静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

  貴方は遺したいか? ≪ 世を去るにあたっての言葉=辞世の句 ≫   vs  辞 世 を 詠 ま な か っ た 小 林 一 茶

2022-03-16 22:10:51 | トーク・ネットTalk Net
 老いも若きも、死に至る原因が何であれ、誰もが己の終わりを目前に感じた時、口にする言葉:それは「どういう死に方をしたいか?」であり、とりもなおさず「どういう生き方をすべきか?」
に跳ね返る。それは「自分は悔いの無い生き方をしてきたか?」の内省・悔悟でもあろう。
 
◆ このような「~すべきか?」の思考は、知的悩みにのめり込む体質を持ち、且つ、悩む時間的&精神的ゆとりを持ち合わせた人の常であり、そのような哲学的思惟とは無縁な生き方を過ごした
 多くの人々は「生き方」「死に方」どちらも気にしないと思われている。 だが、それは現世での出自・富・教養とは無縁であり、殊更構えずとも、生死を考えて言葉に表現する人はいつの世にも居る。
 中農に生まれながらも、不幸な生い立ちで極貧に身を置いた一茶が其の例であり、豪商・豪農の厭世趣味ではない現実に生き、自分の人生に根差す表現者に徹した。芭蕉・蕪村との決定的な違いだ。

▲ ” 老(おひ)が身の 値踏みをさるる 今朝の春 ”   <一茶>  
  江戸俳壇での名声を敢えて捨ててまで信州の郷里に戻り、晩年を過ごす道を選んだ一茶の句は、名声や金銭に拘る俗世に生きる事が若い頃からできない生きざまそのものでもあった。
  此の句は、功なり名を上げた人物が老いては誰からも相手にされず「役立たず」と値踏みされる悲哀を率直に描くもので、江戸の世も現代も同じだ。

◎ 江戸期に発達した俳諧サークルは、平安から鎌倉の世に武家や貴族が独占した短歌、或は連歌巻き取りの狭い世界とは違い、飛躍的な広がりを持った。それは芭蕉にはじまるものと言って
 よかろうが、一茶の生きた19世紀前半<江戸後期>は全国規模に拡大していた。江戸で名を上げれば各藩での集まりを巡り、寄寓しながら何年も旅に明け暮れる生活。これで一茶も過ごした。
 晩婚ながら若い妻を娶り、子供も為しながら、今でいう「吟行」流浪の暮らしは欠かせなかったのだろう。愛媛・伊予藩で晩年の交流を深めたのが栗田樗堂。二人は互いに認め合う友となった。

▲ ” けふ有りて 命うれしと 鳴く蝉ぞ ”    <樗堂>
 一茶は松山に樗堂を尋ね、二年に及ぶ楽しい時を過ごしたが、訃報を知ったのは郷里に戻ってからだった。此の句は樗堂が意識した絶筆とはいえないが、老境を突く名句である。
 では一茶が似たような句を時期は問わずとも残しているかというと、記録に無い。苦労人ならば、さぞかし思う所多く何某か表現したい筈では? 
 そう思うが、己自身をも諧謔にまぶし・嗤い飛ばしてきた一茶は真宗門徒らしく『何事も拘らず、あるがままに受け入れて生きよ』を実践し、ことさら辞世句を構えなかった。
   さは、さりながら、次の句はどうだ?

★ ” 花の影 寝まじ 未来が 恐ろしき "    <一茶>
 この句は一茶の亡くなる年に詠まれたものだが【願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ】<西行>と真反対な『死にたくない/死への恐れ』を正面から出している。
 『未来』とは仏教が説く死後の世界=来世であるが、戦乱の世を生きた西行が禅の教え忠実に来世など顧みなかったのに対し、600年後を生きた一茶も本心では現世しか生きていない。
 西方浄土に向かうべく念佛勤行を説く真宗門徒だった筈の一茶。 この矛盾が裸の人間らしい清々しさであり、私は一茶の誠実さ・純粋さを此処にみる。

 さて、私は一茶のように肩の力を抜いて生き、死に臨めるか? 死に至る日までを変わりなく過ごせるか? 『閑人適意の韻事』に耽る日々を送れるか??
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