静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

なぜ「イスラム国」か?    <生きがいは 「イスラム国」ではなく 発展途上国に行って>   池上彰

2014-10-20 19:59:08 | 書評
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO78416030V11C14A0000000/   以下は池上氏の弁;<1970年代、ポル・ポト派は、自国民を大量虐殺しました。その数は100万人とも300万人ともいわれています。あまりの数の多さに、いまでは実数がつかめないのです。 カンボジアの取材で私がお世話になったのは、カンボジア系日本人の男性でした。ポル・ポト派による虐殺から辛うじて逃れた祖父が、日系メディアのプノンペン支局に勤務していたことから、孫の本人は日本に来て、教育を受けることができました。いまでは日本の国籍を取得し、日本とカンボジアの懸け橋になろうとしています>。    <北大生のイスラム国渡航未遂に関し、「国立大学の学生ということは、日本国民の税金で勉強させてもらっているのに、何をしているのか!」というわけです>。・・・・・「生きがいを見いだせないのなら、人々が生きるのに必死なカンボジアに来たらどうだ」とも嘆いていました>。この言葉は日本を含む豊かな先進国の青年全てに突きつけた匕首のようなものである。
   日常での燃焼不足打破の動機/経緯が何であれ、若者が閉塞感や挫折から生きがいを探そうともがく時、何も無銭フーテン旅行や極地冒険だけでなく、JAICA または青年海外協力隊に志願する道があり、今も多くの若者が自分を試して居る。カンボジアでの貢献は其の代表的事例のひとつ。池上氏が引用する男性の怒りと嘆きは、すごくまっとうである。
  
   然し、・・・である。この北大生にしろ、先の元自衛官にせよ、青年海外協力隊のことを全然知らなかった、とは想像しにくい。要は、「困っている人のために自分ができることで役に立とう、そこに自分を活かす生き方が見つかるかもしれない・・」という思考回路をもてなかった、いや、持てない人を多く生み出す教育だったという事実こそが、本当は深刻な問題なのではないか。  
 その貧しい教育で作られる若者は、<人生の意味・生きがい・自分の居場所>を思う時、自分よりも絶望的な環境に居る人々の閉塞感など想像できぬうえ視野にも入らない。狭い身の回りの中で煮詰まってしまい、自分探しの対象にしてはならない最後の一線を超えて「動機無き人殺し」に賭けたのであろう。 
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