今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

錦江山 無量寺(和歌山県東牟婁郡串本町串本)

2020年11月08日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月18日

錦江山 無量寺
元同僚だが、絵を描く知人(今年度、日展で特選受賞)がいて、その影響もあり美術館などにも足を向けるようになった
この無量寺に「円山応挙」の作品があるということを知り訪れることにした

「山門」
国道から脇道に入る道路が狭く、更に先に行くほど細くなっていく
戻ろうにもバックでは無理で、これほど狭い道を通行したのは初めてだ
奇跡的に駐車場にたどり着いたが、頭はかなり混乱していて、帰りのことばかり考えていた



山門の札には「紀州串本無量寺」



「本堂」
虎関禅師の開山による臨済宗東福寺派の別格寺院
宝永4年(1707年)10月の宝永地震による大津波で全壊・流失した
無量寺の再建の使命を帯びた「愚海和尚」が天明6年(1786)現在の位置に本堂を再建した



愚海和尚は京都の東福寺に留錫中、「円山応挙」と親交があった
「蓋し愚海若かりし頃 芦雪の師 円山応挙と親交あり、或る日 応挙 和尚に向いひて曰へるやう、
師若し他日一寺を建立するあらば、余は必ず寺のために揮毫を惜まざるべし」との約束を交わしていた



無量寺再建成就の際、愚海は本堂の襖絵の依頼のため応挙を訪ねる
応挙は祝いに障壁画12面を描いたが、多忙な上に年齢的なこともあったため
弟子「芦雪」に障壁画を託し、名代として京から南紀に向かわせた



「応挙芦雪館(おうきょろせつかん)」
「日本で一番小さい美術館」には円山応挙、長沢芦雪をはじめ、伊藤若冲、狩野山雪、狩野探幽、白隠らの名品50点余りが展示
応挙・芦雪の襖絵55面は国の重要文化財の指定を受けている
<残念ながら清掃中で入館していない>



「観音堂」



「慈光納骨堂」



「鐘楼」



無事あの狭い壁を通過できるかだけが頭にあり、寺への滞在時間は10分もなかったと思う
地元の人にもっと広い道はないのかと尋ねてもここが一番広いという
意を決して慎重に車を動かし難所を通ったと思ったら前から車が来た



運が悪いときは何かが起こる。狭い道を回りきれずフェンダーミラーを擦ってしまった
ミラーを収納しなければボディを擦る心配もあったので諦めることにした
山門近くの像が当時の心境を表している



撮影 令和2年9月18日

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