私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

淋しいなぁ

2019-01-26 | 7追憶する
「淋しい」なんて言葉は避けてきたし、そんな言葉を発すること自体が嫌だった。
美しくないし、しみったれていてひどく格好が悪い言葉だと感じていた。
自分の生活には添わないものだと考えていたし、殊更に言上げする事でもないと考えた。

しかし、最近しばしば思う。
素直に淋しいと。
生きてゆくことは淋しい。
一人でいることはもちろん淋しいし、誰かといてもやはり淋しさは忍び込む。

ひとりで居ることは、私にとってとても自然な状態だった。
幼いころからずっとひとり居る環境におかれ、暮らしていた。

だから社会性が育まれなかったし、集団の中に居ることは得意でなかった。
私がもっと賢い人間であったなら、ひとりで無理なく生きられる道を模索したはずだった。

だが、私は余り頭の良い存在ではなかったのだ。

ひとりでいることの多い環境で育まれた人間が、「淋しい」という感覚を認める事は、苦しい日常を意識することに繋がる。
そんなことは意識せず、考えないことが、安穏に生活する術だったろう。
目先の生活だけやり過ごすのであればだが。

そんな自分の成り立ちを漸く認識し、自然に「淋しい」とつぶやく事ができるようになった。
もう沢山の時間を費やし、遅きに失したかもしれないけれど。
もう前向きに人生を発展させる可能性は僅かかもしれないけれど。

しかし、現実をありのまま認めることは、混沌としたカオスの海から這い出す第一段階であると思っている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旅猫リポート | トップ | 思考を触発する映画とドラマ(1) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。