訪問日 令和4年5月12日
犬山城(国宝)
別名の「白帝城」
天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城・松本城・彦根城・松江城)
全国唯一の個人所有の城として保存されてきたが、平成16年(2004年)「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたっている
若い女性が所有している国宝の城というのを雑誌か何かで知って訪れたのが最初である
調べてみると6年ぶり4回目の訪問になる
自分の意思で訪れた最初の城ということもあり思いれが深い
犬山駅から木曽川沿いを城を眺めながら徒歩で訪れた時の記憶が今でも鮮明に残っている
最近では緩やかな坂も体重過多と運動不足により辛くなってきている
天文6年(1537年)、織田信長の叔父、織田信康によって築城された
江戸時代に入り、元和3年(1617)尾張徳川家の重臣成瀬正成が拝領
このとき、現在の天守の姿ができたといわれている
以後、成瀬家が幕末まで城主を務めることになる
ここが入場受付になる
国宝犬山城を含むセット券を購入(760円)
犬山城+犬山市文化史料館(城とまちミュージアム+IMASEN 犬山からくりミュージアム)+どんでん館
犬山城+日本庭園有楽苑(国宝茶室如庵)セット券(1,450円)もある
城の外観が記憶していたものと少し違っていた
前回訪れた時に修復中だったことを思い出した
新緑の季節ということもあり樹木の枝葉が多く、城全体を撮れる場所がなかった
城内に入ると狭くて急な階段が待っている
靴袋とカメラで両手が使えずいつも苦労する
鬼瓦
「上段の間」と「武者隠しの間」
最上部の望楼型天守からの眺め
年々高所恐怖症がひどくなっているような気がする
下にある橋を通って道の駅に向かったが、あの高さでも嫌な感じがする
天守の建つ本丸は木曽川に面する標高約85メートルの城山の山頂にある
天守の背後は木曽川まで落ちる断崖
成瀬家初代城主「成瀬正成(犬山藩初代藩主)」~
成瀬家12代城主「成瀬正俊」 周囲のものとは違う写真
写真家 篠山紀信氏が撮影したという
この写真を選んだのが13代城主「成瀬淳子(公益財団法人 犬山城白帝文庫 理事長)」だという
係りの人と話をしながら貴重な時間を過ごすことができた
足を踏み外すことなく下まで降りることができた
今回が最後と思って訪れたのだが次回はあるのだろうか
撮影 令和4年5月12日
犬山城(国宝)
別名の「白帝城」
天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城・松本城・彦根城・松江城)
全国唯一の個人所有の城として保存されてきたが、平成16年(2004年)「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたっている
若い女性が所有している国宝の城というのを雑誌か何かで知って訪れたのが最初である
調べてみると6年ぶり4回目の訪問になる
自分の意思で訪れた最初の城ということもあり思いれが深い
犬山駅から木曽川沿いを城を眺めながら徒歩で訪れた時の記憶が今でも鮮明に残っている
最近では緩やかな坂も体重過多と運動不足により辛くなってきている
天文6年(1537年)、織田信長の叔父、織田信康によって築城された
江戸時代に入り、元和3年(1617)尾張徳川家の重臣成瀬正成が拝領
このとき、現在の天守の姿ができたといわれている
以後、成瀬家が幕末まで城主を務めることになる
ここが入場受付になる
国宝犬山城を含むセット券を購入(760円)
犬山城+犬山市文化史料館(城とまちミュージアム+IMASEN 犬山からくりミュージアム)+どんでん館
犬山城+日本庭園有楽苑(国宝茶室如庵)セット券(1,450円)もある
城の外観が記憶していたものと少し違っていた
前回訪れた時に修復中だったことを思い出した
新緑の季節ということもあり樹木の枝葉が多く、城全体を撮れる場所がなかった
城内に入ると狭くて急な階段が待っている
靴袋とカメラで両手が使えずいつも苦労する
鬼瓦
「上段の間」と「武者隠しの間」
最上部の望楼型天守からの眺め
年々高所恐怖症がひどくなっているような気がする
下にある橋を通って道の駅に向かったが、あの高さでも嫌な感じがする
天守の建つ本丸は木曽川に面する標高約85メートルの城山の山頂にある
天守の背後は木曽川まで落ちる断崖
成瀬家初代城主「成瀬正成(犬山藩初代藩主)」~
成瀬家12代城主「成瀬正俊」 周囲のものとは違う写真
写真家 篠山紀信氏が撮影したという
この写真を選んだのが13代城主「成瀬淳子(公益財団法人 犬山城白帝文庫 理事長)」だという
係りの人と話をしながら貴重な時間を過ごすことができた
足を踏み外すことなく下まで降りることができた
今回が最後と思って訪れたのだが次回はあるのだろうか
撮影 令和4年5月12日
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