礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『アラビアのロレンス』これで見納め(その2)

2023-12-28 01:29:50 | コラムと名言

◎『アラビアのロレンス』これで見納め(その2)

 映画評論家の青木茂雄さんのエッセイ「『アラビアのロレンス』これで見納め」を紹介している。本日は、その二回目。
 冒頭に、「当ブログでかなり以前に連載していたの『アラビアのロレンス』論」とあるが、これは、2015年4月14日の当ブログに掲載した「観るたびに発見のあった映画 『アラビアのロレンス』 その1」、および、翌15日に掲載した「同2」、「同3」を指している。

『アラビアのロレンス』これで見納め(2)         青 木 茂 雄

 見納め『アラビアのロレンス』論に入る前に、当ブログでかなり以前に連載していたの『アラビアのロレンス』論の未掲載原稿を発見したのでまず、それを掲載する。かなり時間がたっていることを御容赦願いたい。

 観るたびに発見のあった映画  『アラビアのロレンス』4

 前回の掲載から随分月日がたった。1999年に新宿のコマ劇場で完全版を2回続けて観て、実はこれまで何にも見ていなかった、などということを書いたところで長く中断してしまった。直接的な理由は、当時書き残したメモと短文が見つからないということだったが、何かと忙しさにかまけて中断したままだった。このまま放って置くと、そのうち私の記憶から消えてしまうという危惧を感じたので、とりあえず今、頭の中で思い起こすことができることのみを材料にして書き記す。言わば暫定的な「アラビアのロレンス論」の決定版である。

1.主題のシンメトリー構造について
 この作品の冒頭シーンはロレンス(ピーター・オトゥール)が郷里をオートバイで疾走中転倒事故死。そして次が、ロンドンのセント・ポール大聖堂での葬儀。アレンビー元将軍(ジャック・ホーキンス)が通りかかると、新聞記者がインタビュー、「ロレンスについてどう思うか」、元将軍は「第1次世界大戦におけるアラビア戦線でロレンスの果たした功績云々」を述べると、記者はさらに、「ロレンスという人物についてはどうか」と食い下がる、それに対してアレンビーは「よく知らない(I don't know him well)」と切り抜ける。そこに居合わせたかつてロレンスを取材したアメリカ人新聞記者ベントレー(アーサー・ケネディ)がすかさず割って入り、彼の知っているロレンスについて語り、そして最後に「彼は変人だ」と吐き捨てるように言うと、そこへ赤ら顔の元将兵が詰め寄り「ロレンスにそういうことを言うのはけしからん」と怒る(この赤ら顔の英国将兵が実は正体不明、後述)。アメリカ人新聞記者が「あなたはロレンスを知っているのか」と問うと元将兵は「良くは知らないが握手はした」と応える。
 そして、このシーンの次に、かつての上官(アンソニー・クウェイル)ともう一人がロレンス評をしめくくる。上官が感慨をこめてロレンスを追想すると、もう一人が「しかし、ここに祀るに値しますかな(I wonder if he deserves here)」と疑問を呈する。観客の関心はいやおうもなくロレンスに集中する。
 それに続けてカイロの英国軍司令部の地下室でのロレンス。地下室の小窓から駱駝が数頭荷役で通りかかるのが見える。その駱駝をちらりと視線を送り、そして机上のアラビア半島の地図にコンパスをあてがって見入るロレンス。そこへ部下がアラビア語の新聞を届けに来る…。
 シナリオ技法の教則本から取ったような無理のない自然な展開である。これから4時間近く続く長丁場の冒頭である。この長さを苦に感じさせないのは、この冒頭のシークエンスでロレンスという人物の謎かけを行ってしまっているからだ。この映画の最後のカットに至るまで、すべてのシーンとカットがロレンス抜きにはあり得ないし、観客の目は知らず知らずのうちにロレンスの目と同致してしまう。
 この冒頭のシークエンスはロレンスという人物の心象を次の3つに分けて描いている。
A ロレンス個人、これを象徴するのがオートバイ
B 英国、これを象徴するのがカーキ色の軍服姿の将兵
C アラビア、これを象徴するのが駱駝と砂漠
 冒頭のシークエンスはていねいにA→B→Cの順で描かれている。
 さて、ラストはどうなっているか。
 ロレンスは除隊と英国帰還の命を受ける。砂漠の中をジープに同乗して帰還の途につく。映画の前半で見せた、あの幻想的な砂漠とは違って(ロケ地が全く別)、うってかわったゴツゴツした何の変哲もないただの荒れ地である。その中の一本道をすれ違いざまに、いかにもみすぼらしげな駱駝の隊列、トラックに乗った英国将兵、そしてバイクで一人疾走する英兵。モーリス・ジャールのテーマが寂しげに流れる。ロレンスは立ち上がり、これらに寂しげな視線を投げかけたのちに、助手席で落胆するロレンスのクローズアップでENDのマーク。※
 つまり、このラストシーンでは冒頭とは逆にC→B→Aがという順を踏んでいる、ということがわかる。そして最後に見たバイクで一人疾走する英兵の姿は、そのまま冒頭の疾走するロレンス自身の姿に連なっていくのである。
 見事なシンメトリー構造と循環構造である。「アラビアのロレンス」という映画はこうまでも緻密なシナリオ構成の上に成り立っていることに、私はまず驚いたのである。

※後に、インターネットで知ったが、この映画では、人物の登場シーンはすべて画面左から右へ、このラストシーンは画面右から左へと退場していく。なるほど、観ている人は観ているものだ。上には上がある(脱帽)マニアおそるべし。
登場と退場の右と左には、もしかしたら深層心理学的な意味があるのかもしれない。    (つづく)

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