◎小島祐馬の「読書人としての河上博士」を読む
一昨日は、『回想の河上肇』(世界評論社、1948)から、津田青楓の「河上さんの風貌と女の話」という文章を紹介した。
同じ本から、本日以降、小島祐馬の「読書人としての河上博士」という文章を紹介したい。この文章は、かなり長いが(15~30ページ)、貴重な文献と思われるので、全文を紹介したい。
小島祐馬(おじま・すけま、1881~1966)は東洋史学者、京都帝国大学名誉教授。『古代支那研究』(弘文堂書房、1943)などの著書がある。
読書人としての河上博士 小 島 祐 馬
河上博士の文章は平明暢達〈ヘイメイチョウタツ〉で、人を引附ける力カがあり、且つ難解の学理も、博士の筆を通しては非常に解り易いものになるのが常であつた。これは元来先天的に芸術家としての資質を有して居られた上に、文章に骨を折られたことも大なる素因であり、その人を引附ける力は主としてその人格の現はれであらうが、その難解の学理を解り易く説述せられる転は、その頭脳の澄徹〈チョウテツ〉せることと共に、読書の精緻といふことが、何よりも根本的な条件であつたと思ふ。
世間では「よく書く者はよく読まず」といふやうなたことが言はれ、これにも一面の真理はあるが、河上博士の場合それは当箝らぬ〈アテハマラヌ〉。博士はよくものを書かれたと同時に、またよく書物を読まれた。よく読まれたと言ふことは広く多数の書物を読まれたといふ意味ではなく、よき書物を時間を惜しんで精読せられたといふ意味である。その読書の方法は、一度通読してこれはよい書物であると思つた時は、立て続けに二度繰返して読まれ、特に勝れた書物であると思つた時は、立て続けに三度読み返して居られた。例へば『経済論叢』第四巻第二号〔1917年2月〕に紹介せられたスマートの『一経済学者の第二思想』などは続けざまに二度読んだと言つて居られたが、マルクスの『資本論』は『社会問題研究』に解説を書かれる前三度続けざまに読んで居られた。大学で講義をしたり雑誌に論文を書くことになると、講義をする為めに、又は原稿を書く為めに、書物を読むといふ風になりがちのものであるが、博士の場合は傍〈ハタ〉から観てゐると、どうも書く為めに読むのではなく、読んだ為めに書くやうに見えた。随つて広く種々の問題を取扱ふのではなく、同じ問題を何遍も書いて居られた。「いつも新しいものを書くのがよいのでは無く、同じ問題を何遍も取扱ふのでなければいかぬ」といふことは、博士自身がいつか櫛田民蔵〈クシダ・タミゾウ〉君に言つて居られたことを聞いたことがある。それで書物の読み方も大変精密で、版本による文字の異同などもよく注意され、時には用語のエチモロジー〔etymology〕などまで深く穿鑿〈センサク〉して居られた。今博士の読書人としての面目を窺ふ為めに、博士から私へあててよこされた若干の手翰をこゝに公表させて頂くこととする。〈15~16ページ〉【以下、次回】
一昨日は、『回想の河上肇』(世界評論社、1948)から、津田青楓の「河上さんの風貌と女の話」という文章を紹介した。
同じ本から、本日以降、小島祐馬の「読書人としての河上博士」という文章を紹介したい。この文章は、かなり長いが(15~30ページ)、貴重な文献と思われるので、全文を紹介したい。
小島祐馬(おじま・すけま、1881~1966)は東洋史学者、京都帝国大学名誉教授。『古代支那研究』(弘文堂書房、1943)などの著書がある。
読書人としての河上博士 小 島 祐 馬
河上博士の文章は平明暢達〈ヘイメイチョウタツ〉で、人を引附ける力カがあり、且つ難解の学理も、博士の筆を通しては非常に解り易いものになるのが常であつた。これは元来先天的に芸術家としての資質を有して居られた上に、文章に骨を折られたことも大なる素因であり、その人を引附ける力は主としてその人格の現はれであらうが、その難解の学理を解り易く説述せられる転は、その頭脳の澄徹〈チョウテツ〉せることと共に、読書の精緻といふことが、何よりも根本的な条件であつたと思ふ。
世間では「よく書く者はよく読まず」といふやうなたことが言はれ、これにも一面の真理はあるが、河上博士の場合それは当箝らぬ〈アテハマラヌ〉。博士はよくものを書かれたと同時に、またよく書物を読まれた。よく読まれたと言ふことは広く多数の書物を読まれたといふ意味ではなく、よき書物を時間を惜しんで精読せられたといふ意味である。その読書の方法は、一度通読してこれはよい書物であると思つた時は、立て続けに二度繰返して読まれ、特に勝れた書物であると思つた時は、立て続けに三度読み返して居られた。例へば『経済論叢』第四巻第二号〔1917年2月〕に紹介せられたスマートの『一経済学者の第二思想』などは続けざまに二度読んだと言つて居られたが、マルクスの『資本論』は『社会問題研究』に解説を書かれる前三度続けざまに読んで居られた。大学で講義をしたり雑誌に論文を書くことになると、講義をする為めに、又は原稿を書く為めに、書物を読むといふ風になりがちのものであるが、博士の場合は傍〈ハタ〉から観てゐると、どうも書く為めに読むのではなく、読んだ為めに書くやうに見えた。随つて広く種々の問題を取扱ふのではなく、同じ問題を何遍も書いて居られた。「いつも新しいものを書くのがよいのでは無く、同じ問題を何遍も取扱ふのでなければいかぬ」といふことは、博士自身がいつか櫛田民蔵〈クシダ・タミゾウ〉君に言つて居られたことを聞いたことがある。それで書物の読み方も大変精密で、版本による文字の異同などもよく注意され、時には用語のエチモロジー〔etymology〕などまで深く穿鑿〈センサク〉して居られた。今博士の読書人としての面目を窺ふ為めに、博士から私へあててよこされた若干の手翰をこゝに公表させて頂くこととする。〈15~16ページ〉【以下、次回】
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