静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

今日のオメザ 2題: ≪ 選択の自由=好み=公平性の喪失 ≫  ≪ 賭博肯定社会の先にあるもの ≫

2016-04-21 03:16:55 | トーク・ネットTalk Net
* 熱血!与良政談 ではフジテレビは公平か=与良正男http://mainichi.jp/articles/20160420/dde/012/070/009000c?fm=mnm
・ 安倍首相がフジテレビを選んで、報道番組ではないバラエティー番組「ワイドナショー」だから良いだろうとの判断で収録していた。 
  若し熊本地震が発生していなかったら、此の17日(日曜)放映される予定だったという。 
・ 与良氏が指摘するのは、北海道と京都の衆議院補欠選挙の最中であるのに出演し放映する神経である。これを「放送の公平性」議論からすれば、公平性を欠くのでは?
  というのだ。
 ⇒ そもそも、政治家は「公人」であり、一つのメディアを選択する自由が「公人」でない人と同じように許されるのか?と言う根本的な疑問がある。
  何故、フジテレビなのか? 云わずと知れた<フジ・産経グループ>であり、此のメディアに繋がる出版会社からどのような人々が、どういう思想傾向の出版物を出しているか、
  少し注意して観れば誰にでもわかることだ。 岩波書店、朝日出版系統から出される書籍等と立場が異なることは、どなたもご存知だろう。

  ここには安倍首相の「選択」(=選別といいなおしてもいい)好みの表明があり、それが政治家の中でも最高地位に在る人間のしてよいことか? という疑問なのだ。 
     そんな人物に「放送の公平性」を論ずる資格が有るのか?  と与良氏は突きつけている。。  さて、貴方は どう思われる?

* 田中優子の江戸から見ると 賭博 http://mainichi.jp/articles/20160420/dde/012/070/013000c?fm=mnm
・ 江戸時代、許可を得た寺社は富くじの収益を修復にあてることができた。これは違法ではなかったが、明治になると違法とされた。
  現在でも富くじは賭博とともに違法である。
・ 賭博が禁じられる理由は江戸時代と現代とで、あまり違いがない。健全な経済活動および勤労への影響、つまり働かないで金銭を得られる
  (ほとんどは、得られるように錯覚する)ことと、副次的犯罪つまり、他の犯罪にエスカレートするからである。
・ では宝くじやパチンコやサッカーくじや競馬競輪競艇はなぜ許されているのか。正当な業務による行為である、と説明される。
  賭け事の心理が理解できない私は、そう説明されてもどこか釈然としない
 <確かに「偶然性」には、今まで知り得なかった世界と出会う面白さがあるが、賭け事では何も変わらない。技能を磨き、力を尽くして収入を得る達成感もない>。
 <世の中全体がギャンブル性を肯定するとき、人は自分自身や社会を変える動機を失い、社会は保守的に停滞するだろう>。

 ⇒ 田中法政大学総長のポイントは、此の最後の指摘にある。「人生には何が起こるかわからない。賭け事のようなもので”それも人生のうちだ”」と言う人が居る。 
そういう<合理化心理>を何となく大衆は受容してきた。 そういう≪ガスぬき≫を何時の世も為政者は利用してきたので、多くの国は何らかの形態で公営賭博を営む。
  この田中氏の生真面目な論と対極に位置するのが、先日紹介した完全民営化推奨論(賭博は犯罪か?:玉木氏)である。・・・そう見えるが、実は、政権による賭博行為の
介入排除・大衆操作利用を排除する点では同軌している。     はて、どう考えれば良いのか????
コメント
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