私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

信仰はないのだが…

2009-10-28 | 6悩む
大いなるストレスはやり過ごしたつもりだったのだが、ここのところ遊走性の刺痛に悩まされている。

場所が定まらない、刺すような痛みである。

こいつに深夜、不意に襲われると、いよいよ癌かはたまた切った貼ったを要する異変が起きているか…とまぁ追い詰められ、眠れなくなってしまうので、余り深く考えないようにしている。

東洋医学の原理によれば、瘀血(おけつ)に原因するもので、気や血の滞りによる症状といったことになるのだろう。

カメラで覗いても、写真をとっても、明解な異常には辿り着かないので、従来通りで変化がないならば、いわゆる瘀血の症状なのだろうと考えている。

昨夜も不意にこの刺痛に襲われ、浅い眠りを破られた私は、あろうことか経文を胸の奥で唱え始めた。
私個人に信仰はなく、いわゆる代々その宗旨で法事をとり行ってきたというだけに過ぎないのだが、記憶の拠り所は、何故かしら縁の深かった祖母が、まだ元気な頃、朝な夕なに仏壇に向かって唱えていた経文のリズムである。

おぼろげに記憶されているくだりを口中で呟いてみると、不思議と痛みが治まった。

知識の体系の頂には、宗教や哲学があると学んだ記憶がある。

幾年にも渡って培われた歴史のなせる業か、個人の記憶が導くのか、判然としないのだが、不思議な力が経文などの言葉には宿るのかもしれない…。

依然として信仰心などが私の胸に芽生える気配はないのだが、歴史を経て語り継がれてきた言葉をなぞってみたい気分になっている。
コメント
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