私の出発点 柴田翔さん『されどわれらが日々--』 戦後青春 http://mainichi.jp/articles/20160425/dde/018/040/002000c?fm=mnm
* 高校生だった私の心の根っこを ここまで揺さぶった小説は無い。 精神を病み、自裁に赴いた高校時代の数人の友を想い受かべるたび、あの時代の10年前、60年安保世代、
自分より10歳以上長寿で、政治/国と自分の人生が直結していた人達にとり、此の小説の出現は、心の傷みに苛なまれ、ヒリヒリする日々の赤い生傷を逆撫でされる想い
だったろう。 空前のベストセラーとなりながら、柴田氏がどうして次の作品で世に何も問わなかったのか? 私は長い間、疑問に思った。
だが、単純な才能枯渇ではないことぐらいは誰にでも判った。インタヴューした鶴谷記者は<作品がロングセラーになったゆえんであると同時に、この作家は一作でもって
大テーマを書き尽くした希有(けう)な例なのかもしれない>と書く。
* 『されどわれらが日々』の最終盤、節子からの長い手紙を読み終えた「私」は思う。 <私たちの世代は、きっと老いやすい世代なのだ>。
「老いやすい」とは、まだ経済成長の波に乗って堅実に生きられる、との直感が備わっていたからだろう。 自嘲気味に<本作は、「私」の世代のエリート層がたどる道の一つを
照らし出した>と。 此の直感とは「エコノミックアニマル」となり、精神性を放擲した己への悔悟の念だ。
この後ろめたさ・悔悟の念を、どこまで周りの人は持っていただろう? じゃ、自分はどうだ?
* 高校生だった私の心の根っこを ここまで揺さぶった小説は無い。 精神を病み、自裁に赴いた高校時代の数人の友を想い受かべるたび、あの時代の10年前、60年安保世代、
自分より10歳以上長寿で、政治/国と自分の人生が直結していた人達にとり、此の小説の出現は、心の傷みに苛なまれ、ヒリヒリする日々の赤い生傷を逆撫でされる想い
だったろう。 空前のベストセラーとなりながら、柴田氏がどうして次の作品で世に何も問わなかったのか? 私は長い間、疑問に思った。
だが、単純な才能枯渇ではないことぐらいは誰にでも判った。インタヴューした鶴谷記者は<作品がロングセラーになったゆえんであると同時に、この作家は一作でもって
大テーマを書き尽くした希有(けう)な例なのかもしれない>と書く。
* 『されどわれらが日々』の最終盤、節子からの長い手紙を読み終えた「私」は思う。 <私たちの世代は、きっと老いやすい世代なのだ>。
「老いやすい」とは、まだ経済成長の波に乗って堅実に生きられる、との直感が備わっていたからだろう。 自嘲気味に<本作は、「私」の世代のエリート層がたどる道の一つを
照らし出した>と。 此の直感とは「エコノミックアニマル」となり、精神性を放擲した己への悔悟の念だ。
この後ろめたさ・悔悟の念を、どこまで周りの人は持っていただろう? じゃ、自分はどうだ?