私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

おひとりさまの体質①

2011-09-01 | 5考える
「女は女に生まれるのではなく女になるのだ」とはボーボワール女史のお言葉であるが、近頃思うのは「おひとりさまはおひとりさまになるのではなく、自らおひとりさまを選択しているのだ」ということ。

おひとりさまという言葉でくくられる人たちは増加の一途。
様々な様態のおひとりさまがいて、特に高齢者のおひとりさまについては、人生の終末期に色々な支障が生じるケースが量としてまとまったものになってきているのだろう、地方でも士業の方たちを中心に、高齢のおひとりさまをサポートする事業の立ち上げが始まっている。

高齢期にはまだもう少し間があるというおひとりさまには、地域社会やおひとりさま同士での連携をつくっておくことなどが言われているようだが、おひとりさま同士の連携や連帯は存外難しいものだ。

これは私の経験だが、似通った(基本的には皆恐ろしく個性的でありピンポイントの共通項があるにすぎない)幾人かのおひとりさまとの交流を断つことがある。

事情はケースごと異なるのだが、自分も含めてどのおひとりさまも非常にデリケートで頑ななのだ。

長く付き合いのある友人おひとりさまの場合は、時間やこちらの都合お構いなしで、まるで家族のようにボーダレスで頻繁に連絡をしてきた。
自らは非通知で電話をかけるが、相手からの電話は番号通知でないと受けない…という非常に身勝手でデリケートなタイプ。
こちらの状況を推し量ることはなく、私が話したことも余り記憶してくれてはいない。
ただだらだらと、あまり意味のない彼女周辺の卑近なあれこれを頻繁に聞かされることに、もう長い間辟易としていたのだ。

私に家族がいない気安さと、一方で抱えているだろう心細さを察して、家族同様に対応しようという想いは感じられたが、私は彼女に家族としての期待をしてはいない。

長くおひとりさま生活を続けていると、自分だけの生活リズムやスタイルが確立され、それを変革したり乱したりされることを嫌う傾向がある。

ある時とうとう我慢ができなくなり、時間を選ばず繰り返される余り重要でないコンタクトを迷惑だと伝え、私は静かで気ままなおひとりさま生活を取り戻した。
コメント
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