今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

乙女の像(青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋)

2024年03月08日 | 名所・旧跡
訪問日 令和5年10月4日

乙女の像<高村光太郎>
20年ほど前に一度訪れたことがある
数年前、福島県二本松市で「智恵子の生家・智恵子記念館」を訪れたことがきっかけとななり、再び訪れようと思った



駐車場から「乙女の像」まで少し歩くことになるが、木道が設置されていてとても歩きやすい



「智恵子の生家・智恵子記念館」は下記で発信済
智恵子の生家・智恵子記念館(福島県二本松市油井字漆原町) - 今、出発の刻(たびだちのとき)

智恵子の生家・智恵子記念館(福島県二本松市油井字漆原町) - 今、出発の刻(たびだちのとき)

訪問日令和元年11月6日走行中「智恵子の生家」の案内板が突然目に入ってきた「高村光太郎」との関係に興味をもっていたので立ち寄ることにした智恵子の生家・智恵子記念館明...

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「智恵子の生家・智恵子記念館」では智恵子本人よりも高村光太郎の方に興味を持った
昨夜、記念館で購入した「智恵子抄」を読み直してみた



光太郎は「智恵子抄」のなかで
「私はこの世で智恵子にめぐりあったため、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の廃頽生活から救い出される事ができた……」
「自分の作ったものを熱愛の眼を以て見てくれる一人の人があるという意識ほど、美術家にとって力になるものはない……
私はそういう人を妻の智恵子に持っていた」と語っている



十和田湖を世に出した功労者3名の顕彰をねらいとした像の制作を高村光太郎に依頼した
光太郎は「自然美には、人工を受け入れるものと受け入れないものの2つがある。現地を見て決めましょう」と十和田湖入りをした
「十和田湖の美しさに深く感動し、湖上を遊覧しているうちにいくつも制作イメージが湧いた」という



乙女の像
「二体の背の線を伸ばした三角形が″無限″を表す」
「彫刻は空間を見る。二体の間にできるスキ間に面白味がある」と、モチーフを語っている



東京のモデルクラブに所属する藤井照子(当時19歳)がモデル
制作中、像の頻は白布で覆われ、だれにも見せることはなかったという



智恵子抄「裸形」
智恵子の裸形を私は恋ふ。
つつましくて満ちてゐて
星宿のやうに森厳で
 -中略-
わたくしの手でもう一度、
あの造形を生むことは
自然の定めた約束であり、
 -中略-
智恵子の裸形をこの世にのこして
わたくしはやがて天然の素中に帰らう。



完成後、「あれは智恵子夫人の顔」といわれるようになった
それを確かめた横山武夫(当時県教委教育次長でのち副知事、歌人)に対し
「智恵子だという人があってもいいし、そうでないという人があってもいい。見る人が決めればいい」と



原型となった小型像は青森県立郷土館に展示されている



昭和13年(1938年)に智恵子と死別
昭和16年(1941年)詩集『智恵子抄』を出版
昭和28年(1953年)10月21日「乙女の像」除幕式
昭和31年(1956年)4月2日 自宅アトリエにて肺結核のために死去(73歳没)
戒名は光珠院殿顕誉智照居士






「乙女の像」が最後の作品となった






撮影 令和5年10月4日

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