静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ されど我らが日々:柴田 翔 ≫  あの先輩たちと 我が青春  そして今 

2016-04-25 21:04:13 | トーク・ネットTalk Net
 私の出発点 柴田翔さん『されどわれらが日々--』 戦後青春 http://mainichi.jp/articles/20160425/dde/018/040/002000c?fm=mnm
* 高校生だった私の心の根っこを ここまで揺さぶった小説は無い。 精神を病み、自裁に赴いた高校時代の数人の友を想い受かべるたび、あの時代の10年前、60年安保世代、
  自分より10歳以上長寿で、政治/国と自分の人生が直結していた人達にとり、此の小説の出現は、心の傷みに苛なまれ、ヒリヒリする日々の赤い生傷を逆撫でされる想い
  だったろう。 空前のベストセラーとなりながら、柴田氏がどうして次の作品で世に何も問わなかったのか?   私は長い間、疑問に思った。 
    だが、単純な才能枯渇ではないことぐらいは誰にでも判った。インタヴューした鶴谷記者は<作品がロングセラーになったゆえんであると同時に、この作家は一作でもって
  大テーマを書き尽くした希有(けう)な例なのかもしれない>と書く。 

* 『されどわれらが日々』の最終盤、節子からの長い手紙を読み終えた「私」は思う。  <私たちの世代は、きっと老いやすい世代なのだ>。
  「老いやすい」とは、まだ経済成長の波に乗って堅実に生きられる、との直感が備わっていたからだろう。  自嘲気味に<本作は、「私」の世代のエリート層がたどる道の一つを
  照らし出した>と。    此の直感とは「エコノミックアニマル」となり、精神性を放擲した己への悔悟の念だ。  
   この後ろめたさ・悔悟の念を、どこまで周りの人は持っていただろう?    じゃ、自分はどうだ? 
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≪ 中国:自動車排ガス規制 ≫ 外資に技術移転させれば好い? 日本は出口戦略有や?   

2016-04-25 13:46:17 | トーク・ネットTalk Net
 * 中国、欧州並みの排ガス規制 汚染物質5割削減 http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM23H4D_T20C16A4FF8000/?n_cid=NMAIL001
・ 17年から「国六」と呼ぶ最新の排ガス規制を始める。メーカー各社には欧州が15年から本格導入した世界で最も厳しい「ユーロ6」に相当する環境基準を課す。
  窒素酸化物(NOx)や粒子状物質(PM)などの汚染物質を現行の「国四」に比べ大幅に減らす。
・ 同省内では米国が導入する「ZEV(無公害車)規制」の研究も始めている。20年前後に自動車メーカーに対して一定量の電気自動車(EV)やプラグインハイブリッド車(PHV)
  の販売を義務付ける制度を取り入れる見通しだ。
中国の自動車業界では「新規制をまともに始めたら、技術力のない中国メーカーの半分は倒産する」(中国汽車工業協会)と警戒感も強い。日米欧の外資大手は先進国市場で使う環境技術を応用できるため、開発費などの負担は中国企業ほど重くないが、中国側が最新技術の現地移転を強く迫る可能性もある。
  ⇒ そう、お馴染みの手法だ。鉄鋼/化学など装置産業でも中国は合弁会社を義務づけ、先進技術の供与を軽免税付与条件に課すやりかたで技術移転を試みてきた。それは装置産業でなくとも、自動車&重家電工業においても同じ。 
 だが、哀しいかな、先進工業国の歩んできた要素技術/開発技術の歴史が殆ど欠けている為、自力で開発力を身に着けるに至らぬまま、目先のニーズに応えるのが精いっぱい。結局、模倣キャッチアップで終わっている。 誰も失礼だから大っぴらに指摘しないが、それが冷酷な現実である。 いや、「小日本」に云われなくても、その情けなさは誰よりも当の中国産業界自身が身に染みている筈だ。
・・・・「改革開放」から30年余り。30年経っても此の実情はほぼ変わらない。その真因分析はどこまで科学的/論理的に為されているのだろう? 仮に正しい分析ができないとすれば、日本なら<非論理性と情緒>が災いするのだが、中国の場合、たぶん<中華民族の自尊心と過去の栄光残像>が原因であろう。 プラス、他国のような国有企業の淘汰・民営化ができないのがアキレス腱で、その恐れは年とともに拡大しているのかもしれない。

 なるほど、自動車の場合、中国は人口の多さから世界最大の規模になった。諸国はその規模の魅力を捨てられないかもしれないが、考えてみると、先進国自身はいまさら人口も経済規模も高度成長せずとも、自国は潰れない。 極端なはなし、中国の排ガス規制がコスト高となり、中国の消費者自身が車を買えなくなれば、市場としての魅力はなくなってゆき、市場も飽和臨界点に達する。   達した頃には先進技術を吸収して欲しい地場メーカーが居なかった、てなことにならねば好いが・・・・。
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