遺体が回収され、所持品が調べられたが証拠となるような物品はなにもなかった。広場の地面からゴミ袋に入った銃砲が発見され、発砲した者が調べられた。目撃者の証言で五人の男が検挙された。どれも最近、公園村に住み始めた人間で、谷田部の誘いに乗った金品目当ての男たちだろうと察せられた。
洋介が山本に近づき、杉山の所在をたずねた。
「具合が悪そうだったから少し休んでいろと言ったが」
「そうですか」洋介が声を落として言った。「実は杉山さんの指示で谷田部は動いていたようです」
「確たる証拠があっての話だろうな。彼女は私の部下だ。憶測でそのような重大な発言は許されないぞ」
「ええ、谷田部が口を割ったんです」
「だが、その谷田部はもう証言できないだろう。むしろ君に嫌疑が掛かるが、その覚悟があって言っているのだろうな」
「もちろんです。ただ証人は死んでしまったので。お願いです今ここに杉山さんを呼んでください」
「クルマで休んでる。呼んで来なさい」
ゲート脇のトイレに入り、洋介は携帯モバイルで吉川にメール文を送信した。
――事態は一時、終息。谷田部を連行中スナイパーに狙撃。仲間5人検挙。主犯は杉山泰子。本部長に伝えたが信じていない模様
すぐに返信メールが入った。
――了解 地下基地は緊急事態レベル3に変更 帰還せよ
返信した。
――杉山を追う
携帯モバイルを仕舞い、トイレを出て門の外に出た。南ゲート脇に黒塗りのハイブリッドカーが停まっていた。だが、その中に杉山の姿はなかった。助手席側のドアレバーに手を掛けると、鍵が開いた。素早く車内に身を入れ、後部座席を見たがやはり姿はなかった。
洋介の耳奥のマイクロフォンから声が聞こえた。
「これから私の指示に従ってもらうわ」
「もうマインドコントロールは効いていない」
「知ってるわ。だけど指示に従ってちょうだい」
「どういうことだ」
「工藤香織とお腹の子のためよ」
「なるほど」
「そのクルマで臨海公園村夢の島Cブロックに来て。場所はカーナビに登録してあるわ」
「なにが交換条件だ」
「来ればわかるわ。来なければどうなるかわかるでしょ」杉山の声がサディスティックなものに変化していた。
「ああ見当はつく。今すぐに行く」
キーを回し、滑るようにハイブリッドカーが公園脇の道、南ゲートと反対側へ進んだ。そのまましばらく走り、次の角まで来てカーナビを起動させ、そのルート設定どおりにハンドルを切った。四谷を抜け、外苑西通りで首都高に乗り、日本橋方面へ向かってアクセルを吹かした。首都高もかつてのような渋滞はなく、現地到着予想時刻は五〇分後と表示されていた。実際のスピードでなら三〇分もかからないだろう。
夢の島は現在、さらに先の東京湾が埋め立てられ、広大な面積が誕生していた。そこは新海面処分場と呼ばれ、資源として再利用のできない廃棄物が埋められている。そのCブロック地点にカーナビが誘導していた。つまり、そこがホームレスらの夢の島「臨海公園村」建設地だった。
ゲート前でいったんクルマを停め、係官に情報部のlDを掲示するとすぐにゲートが開き、真っ直ぐ続くアスファルト道を進んだ。
耳奥のマイクロフォンから声がした。
「その道を進むと一番奥に五階建てのグレーの建物があるわ。その前にクルマを停めて待つように」
「わかった」
「それから変な動きを見せたらどうなるかわかっているわね」
「わかっている」
ゴミ処理工場にしか見えない窓のない建物の前に到着し、車中で待機しているとビルの扉が開き、杉山と大柄な男が出てきた。昼間、戸山公園村で谷田部と接触した男に違いなかった。
ふたりがクルマに近寄り、杉山がウインドウ越しに下りるようにと目配せした。洋介は拳銃を持っていなかったが、無表情な男が身体を調べた。股間に指を這わせたところでグッと力を込めたのは脅しだ。
「計画を邪魔してくれたわね」とだけ杉山が言い、中に付いてくるよう促した。
扉を入るとフロアの奥に大扉があり、杉山がlDと自分の瞳をスキャンして扉を開けた。長い廊下が続き、三番目のドアの前で立ち止まった。
「中に入ってその椅子に座りなさい」
言われたように椅子に座ると、後ろ手に手錠が掛けられた。
「おれを拷問するのか」
「そんな手間もいらないと思うけど」杉山がそう言って、壁のモニター画面を顎で示した。
映像には手術用ベッドに横たわった香織が映っていた。
「なにをするつもりだ」
「彼女は部下だから身体を傷つけたりはしないわ」
「なるほど」
「堕胎させるだけ」
ゼロゼロKYとしての洋介は冷静に聞いている。だが、身体の中で眠っている石井洋介が今の話を聞けば狂わんばかりに動揺することは間違いない。
「それが交換条件か」
「あら、やめてくれって頼まないの?」杉山が冷静な洋介の状態を見取って言った。
「頼んでも無駄だろう」
「もっと強いマインドコントロールを受けているみたいね」
「俺は実行可能な範囲で考えるだけだ」
「いいわ、ではこちらもそのようにするだけよ」
数分後、白衣を着た要員が部屋に来て洋介の上半身を裸にし、電気ショックの電極棒をかざして指示を待った。杉山が顎をしゃくると、要員が電極棒を洋介の肩口に当てたとたん、洋介がブルブルと全身を痙攣させ、肩の肉が異臭を放ち黒く焦げた。心電図の波が跳ね上がっている。洋介が目を剥き、口元から泡を吹いている。
「どう気持ちいいでしょ? 少しずつ電圧を上げてあげるわね。もっと気持ちよくなるから」
「こういう快感もあるんだな」言葉の余裕とは裏腹に、洋介は肩で荒い息をしていた。「だが、どこまでこの身体が保つかな。殺したらなにもわからないぞ」
「ギリギリまでよ。それが最高の快楽。その次のお楽しみもあるわ」
同じことが繰り返され、洋介の身体がエビ反りになった。肉が焼ける臭いがし、ゼイゼイと荒く息をした。
「もう、そろそろ身体が保たないぞ」
「なら話しなさい。アジトの本拠地はどこ?」
「防衛省」
「ダメね。香織さんを傷めるか」
「おれを殺せ」
「フン。じゃ、次の手ね。自白剤を打って」
杉山がそう言う横で白衣の男が注射器に薬品を注入し始めた。液を飛ばして空気を抜き、針を洋介の腕にプスリと刺した。身体中が熱くなり、頭の中に大きな波がドドドッと流れ込んできた。目を白黒させ、水面の空気を吸う金魚のようになって口をパクパクさせている。
「これなら効いちゃうでしょ。どう気分は」
「はははっ、らりるれろ」
「アジトはどこ?」
「防衛省のそのそのその」
「防衛省に関係あるところ?」
「防衛省の地下一〇〇メートルは地下トンネルで繋がり皇居も国会議事堂も東京スカイツリーも吉原ソープも歌舞伎町風俗街もみーんな繋がってらあ」
「ちょっとコレ薬が強すぎたんじゃない」
白衣の男が「もう少しすれば安定してくるはずです」と答えて洋介の顔を二三度叩いた。
「さあ、答えて。アジトはどこ?」
「アジトは戸山の」
「どこ?」
「戸山の戸山の戸山の」と壊れたレコードにように同じところを繰り返した。
洋介の脳内で、アキレスとスパルタンが言い争い、戦っていた。
――早くしゃべろ!
――うるさい! しゃべるわけにはいかない。
――このままここで抵抗していれば脳が損傷して本物のキチガイになるぞ。
――とことんまで戦うまでだ。
洋介の耳の外、遠くで杉山の声が聞こえる。
「アジトはどこなの? しっかりしなさい!」
「とんとんとやまでとんかつくいたいな」
「え? なにがって?」
「しゃべったらなにくれるのぉー」
「ねえ、コレ本当に壊れちゃたんじゃないの」杉山がそう言って、白衣の男を睨んだ。「いったん中止。明日の朝、また別の方法で責めるしかないわね」
洋介は、そのまま白い部屋に放置された。
○○○
薄ぼんやりとした意識が洋介の中に戻ってきたのはそれから数時間後だった。白い部屋にいて後ろでに手錠されていた。さすがのゼロゼロKYのマインドコントロールも限界を超え、いつもの洋介の意識が蘇り初めているのだ。
椅子ごと倒れて転げ回り、何度も嘔吐し、肩が千切れるほどヒリヒリ痛んだ。身体中が酷い船酔い状態だった。胸に強い使命感だけが固まっていた。それはゼロゼロKYからもたらされる心的サポートだ。やがて洋介が動かなくなり、気絶していた。それがせめてもの救いだった。だが、もう一度、杉山に責められれば生身の洋介の自白は必至である。
その頃、戸山公園村では事態がいったん終息し、運動広場では村民らが防災毛布にくるまり仮眠していた。一方、地下基地司令部は寝ずの体制である。携帯モバイルは杉山のハイブリッドカーのダッシュボードの裏に隠されていた。洋介がどこに向かったのか位置確認されていた。吉川と真理恵が救出に向かい、臨海公園村夢の島Cブロックに潜入していた。
GPSが位置を示したクルマが停まっている前のビルにいるに違いないと踏んだ吉川は、そのビルの裏手に回り込み、通用口からの進入を試みた。だが、一般のビルとは違い、施錠が厳重なために侵入は容易ではなかった。
「ビルの壁に穴を開けて入るしか手はないな」そう言って吉川が黒いザックから溶接バーナーを取り出した。「ブランガスなら数分で穴が空く」
外付け階段の下の死角にもぐり込んでバーナーに点火した。青白い炎が外壁に穴を空け出した。ブラウンガスは照射する物質によって熱温度が変化し、三〇〇〇度を超える熱で鉄板を溶かし切り、人ひとりが潜り込める穴が開いた。
「ボス、洋介がどこにいるのか私が中に入って探したほうが」
「あの手は君にとって危険過ぎる」
「でももう時間が」
「洋介がどこにいるか調べるだけだな」
「はい。私が霊体で侵入して場所を見つけます」
「わかった頼む。場所だけ知らせろ。すぐに追いつく。なにもするな」
「ええ」
外壁版の穴の横で真理恵がぐったりして動かなくなった。吉川がザックからブルーシートを出し、身体をくるんで階段下の奥へ押し込めた。
真理恵の身体から離れた立花葉子が壁を通り抜けビルの中に入った。長い廊下を進み、次々に部屋の中を覗き込んだ。一室で杉山がソファーから足を投げ出し、タバコを吹かしながらコーヒーを飲んでいた。
「石井が言った戸山ってことは、あの公園のどこか・・・自白剤でもしゃべらない・・・もっと痛めつけて殺すまでにしゃべらせなきゃ」
葉子は、瞬時に杉山の思念を読み取っていた。今すぐ乗り移って杉山の息の根を止めたい衝動にかられていた。たとえ自分が霊体エネルギーをすべて使い果たしてここで終わるとしても洋介を助けたかった。だが、ほかの部屋には訓練を受けた屈強な工作員たちが待機していた。今ここで騒ぎを起こすわけにはいかなかった。救出が不可能になるばかりか、吉川の身も危険に晒すことになる。
思い止まった立花葉子が廊下を漂い、洋介のいる部屋を探り当て、中に入った。嘔吐物にまみれ、倒れている洋介を見て葉子の目から涙がこぼれた。身体はなくともエネルギー体の感情反応は人と同じだった。
通風口から天井裏を這っていた吉川が、葉子の思念をキャッチした。
――今いる通風管の五メートル先を左に折れて、そのまま進んで三つ目の通風口がこの部屋です。
「大丈夫か?」
――洋介は気絶してるだけです。
「すぐに行く」
吉川が音を立てず急ぎ進み、天井付近の通風口からを開いた。身体は入れず、まずビデオカメラで室内の動画を撮った。それを室内監視カメラに接続させ、カモフラージュを施して室内に下りた。
「葉子、そこにいるか」
――はい。
「ならもう真理恵の身体に戻れ」
――わかりました。
ガスバーナーで手錠のクサリを焼き切り、洋介の身体にワイヤーを回し、電動ウインチで通風口へ引き上げた。三〇秒の早業であった。
一方すでに部屋を離れた霊体の葉子は、廊下を漂いながら杉山がいる部屋の前で止まり、中へ入った。
杉山泰子はソファーに身体を伸ばして目を閉じていた。葉子がその身体にすーっと身を重ね合わせた。「ウッ」と一言発したがそのまま眠っていた。
杉山は浅い眠りの隙間で夢を見ている。
遊園地のようなところにいて、鬼ごっこをしている。自分が追われていた。手にはソフトクリームをしっかり握り、それを奪われないよう必至で鬼から逃げている六歳の少女だ。黄色みを帯びたそのソフトクリームが溶けだし、どろどろと溶けて先端から消えていく。ケタケタ笑う鬼が追いかけて来る。泰子ちゃんのなめるぞー、全部なめてあげるぞー。鬼が恐いわけではなかった。自分の物を奪われるのが恐いのだ。鬼は近所に住んでいる青年の顔だった。
夢を覗き見て葉子が、だれにもトラウマはあるのだと思った。それから杉山の記憶が詰まっている言語脳、左脳へ入った。
言葉の渦、記号の嵐――そこに何度も表出するワードは、喪失・復讐・死、それから勝利・征服・階級であった。葉子はその渦と嵐の中で最新の言語ユニットを探った。洋介・戸山・計画といったカテゴリー・ワードを見つけ、そこにフォーカスし、杉山の身体から離れた。真理恵に意識を向け、飛ぶように移動すると、階段下で吉川が真理恵の身体を揺さぶっている最中だった。
その数秒後、真理恵が目を開けた。
「意識は同調したか?」
「ええ、もう」
「すぐ戻ってなかったな」
「そうです」
「なにかあったのか?」
「あとで話しますから急ぎましょう」
洋介を背に抱えた吉川が、ハイブリッドカーに向け携帯モバイルをかざし、それから埠頭まで移動して岸壁に停めてあったゴムボートに乗り込んだ。モーターを起動させるとボートが音もなく暗い波間に消え、その直後にハイブリッドカーのダッシュボードが発火した。洋介の携帯モバイルが燃え、内蔵チップのデータが消去されていた。
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