今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

菩提山 穴太寺(京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46)

2022年07月31日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月24日

菩提山 穴太寺(あなおうじ)
天台宗の寺院
慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる

仁王門(京都府登録文化財)
3間一戸の八脚門 入母屋造、本瓦葺
17世紀中期頃の建立と思われる



仁王像






金網にレンズを近づけてアップで撮ると障害物の金網が消えた






初めて訪れる寺院で予備知識もない
正面に見えるのが本堂






手水舎



境内は緑に囲まれ爽快な気持ちになっていく



鐘楼(京都府登録文化財)
方一間の四脚 入母屋造に桟瓦葺
宝暦9年(1759年)の建立



多宝塔(京都府指定文化財)
文化元年(1804年)再建
三間の多宝塔で柱は全て円柱



軒は下重に二軒繁垂木、上重に二軒扇垂木として変化を持たせている
周囲の清掃をしている女性に「素晴らしい塔ですね」と声を掛けると
庭園からの風景が人気だと案内された



書院と本堂内の拝観は有料になるがその価値は十分ある



先客がいたので書院内を撮る









欄間の彫刻


















庭園(京都府指定名勝)



肉眼ではこの様には見えないのだがデジカメ効果で額縁の絵のようになる









確かに庭園越しの多宝塔は美しい



多宝塔を借景として取り入れ、これに合わせて築山を設け、石組みを配している



本堂へ続く廊下



<本堂内は撮影禁止>
明治29年(1896年)に本堂の天井裏から発見された「釈迦如来大涅槃像(亀岡市指定文化財・鎌倉時代)」が人気らしい
布団が掛けられており、自分の体の病のある部分と同じ箇所の涅槃像の体の部分を触ると参拝者の病気が良くなると伝わる

本堂(京都府指定文化財)
応仁の乱の戦火によって伽藍が被害を受ける
天正年間(1573年 - 1593年)には、明智光秀の丹波攻めに巻き込まれて焼失した
17世紀中頃に行廣上人が再興
享保13年(1728年)に本堂が焼失するが、享保20年(1735年)に再建



賑やかな本堂は撮っていて楽しい



扁額には寺号の「穴太寺」



奉納額と千社札















穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられている
『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男が、都の仏師に依頼して聖観音像を造り
仏師に褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた
しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった
ところが、後で確認すると仏師は健在で、聖観音像の胸に矢が刺さっていた
改心した男は仏道を信じるようになったという



この聖観音像は昭和43年(1968年)11月に盗難に遭って戻ってはいない



本堂を背に仁王門を見る






再び多宝塔へ



係の女性から四神の彫刻のことを聞いていたので寄ってみた









撮影日 令和4年5月24日

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