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書評056  『 韓国の軍隊 ~徴兵制は社会に何をもたらしているか~ 』 尹 戴 善   中公新書 2004年

2016-04-02 06:54:42 | 書評
 副題でわかるように、本書は単に韓国の徴兵制度の中身を伝えるのが目的ではない。日本の降伏後に発生した米ソによる分断占領、米軍引き揚げ後に生じた「力の真空」を狙われ勃発した朝鮮戦争、こういった1945年以降の不幸な流れから、やむを得ず採用された徴兵制が、韓国社会にどういう影を落としてきたか。 それを著者が専攻した<地方自治行政学>の視点から記述したものである。 尹氏は朝鮮戦争で被災、食う為に職業軍人となりながらも延世大学、江原大学で行政学を修め、九州大学大学院でも博士号を取得した”刻苦勉励の人”である。

冷戦下、対峙する北朝鮮の脅威に対抗するための必要悪として、国力に釣り合わない軍備を維持してきた韓国。それでも徐々に経済成長を続け、少しづつ豊かになった韓国社会だが、半世紀にわたり維持されてきた徴兵制は韓国の中央集権的体質を精神面で支えるものにもなっている、と分析している。特に、第6章「軍事文化の哀しみと日本の選択」は胸に詰まるものがあるので、要旨を紹介したい。 
 尹氏は、長い戦時体制の浸みわたった社会を「徴兵制国家」の「軍事文化」と呼び、板門店はじめ軍事施設を舞台にしたTVや映画の流行が観光地化している現象を<戦後の韓国人が抱える軍事文化の痛み>と表現している。 併せて、そのような軍事文化は中央と地方の従属的関係を制度化し、地方自治を育む余裕を産まないまま中央集権体質が強まり、地方議会選挙は1995年まで待たねばできなかったという事実を指摘。日本と実に50年の差がついたと嘆く。 同時に、そのような中央/地方の関係が残った原因として、北との対峙以外に、次の3つの背景を挙げている。<244頁~>
 (1) 長い儒教文化の伝統である「上意下達」「年長崇拝の従属的人間関係」が暴力と結びついた軍隊社会、そのマッチョィズム。
 (2) 李氏朝鮮王朝以来の権威主義的行政機構の伝統が、日本から解放された後にも色濃く残っている
 (3) 2年の徴兵期間中、除隊者は(ミスでもない限り)全員が「兵長」の階級に昇進し部下を10人支配した経験を持ち、一般社会に復帰。
     その甘美な内務経験が民間人になってもなお忘れられず、厳格な階級社会志向を持続させる。
 尹氏は80~90年代にかけての急速な経済成長の原動力も、此の軍事文化の寄与した面が大きかったのではないか、と言う。

 此の<軍事文化/階級社会>について率直な反省と分析を韓国人のクチから聞くのは驚きであり、尹氏が日本との対比を常に胸に秘めながら、望ましい民主化の絵姿を説く本書は感動的だ。さらに最後の下りでは、日本が同じ東アジアの仲間として或は先達として、『脱亜入欧』ではない<国際化・グローバル化>を歩んで欲しいと訴えている。
  氏の言葉を借りると、日本は≪日本が国際社会に同化される「国際化」と、日本のものを他国に要求する「日本化」のどちらかを反復するパターン≫を繰り返してきた。前者は遣唐使や明治維新にみられる先進文化の吸収であり、後者は日露戦争以降の覇権的国際化である。 ≪前者で国力を蓄えた日本は覇権的姿勢に転じ、アジアに打って出る≫ この悪循環を尹氏は憂うのだ。  ああ、韓国の知識人はこういうふうに戦後の日本を看ているのだ、と私は改めて腑に落ちた。中国人、台湾人も同様の日本近代史観であろう。
  更に言うならば、西洋に後れを取った東洋世界のエースとして近代史に登場した日本が、再び東洋人に敵対することのないよう願う気持ち、それは孫文以来同じだ。 
 此の日本近代史観と隣人の心情を日本の政治家は否定するのだろうか? そう疑われる間は、東アジア、いやアジア全体に日本の居場所は無いのかもしれない。
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