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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「私は縄文人ですから……」清水多吉

2025-04-16 00:16:53 | コラムと名言
◎「私は縄文人ですから……」清水多吉

 青木茂雄さんの、「追悼 清水多吉」と題する追悼文を紹介している。本日は、その二回目。

 そういう中、1978年3月に、その「寺小屋論」主催で公開シンポジウム(日本思想とヨーロッパ思想の比較」がテーマだったと思うが、手元に資料がないので正確には不明)が行われた。その関連で、どういう脈絡であったかは思い出せないが、何人かで大崎の立正大学の清水多吉研究室を訪問し、清水さんにシンポジウムの趣旨の説明をする際に私も同行した。当時の立正大学は戦後につくられた粗削りのコンクリートの校舎のまま、小高い丘のうえにあったと記憶している。
 そのシンポジウムは、高田馬場駅近くにある当時の新宿区立勤労福祉会館の中のやや大きめの会議室で開かれた。私には、話がどれもこれも難しくて、なかなかついていくのが大変だったが、そういうとき、清水さんが「メダルの裏表」という言い回しで、あっさりまとめて整理したことで何か判った気になった、とかすかに憶えている。残念ながらその話の内容はすっかり忘れてしまったが……。
 そういうわずかな記憶をたよりに、再度お目にかかった清水多吉先生に私の自己紹介をした。元寺小屋教室の青木です」、と言っても、合点が行かれたかどうかは不明であるが、その時以降私は講師控室等で清水さんにいろいろと話をうかがう機会を幾度か得た。
 清水さんは、たいてい講師室の一角に陣取って、いつも数冊の本を熱心にひもといていた。私は、「先生、今何をお調べですか」と時折たずねた。するとある時はあの福本和夫の『日本捕鯨史話』を示して、現在調べている最中とのこと。後で知ったが、2014年には『柳田國男の後継者 福本和夫』という厚い本を著した。
 清水さんは、いつもノートにポールペンで一心に何かメモをとっていた。また、あるときは、「今は近代日本の唱歌について調べているところです。私は縄文人ですから、このように(パソコンを使わずに)筆記しています」と言われた。「いや私も同様で、せいぜい弥生人です」とはまで言わなかったが、それに似たようなあいづちを打った。
 話はたいていそれまでで、それ以上にはあまり進まなかった。何か非常に急いでいるように見えて無駄口をきく気になれなかったのである。
 当時清水さんの関心は哲学よりはむしろ思想史、とくに近代日本思想史であったようである。2010年にはミネルヴァ書房から明治期の啓蒙思想家『西周』の評伝も出していた。

       ◇        ◇        ◇
 この文章を書くにあたって、書庫の奥から(まだちゃんと保管してあった)、「寺小屋雑誌」なる小冊子を何冊か引っ張り出して、ぱらぱらとめくり、いささか懐旧の念にひたったが、その「寺小屋雑誌」11号(1980年12月発行)に清水多吉さんが音楽について書いた文章が掲載されている。「『歌』と『思い』と」というタイトルの短い文章で、話体で書かれていて読みやすい文章だったが、清水さんがクラシック音楽にこれほど造詣が深かったと初めて知った。私もクラシック音楽好きでは人後に落ちないとひそかに自負していたので、生前にもっと話を聞いておくべきだったと悔やまれる。クラシック音楽愛好家としては丸山眞男がつとに有名であり、丸山の場合はもっぱらヴァーグナーであるが、清水多吉さんもこのころヴァーグナー音楽について本を書いていた(『ヴァーグナー家の人々』中公新書)。(私の苦手とするのがヴァーグナーのとくに楽劇だ。とにかく常に鳴り響いているあの音楽の流れには。ヴァーグナーというとニーチェだが、ニーチェは晩年にはヴァーグナーには愛想を尽かし、ビゼーの『カルメン』を絶賛していたとか。ニーチェはまだ常人だったか。)
 この小文によると、西洋の古典音楽はポリフォニー(多声)とハルモニー(和声)をもって成立し、ルネサンス期から古典派、ロマン派を経て、「ヴァーグナーの楽劇において最高度の完成の域に達し、それ以後は内的崩壊を余儀なくされている」とのことである。
 「グレゴリオ聖歌」の音楽の基本は単旋律にあり、それが人間の感情とじかに接している。人間の喜怒哀楽はすべて単旋律を基本とする。ヴァーグナーの楽劇ポリフォニーとハルモニーを全面展開させたもので、アドルノによれば「大衆社会、管理社会の先行イメージとを同時に含んだ音楽だ」ということになる。
 その西洋近代音楽と対極の位置にあるのが、アジアの音楽で、日本の邦楽では単旋律がもっぱらで和声は登場しない。そのさらに極にあるのが沖縄のノロの歌であろうか。人間の原初的感情が原初的に止まる限り、それは「ウメキ」「悲鳴」「ウナリ」「ナク」以外にはなくなってしまうだろう、と清水多さんは結論づける。
さて、そのような観点から見ると、近代日本で学校教育とともに広まった「唱歌」とはどのようなものとしてうけとめられたであろうか。
 清水多吉さんが、人生の最後の頃になって、近代日本の「唱歌」に着目したのはどのような思いからであったろうか。もはや聞くすべもない。思いを馳せるだけである。【以下、次回】

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