Kanpo-Masterです。
漢方に取り組み始めてからは、不定愁訴にフタをしなくなり、診療スタイルが大きく変化したのを体感している。漢方は存在そのものがエビデンスである、と強く思う。Impact factorの高い雑誌により西洋医学のエビデンスは一日でひっくり返ることもあるけど、、漢方にはそれがない。いらない薬は自然淘汰されていくからだ。と思う。
腹証図解漢方常用処方解説という本は高山先生が書いた本ですが、イメージで漢方を捉えるのに非常にグッドだと思います。漫画チックで僕は好きです。エビデンスを知っておくことは大事だと思うけど、それが全てじゃない、といつも思っています。
写真:張仲景
張仲景(ちょうちゅうけい)(150?-219?)
張仲景、名は機、後漢のころの南陽郡涅(でつ)陽(よう)(河南省鎮平県東北部)の人。文献上の考証では、桓帝の和平元年(150)に生まれ、献帝の建安24年(219)卒。享年はおよそ70歳。仲景は幼い頃から「群書に博通」し、10代ですでに地方に名前が広まっていた。霊帝のときに、孝廉に推挙され、50歳のころには長沙の太守(県知事のような政治家)となった。しかし彼が有名なのは政治家としてではなく、『傷寒雑病論』という医学書の著者としてである
漢方に取り組み始めてからは、不定愁訴にフタをしなくなり、診療スタイルが大きく変化したのを体感している。漢方は存在そのものがエビデンスである、と強く思う。Impact factorの高い雑誌により西洋医学のエビデンスは一日でひっくり返ることもあるけど、、漢方にはそれがない。いらない薬は自然淘汰されていくからだ。と思う。
腹証図解漢方常用処方解説という本は高山先生が書いた本ですが、イメージで漢方を捉えるのに非常にグッドだと思います。漫画チックで僕は好きです。エビデンスを知っておくことは大事だと思うけど、それが全てじゃない、といつも思っています。
写真:張仲景
張仲景(ちょうちゅうけい)(150?-219?)
張仲景、名は機、後漢のころの南陽郡涅(でつ)陽(よう)(河南省鎮平県東北部)の人。文献上の考証では、桓帝の和平元年(150)に生まれ、献帝の建安24年(219)卒。享年はおよそ70歳。仲景は幼い頃から「群書に博通」し、10代ですでに地方に名前が広まっていた。霊帝のときに、孝廉に推挙され、50歳のころには長沙の太守(県知事のような政治家)となった。しかし彼が有名なのは政治家としてではなく、『傷寒雑病論』という医学書の著者としてである
眼力がすごいボスです。(ってたまにボスがあんずを見ているようなので、この辺で、、)
私はエビデンスを構築する職種ですので、その辺は非常に興味深く思います。
あと、来年の感染症学会の予告見ました。親分が会長でしょうか?この時期の東京少し遠いです。(気分的にも・・・)