◎家永三郎博士と「SM趣味」
東京教育大学名誉教授であった家永三郎博士には、SM趣味があり、SM作家・団鬼六の評論集に寄稿していたとか、少なくない量のSM関連資料を遺したという話がある。こんな話は、もちろん、「一般の」本には載っていない。私は、宮崎学+大谷昭宏『殺人率』(太田出版、二〇〇四)を読み、宮崎学氏の発言(一一ページ)によって、それを知ったのである。
家永三郎博士に、SM趣味があったか否かを判断することはできないが、生前の博士がSM文学に「理解を示していた」ことは、まぎれもない事実である。
雑誌『みすず』の一九八三年一月号(通巻二六九号)は、「一九八二年読書アンケート」特集で、ほぼ全ページがそれにあてられている。
このアンケートの趣旨は、次の通り。
――一九八二年中にお読みになった書物のうち、とくに興味を感じられたものを、五点以内で挙げていただけますよう、おねがいいたしました。(到着順) 編集部
その冒頭にあるのは、家永三郎博士の回答である。ということは、家永博士の回答が、最初に到着したということであろう。
家永三郎(日本史)
『団鬼六 暗黒文学の世界』平岡正明・岡庭昇編 三一書房発行
おそらく「良識」ある人々から「俗悪醜怪」と目されているにちがいない対象に、一定の歴史的位置づけと意味づけを与えることに成功した? のは、たいしたことである。知的遊戯の要素が多分に含まれているようだけれど、はじめから遊びのつもりならば、それはそれでよいではないか。私のように、明治憲法下のきびしい出版検閲下で「健全」な書物しか読めずに半生を送ってきた人間にとっては、こういう本を公然と読めるだけでも、今日まで生きながらえた甲斐があったとの思いを禁じえない。
家永三郎博士は、「一九八二年中にお読みになった書物のうち、とくに興味を感じられたもの」として、この一冊のみを挙げている。しかも、おそらく、アンケートを依頼された直後に、これを返送している。自分の回答が、特集号の冒頭に来ることを、当然、計算に入れていたと思う。
この回答を読んだのは、つい最近のことだが、博士の「意外な一面」を確認したと同時に、「こういう本を公然と読めるだけでも、今日まで生きながらえた甲斐があった」という気どらない言いまわしに、ひそかに好感をいだいたのであった。