今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

壺阪山 南法華寺<壺阪寺>その2(奈良県高市郡高取町壺阪)

2020年11月21日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月22日

壺阪山 南法華寺<通称:壺阪寺>その2

三重塔(重要文化財)
塔の姿は遠くから見えてはいたが、重文に指定されているとは知らなかった



室町時代の明応6年(1497年)再建












礼堂(重要文化財)
本尊を礼拝するために建てられたお堂で、創建当初から、建てられていたと伝わっている
昭和解体修理時に室町時代の「禮堂」の姿が判明し、お堂の大きさ等を室町時代に戻して、建てられている



参拝者入り口はお堂の横にある
「普照堂」と読めるが確かではない



扁額には寺号の「南法華寺」 壺阪寺は通称



「不動明王立像」 鎌倉時代 13世紀






「開山 弁基上人像」 伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれた



「本尊:十一面千手観世音菩薩坐像」



室町時代の樫材の寄せ木造り「眼の佛」として広く信仰を蒐めている



四十の慈手をひろげ、その一手に二十五有界の衆生の苦しみを救うと説く



「執金剛像」 江戸時代 仏教の護法善神
金剛杵は、仏の智恵が煩悩を打破する武器であることを象徴している



「地蔵菩薩」 藤原時代



「弘法大師坐像」






「夫婦観音像(聖観音像)」



「お里・沢市の像 」






人形浄瑠璃『壺坂霊験記』に出てくるお里・沢市夫婦の像



「めがね供養観音」



高さ3mインドで制作され、日本で組み立てられた



「ブッダガヤの仏足石」 ブッダガヤは仏教の聖地



天竺渡来 佛伝図レリーフ「釈迦一代記」
原図は、奈良教育大学教授小川清彦氏
このレリーフは、南インド カルカラにおいて、延べ5万7,000人の石彫師の手によって、インドの石に彫刻され製作されたものである












レリーフのまえで数人のインド人が彫刻を見ながら議論していた(言葉は分からないが)









4~5枚撮ろうという気軽な気持ちでいたが、次第にその魅力に引きずられていた



























ブログには2~3枚投稿しようと思っていたが、つい枚数が増えてしまった(全部掲載)



昭和62年安置 高さ3m 全長50m 重さ300t



「天竺門」



「中興堂」



廃仏毀釈の法難で廃寺になりかけた時に壺阪寺を復興させた「諸大徳」を祀る



「天竺渡来 大観音石像」 全長20m、全重量1200t



インド政府によって提供された古石をインドのシェノイ氏とその一門
さらに延べ7万人のインド人石工の手によって66個のパーツに分けて制作され、日本で組み立てられた



「天竺渡来 大涅槃石像 」 全長8m インドで制作され、日本で組み立てられた



天竺渡来 大石堂



納骨永代供養堂 総重量1,500t



インドのアジャンター石窟寺院をモデルとし、延べ12万人の日本・インドの人々によって彫刻され、日本で組み立てられた



これまで数多くの寺院を回ってきたが、このような彫刻は初めてだ(感動)






壺阪寺には約2時間の滞在、歩き疲れたが異文化に触れた喜びもあった



撮影 訪問日 令和2年9月22日

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