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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

引揚げ前、京都で博士にお目にかゝることが出来た(小島祐馬)

2025-04-08 00:18:14 | コラムと名言
◎引揚げ前、京都で博士にお目にかゝることが出来た(小島祐馬)

『回想の河上肇』(世界評論社、1948)から、小島祐馬の「読書人としての河上博士」という文章を紹介している。本日は、その八回目(最後)。

 博士の書斎生活は嚮に〈サキニ〉挙げたスマートの手紙に共鳴することによつてもわかるやうに、いつも休息を知らない努力の連続であつたに拘らず、学問上の事であらば専門の違ふ私の如きものまで、何とかして引張つていつてやらうと云ふ親切と余裕とを有つて居られ、それは一旦実際運動に投ぜられた後でも変る所が無かつたのである。次いで昭和七年〔1932〕二月二十四日の消印ある手翰が来てから後、長い間音信を絶つてゐたが、十二年〔1937〕七月に至り「家出してから足掛け六年目に帰つて来ました」といふ手紙を東京からよこされ、そこで博士は三度書斎の人となつたのである。しかし此度は今までの経済学やマルクス学とは違ひ、天分として持つてゐられた芸術の方面に傾いて、主として漢詩に親しむやうになつて来られた。私が京都を去る少し前昭和十六年〔1941〕の秋に東京からよこされた左の手翰は、読書人としての博士の晩年の生活の一斑を窺ふに足るものがあらう。

 拝啓。何彼と御多忙の御事と存じますが、引続き御元気でゐらせられますか。追々御還暦の御祝日を迎へさせらるゝ御事と存じますが、いつかのお話通り、之を機会に御郷里へ御引上げの事かと拝察致し、寂しき気が致します。私の方では只今上海から娘がこれまで預かつて居た孫を迎へに帰つて居り、やがて、老夫婦二人になり、跡が寂しくなるので、京都の上の娘が心配いたし、ぜひ京都の方へ移るやうにと勧めますので、私達もその気になり、適当な貸家が見付かればその中〈ウチ〉貴地へ転居致度存じ居りますが、折角転居しても学兄がおいででなくなるかと思へば甚だ残念であります。私はこの六月その筋の達しにもとづき謂はゆる左翼文献は内外の出版物一つ残さず納本致しましたので、殊に現在では、支那の本ばかり見て居ります。偶然にも私は陸放翁〔陸游〕に邂逅いたし、その作品に親みて昨今飽くことを知らずに居りますが、どうかすると字引を引いても何をしても分からぬ事があり、殊に坐右に何等の文献をも持ち合せず、また新たに欲しいと思ふ本も容易には買ひ得られぬ現状でありますので、さうした場合、いつも学兄の御上を思ひ出だし、御定年後いくらかお暇になつたところで、御近所に住まふことが出来ればどのやうにか仕合せするだらうと思ひ思ひ相過ごして居ましたのに、今やつと自分が京都へ移らうとする時に学兄はお去りになるのだらうかと考へ、繰返し残念に存じ居るところであります。〔以下略〕十月十四日 河上 肇拝

として其後に近作の五言古詩が一首録されてゐる。尤も博士が漢詩に興味を有たれたのは恐らく早くからのことであつて、大正の末年には私のところから『詩韻活法』など持つて行かれたことがあつた。たゞ特に漢詩に親しむやうになられたのは、未決に居られた頃からであつて、それは或人から差入れた鈴木豹軒〔虎雄〕先生の『白楽天詩解』を読んで大変興味を覚えられ、つゞいて陶淵明や王維や蘇東坡など読みたいから適当な解釈本があらば知らして欲しいと云ふことを、夫人を通じて言つて見えたことがあつた。出所後始めてお目に懸り談偶〻〈タマタマ〉此事に及んだ時、東坡の国訳本など実に無責任で若し自分に筆の自由があらば少し書いてやりたいぐらゐであると言つて居られた。博士が京都に移つて来らるゝことが案外早かつたので、私は引揚げ前京都で博士にお目にかゝることが出来、又引揚げ後も時々京都に行き其都度御訪ねしては長時間御邪魔をしてゐたが、昭和十八年〔1943〕の夏以後は交通事情その他の理由から身動きが出来にくくなり、折々文通はしてゐながら遂に親しく学問上のお話を聴く機会を得ずして終つたことは、返す返すも遺憾の極みである。
 蘇東坡の詩に「横看成嶺側成峯 遠近高低各不同 不識盧山真面目 只縁身在此山中」といふのがある。私は比較的近いところで河上博士を看てゐたので恐らく博士の真面目〈シンメンモク〉はわかるまい。読書人としての博士の面影、それが私に取つては最も懐しい忘れ難いものである。〈27~30ページ〉

 小島祐馬は、1941年(昭和16)、京都帝国大学文学部教授を定年退官し、翌1942年(昭和17)には高知に帰郷している。文中、「引揚げ」は、このことを指している。京都での住所は、左京区北白川平井町、高知での住所は吾川(あがわ)郡春野町(はるのちょう)だった。


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