訪問日 令和4年5月26日
補陀洛山 長尾寺(ながおじ)
四国八十八カ所第87番札所
天平11年( 739年)に行基菩薩がこの地を訪れ、霊感を得られ柳の木「楊柳」をもって聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、 堂宇を建立して安置したのが始まりとされる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/53/33274c939fbcf7fdf4f2c7c89167b6f0.jpg)
経幢(きょうどう)2基(重要文化財)
元冦の役出征将兵の霊を慰めるために建てられた「経幢」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/43/723c3916a39bfacc3992cfa6c0f7fc35.jpg)
東側のものが弘安9年(1286年)の建立
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/b6/c95f4c3d0f3bdf72de51b0248d5f0ed7.jpg)
西側のものが弘安6年(1283年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d9/64e4be80b8de67791654dd03c72efa40.jpg)
山門
日本三大名門の1つという
寛文10年(1670年)建立とされ、三つ棟木という珍しい工法で知られる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/50/87f9b1fbe3835daa26ce8d5f5c6ad261.jpg)
鐘楼門にもなっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/6d/e430047dc30afa0e464051526d8018be.jpg)
額には山号の「補陀洛山」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/ca/e9a1590a4d5e6cc4269788e82335100a.jpg)
梵鐘
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/39/788454b92bbc1458571da008dd741bac.jpg)
人の姿が刻まれているのはこれまで記憶にない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/eb/732f8df38ca663a7523f2b84d81bd48e.jpg)
門の両側には4mの大草鞋が掛けられている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/dd/cbbb8769a952a579d4e04ea38bf7b7bd.jpg)
仁王像
網目が細かく条件は悪かったが、網にレンズを付け大きく撮って何とかここまでになった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/24/c000ed3669c3050bdf979d2a1e75d0d1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/cd/7e2b81fe540791029c76abba1a207640.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/02/ec7b7d8b786317e88e91a5e149022e75.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/ca/c0d303799a1b8b28384868b1a8d58fd2.jpg)
手水舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/54/f862341674d2822adefc701136f6f9aa.jpg)
薬師堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/a2/abc0d7483f05913f34b14737a8bfd488.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/ac/2d1203e1ccfc7548d8e1ba01c1b1eea2.jpg)
大師堂
空海が渡唐前、入唐求法の成功を祈願し年頭七夜の護摩の秘法を修し、その7日目の夜に護摩符を丘の上より人々に投げ与えたとの伝説がある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/dc/85206bbd29108ccecd95e1a205c81720.jpg)
天長2年(825年)唐より帰朝した空海は大日経を一石に一字写経の万霊供養塔(現存せず)を建立し伽藍を整え真言宗に改宗した
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/5e/6e4ed295ea500608855a2ccc404d69ad.jpg)
大正時代に再建された堂宇
美しい彫刻で飾られている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/47/cd5d860eda2b811cc72f953738b21306.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/86/cb21a5de3d9b3a2120c933bbf5647c26.jpg)
「弘法」の額
堂の回りに十二支の彫刻
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/0d/34a48e42a223dfc6b7fe66b361f2892b.jpg)
本堂
本尊:聖観世音菩薩
平成26年(2014年)5月18日だけ本尊が開帳された
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/a3/69ba204c24015d3dd958f76f31fdbdff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/b8/51eaaa108e30d8333f51f59ccc4d5021.jpg)
唐門の彫刻
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e0/4337da008a22f1b1be6f786cf6fb686c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/ce/0aa804eab096fa7e05d88c3d74e49a28.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/99/7b5316da2b2aa647cbcbe527975e2329.jpg)
額には「聖観世音」
奉納額にはご詠歌の
「あしびきの 山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら 御名をとなえよ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/25/4c7ae29aade00675d639c643028b20a3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/74/4cd439f731a2e5f1eb2499c174851c68.jpg)
護摩堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/b6/7eb8cc1f8aace4efc67ed75b315512fb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/21/205951b2c4d50e57be21340b8aa4ecff.jpg)
静御前剃髪塚
吉野山の山中で、静御前は身の安全を配慮されたため義経と別れるが捕まり、母・磯禅師とともに鎌倉へ送られる
頼朝とその妻・北条政子に命じられて、鶴岡八幡宮の社前で静御前が舞ったときの歌
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
どちらも義経を恋い慕う内容で、頼朝を激怒させたが
政子が「自分も同じ立場ならこうする」と取りなして、命を助けられた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ec/21ff014f05909f85e7a433a21d5abc40.jpg)
静御前は義経の子を宿していて、文治2年(1186年)7月29日に出産した
生まれた子供が女の子なら救うが、男の子なら将来の禍根を残さないために殺す、と告げられていた
生まれてきたのは男の子で、頼朝の家来の手に渡った義経の子は、鎌倉の由比ヶ浜に沈められた
その1カ月半ほど後、静御前は母とともに京へ帰される
頼朝の妻・政子母娘が静御前を憐れみ、たくさんの宝物を持たせたという
その後の静御前がどうなったのか、いつ頃まで生きたのか、記録は何も残っていない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/3b/aaf114f1b7cca28b79b99c0eb39a90b1.jpg)
吉野山で義経と惜別した静 御前(宥心尼)が、母磯禅師(磯禅尼)と共にこの古里に帰って長尾寺で得度し、今は位牌となって祀られている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/e9/bf5c90495a6a47576616b5419119f03c.jpg)
左から、護摩堂・本堂・大師堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/ae/b8278cfd0e760c7419a14eefe47552c2.jpg)
撮影日 令和4年5月26日
補陀洛山 長尾寺(ながおじ)
四国八十八カ所第87番札所
天平11年( 739年)に行基菩薩がこの地を訪れ、霊感を得られ柳の木「楊柳」をもって聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、 堂宇を建立して安置したのが始まりとされる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/53/33274c939fbcf7fdf4f2c7c89167b6f0.jpg)
経幢(きょうどう)2基(重要文化財)
元冦の役出征将兵の霊を慰めるために建てられた「経幢」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/43/723c3916a39bfacc3992cfa6c0f7fc35.jpg)
東側のものが弘安9年(1286年)の建立
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/b6/c95f4c3d0f3bdf72de51b0248d5f0ed7.jpg)
西側のものが弘安6年(1283年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d9/64e4be80b8de67791654dd03c72efa40.jpg)
山門
日本三大名門の1つという
寛文10年(1670年)建立とされ、三つ棟木という珍しい工法で知られる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/50/87f9b1fbe3835daa26ce8d5f5c6ad261.jpg)
鐘楼門にもなっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/6d/e430047dc30afa0e464051526d8018be.jpg)
額には山号の「補陀洛山」
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梵鐘
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/39/788454b92bbc1458571da008dd741bac.jpg)
人の姿が刻まれているのはこれまで記憶にない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/eb/732f8df38ca663a7523f2b84d81bd48e.jpg)
門の両側には4mの大草鞋が掛けられている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/dd/cbbb8769a952a579d4e04ea38bf7b7bd.jpg)
仁王像
網目が細かく条件は悪かったが、網にレンズを付け大きく撮って何とかここまでになった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/24/c000ed3669c3050bdf979d2a1e75d0d1.jpg)
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手水舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/54/f862341674d2822adefc701136f6f9aa.jpg)
薬師堂
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/ac/2d1203e1ccfc7548d8e1ba01c1b1eea2.jpg)
大師堂
空海が渡唐前、入唐求法の成功を祈願し年頭七夜の護摩の秘法を修し、その7日目の夜に護摩符を丘の上より人々に投げ与えたとの伝説がある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/dc/85206bbd29108ccecd95e1a205c81720.jpg)
天長2年(825年)唐より帰朝した空海は大日経を一石に一字写経の万霊供養塔(現存せず)を建立し伽藍を整え真言宗に改宗した
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/5e/6e4ed295ea500608855a2ccc404d69ad.jpg)
大正時代に再建された堂宇
美しい彫刻で飾られている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/47/cd5d860eda2b811cc72f953738b21306.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/86/cb21a5de3d9b3a2120c933bbf5647c26.jpg)
「弘法」の額
堂の回りに十二支の彫刻
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/0d/34a48e42a223dfc6b7fe66b361f2892b.jpg)
本堂
本尊:聖観世音菩薩
平成26年(2014年)5月18日だけ本尊が開帳された
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/a3/69ba204c24015d3dd958f76f31fdbdff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/b8/51eaaa108e30d8333f51f59ccc4d5021.jpg)
唐門の彫刻
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額には「聖観世音」
奉納額にはご詠歌の
「あしびきの 山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら 御名をとなえよ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/25/4c7ae29aade00675d639c643028b20a3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/74/4cd439f731a2e5f1eb2499c174851c68.jpg)
護摩堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/b6/7eb8cc1f8aace4efc67ed75b315512fb.jpg)
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静御前剃髪塚
吉野山の山中で、静御前は身の安全を配慮されたため義経と別れるが捕まり、母・磯禅師とともに鎌倉へ送られる
頼朝とその妻・北条政子に命じられて、鶴岡八幡宮の社前で静御前が舞ったときの歌
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
どちらも義経を恋い慕う内容で、頼朝を激怒させたが
政子が「自分も同じ立場ならこうする」と取りなして、命を助けられた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ec/21ff014f05909f85e7a433a21d5abc40.jpg)
静御前は義経の子を宿していて、文治2年(1186年)7月29日に出産した
生まれた子供が女の子なら救うが、男の子なら将来の禍根を残さないために殺す、と告げられていた
生まれてきたのは男の子で、頼朝の家来の手に渡った義経の子は、鎌倉の由比ヶ浜に沈められた
その1カ月半ほど後、静御前は母とともに京へ帰される
頼朝の妻・政子母娘が静御前を憐れみ、たくさんの宝物を持たせたという
その後の静御前がどうなったのか、いつ頃まで生きたのか、記録は何も残っていない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/3b/aaf114f1b7cca28b79b99c0eb39a90b1.jpg)
吉野山で義経と惜別した静 御前(宥心尼)が、母磯禅師(磯禅尼)と共にこの古里に帰って長尾寺で得度し、今は位牌となって祀られている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/e9/bf5c90495a6a47576616b5419119f03c.jpg)
左から、護摩堂・本堂・大師堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/ae/b8278cfd0e760c7419a14eefe47552c2.jpg)
撮影日 令和4年5月26日
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