今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

塔尾山 椿花院 如意輪寺(奈良県吉野郡吉野町吉野山)

2013年08月03日 | 神社・仏閣
金峯山寺から距離にして2Kmの所に如意輪寺があるが、道路の狭さは既に知っているので駐車場に戻り係員に2車線の道路はないのかと聞くと遠回りになるがあると親切に教えてくれた。
8Km程の距離になったが不安を持って走るよりずっといい。
しかし、最後の最後に如意輪寺駐車場と書かれた案内板の道は通ることができるのかなと思わせる狭さだった。


駐車場からの3分程度歩いた所に門が見えた。



山門
古刹という感じがいい。平衡感覚が狂ったかなと思うほど門が歪んでいる。



如意輪堂(本堂)
先帝後醍醐天皇陵に参拝し、如意輪堂に詣で、各々髪を切って佛前に奉納、過去帳に姓名を書き連ね、楠木正行公は堂の扉に鏃を以って、
 「かえらじと かねておもへば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」
   と辞世の歌を書き残し、その日吉野山を出陣。四条畷へ向かう。




役行者堂



鐘楼
歴史を感じる鐘楼である。



難切不動尊
吉野に登る途中の不動坂に祀られていたが、60年前のこと、ある信者に「如意輪寺に行きたい」というお告げがあり、如意輪寺に祀られた。
不動坂に祀られていたとき、牛車が転落したがその農夫の身代りとなって左手を負傷し、人命を救助したという記録があり、以来交通安全の守護神として霊験あらたかといわれている。
さらに、あらゆる災難を切ってくれるというので「難切り不動尊」とも呼ばれ熱心な信仰を集めている。




日本最大の石の不動尊。


宝物殿・庭園入口 



建物の絵は楠木正行公



桜井の別れ
建武3年(1335)5月21日、楠木正成公、湊川の決戦に向かうにあたり桜井の駅で、長男楠木正行と今生の別れを告げる。
正行は父に従わんと願ったが、正成曰く「後に残り忠孝を励め」と短刀一振りを与えて河内へ帰す。
時に正行11才である。




厨子入木造蔵王権現立像(重要文化財)
鎌倉時代 源慶作(運慶の高弟)
蔵王権現立像は桜の一本造で蔵王権現の木像としては、日本一と称されている。
蔵王権現は元来悪魔降伏の佛で右手右足を上げ天地の悪魔を鎮めんとする形相は、眼光爛々として辺りを圧する感に打たれる。
しかし、その恐ろしい御顔のなかにも自ら漂う慈悲心の現われを見逃す事ができない。
全身には、精巧な切金模様が入り御眼は水晶、後ろに燃える火焔の勢も亦見るべきもので権現の像としは、他に類がない。







木造阿弥陀如来立像









多宝塔
実に美しい塔である。緑に囲まれて塔もさらに存在感を増している。
桜の時期にはきっとすごい風景になっていると思う。







角度を変えて撮ってみた



正行公髷塚
正行公及び143人が出陣に先立ち如意輪堂に奉納した髻は、その後、御陵の 西方の小高き所に埋めて石の五輪塔を建て、霊をまつり、楠塚と唱えた。



後醍醐天皇塔尾陵
この先に何があるのか解らないが、石段を見て気持ちがすっかり萎えた。
石段○○段と書いていると違った決断をしたと思うが、今日はもう疲れた。




撮影 平成25年5月26日

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