静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

★ 2016.04.30. 日本帝国のアジア侵出 ≪ 相手は 赦しても 忘れない ≫ 赦したことを後悔させるな 

2016-04-30 14:11:13 | トーク・ネットTalk Net
 ★ (記者有論)比の日本人戦犯特赦 歴史忘却の許しではない 小早川遥平 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12335902.html?rm=150
* 島根県安来(やすぎ)市の加納美術館は、地元出身の画家加納莞蕾(かんらい)(1904~77)の洋画を中心に展示している。館内で目を引くのが、油彩画とともに展示された、がり版刷りの英語書簡だ。宛先はフィリピン大統領のエルピディオ・キリノ(在任1948~53)。戦後、日本人のBC級戦犯の釈放を求め、山あいの村から莞蕾が書き送った。
    ← 不明にも私は加納莞蕾の存在も、加納氏がそのような英文の手紙を当時の大統領に送っていたことも全く知らなかった。。。

・ 詳しくは記事をお読み願いたい。 フィリピンは太平洋戦争で日米の戦場となり、約111万人の国民が犠牲になったとされる。1953年に「憎悪の念を受け継がせない」
  と声明を出し、死刑囚を含む100人超のBC級戦犯を特赦したキリノ大統領(特赦当時)も、マニラ市街戦で妻子4人を亡くしていた。
・ フィリピン上院でサンフランシスコ講和条約が批准され、国交が回復するには、特赦から3年を要した。それほどに対日感情は厳しかった。だが、同時に結ばれた賠償協定や、
  68年からの円借款で経済関係が深まる一方、両国で戦争の記憶が共有されてきたとは言い難い。

小早川記者が伝えたい眼目は<両国で戦争の記憶が共有されてきたとは言い難い>だ。 何故なら、講和条約発効後日本政府が取った様々な「逆コース」政策を、被害に遭った
諸国は注意深く観察しており、腹の底から「軍国主義/国家主義」が日本では根絶したと諸国民は信じていないので、【戦争の記憶を共有した】とまで彼等は思えない為だ。 
 その象徴が<靖国への級戦犯合祀>である。 命令を受けて動いた末端のBC級だから特赦したのに、命令を下した側のA級戦犯は護国神社で祭るのか!!
  『恩を仇で返された!』・・・・・これがフィリピン及び、BC級戦犯を日本に送り返した諸国民の偽らない感情だろう。

 この抜きがたい不信感をバネに意図的な国民教育を続ける国は中国/韓国の他には見られない。だが、見られないからといって他の国民は「忘れた」のではない。
赦しはするし、中韓の様に執拗な反日教育もしないが、注意深く日本の動向を視ていることでは中韓と同じだろう。そこを日本国民自身が勘違いしてはならない。   
  とかく中韓を悪者にしたて、他のアジア諸国と際立たせようとする日本政府に付和雷同してはいけない。
コメント
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