今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

戒壇院(福岡県太宰府市観世音寺5-6-1)

2023年07月30日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月22日

観世音寺を訪れたときに金堂をずっと戒壇院だと思い発信してきた
金堂の奥に戒壇院があり今回初めて訪れた

戒壇院
奈良時代において、出家者が正式の僧尼となるために必要な戒律を授けるために設置された施設
筑紫野の戒壇は天平宝字5年(761年)聖武天皇勅願により観音寺境内に設置された
「筑紫戒壇院」「西戒壇」とも称される



西戒壇として、中央戒壇(奈良の東大寺)・東戒壇(栃木の下野薬師寺)とともに「天下三戒壇」の1つである
元禄16年(1703年)福岡藩主 黒田光之の藩命により博多禅宗、四ヶ寺(聖福寺、崇福寺、承天寺、妙楽寺)の管理下に置かれ観世音寺から独立
明治6年(1873年)臨済宗妙心寺派 博多 聖福寺の末寺となった



戒壇院の菩提樹(太宰府市指定天然記念物)



境内の石仏



地蔵菩薩
地蔵菩薩は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊
釈尊が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされる






鐘楼・梵鐘(福岡県指定文化財)






山門(東門)



天平勝宝5年(753年)12月20日に唐僧 鑑真は仏舎利を携え薩摩坊津で来日に成功した
同年12月26日に太宰府を訪れこの戒壇院の地で初の授戒を行った
開山は鑑真であり、戒壇院は現在も奈良時代以来同じ場所にあるとされている



山門東門土塀(歴史的風致形成建造物)



歴史的風致形成建造物とは
歴史的風致を形成し、その維持向上のために保全すべき建造物として、市町村長が指定している






本堂(福岡県指定文化財)



西海道唯一の戒壇として興隆を続けるも、中世に至って衰退を重ねた
現在の本堂は延宝8年(1680年)、藩主黒田光之の命により豪商、天王寺の了夢再建のもの





額には「西戒壇」



額には「戒壇院」



鑑真は754年、東大寺に戒壇を築き、同年4月に聖武天皇をはじめ430人に授戒を行なった。これが最初の戒壇である
その後、東大寺に戒壇院を建立し、筑紫の大宰府の観世音寺、下野国の薬師寺に戒壇を築いた(天下の三戒壇)



本堂内の戒壇には天竺(インド)、唐(中国)、大和(奈良)三国の土が納められているとされる



本尊:木造盧舎那仏坐像(重要文化財)
脇仏:文殊菩薩、弥勒菩薩(太宰府市指定文化財)



木造盧舎那仏坐像(重要文化財)



供養塔と宝篋印塔



鑑真和上供養塔(右)と変形宝篋印塔(左)



五重塔









撮影 令和5年5月22日
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