今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

信貴山 朝護孫子寺 その1(奈良県生駒郡平群町大字信貴山)

2013年12月24日 | 神社・仏閣
この日は朝から強い雨が降り続いていた。
昨日の鞍馬寺の疲れもあり、写真の整理をしながら道の駅で過ごしていた。
昼頃になり、急に雨が止み青空が広がってきたため、予定していた朝護孫子寺に向かうことにした。

信貴山 朝護孫子寺 
朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)の信貴山にある信貴山真言宗総本山の寺である。本尊は毘沙門天
駐車場近くに鳥居があり迎えてくれる



さらに進むと黄色の虎と上にはお堂が見えてくる



世界一大福虎
寅の年、寅の日、寅の刻に四天王の一である毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、その加護によって物部氏に勝利したことから、寺の至る所に虎の張り子が置かれている






山の中腹に見えるのは舞台造りの本堂



すぐ先には「子虎」



僧侶から「ようおまいり」と声をかけられる

 

赤門



参道を歩いていると、ここが寺なのか神社なのか悩んでしまう



榧の木稲荷
神木 榧(かや)の木 樹齢1500年 蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るために争っていた時代のもの



聖徳太子像
物部氏に勝利した聖徳太子は、594年(推古2年)に毘沙門天を祀る寺院を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとする



本坊



名木「梅の木(樹齢400年)」 織田信長の攻略に遭い灰燼に帰した本堂を、豊臣秀頼が再建し、梅の木をこの霊地に手植えして祈願所とした



虚空蔵堂



虚空蔵菩薩(丑年・寅年生まれの守り本尊)を安置



石造五重塔






経蔵堂(一切経蔵) 



 


霊宝館 

 

霊宝館の右にある石段を上がると本堂に続く



朝護孫子寺 本堂
902年(延喜2年)に醍醐天皇が、「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺としたことから、「朝護孫子寺」の勅号を賜った
昭和33年(1958年)に復興された朱塗りの欄干をもつ舞台造り(懸造)の建物
昭和26年(1951年)に焼失した旧本堂は豊臣秀頼の本願により片桐且元を奉行として再建されたものだった



毘沙門天王像は『お前立ち』とも呼ばれ、この像の後ろに『中秘仏』、さらに奥に『奥秘仏』が納められている



本堂正面扁額の両側の百足(むかで)は毘沙門天王の使いとされる



本堂からの風景



朝護孫子寺は拝観料がないため境内案内図のないまま迷路のような参道をあるいて、やっとの思いで本堂にたどり着いた。
このような状態なので、ブログを作成して初めてだが自分の撮った写真と記憶が全く一致せず困っている。

不安だが次回に続く 


撮影 平成25年11月15日

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