狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

角館は静粛に

2012年08月26日 | バイク関係
角館の武家屋敷通りを静かに走りました。実に気持ち良く走れました。
もっとアップの写真とも思いましたが、数少ない読者を減らす可能性があるので辛抱しました。
馬鹿バイクのようにドコドコ音を出して走っては違反です。武家屋敷静粛条例です(小生が作りました)。
散歩中の老人に走行中の私を写してもらいました。武家屋敷が写真にないでしょう。この時季、鬱蒼たる樹木により緑のトンネルになっています。門構えも家も樹木の奥にあるので写真には写りません。

マタギ

2012年08月26日 | 狩猟と銃
マタギを知ったのは何年前であろうか。戸川幸夫の本であった。根子に滞在しマタギの生活を詳細に紹介されていた。
今回の旅ではぜひマタギが見たかった。そして根子も。国道105号をバイクで行くと右に「根子」と標識があった。少々行き過ぎたが、ユーターンして、登った。トンネルは古く小さかった。途中で行き違い用にスペースが設けてあった。
トンネルを出ると根子が見えた(写真)。シャングリラのように夏の光の中で輝いていた。やっと来たのだ。トンネルより下りに入った。戸川のマタギにあった村の中心まで行く。掲示板や床屋も記載されていたが何もなかった。ただ道路は細く複雑に入り組み坂道である。小生の運転技術では転倒の恐れがあるので村の中心に駐車した。小川が流れている、たしか戸川の本にも紹介されていた、あの小川である。その小川を発見でき、充分満足であった。
大館市の方から来ると標識は非常に小さい、見逃さないようにして下さい。

斜陽館

2012年08月26日 | バイク関係
斜陽館、太宰治の生家である。小説「斜陽」を家の名前にしている。この家の概略は皆様承知されているので省略する。
豪壮と言うより威圧的である。
内部の土間には米俵がいくつも積まれ、米食えぬ百姓が働いていた。
そして斜陽館の前には銀行が3軒並んでいた。高利貸をしていた家の前に銀行とは皮肉である。

岩木山

2012年08月26日 | バイク関係
前々より行って見たい所が数か所あった。その一つが岩木山である。美空ひばりの「りんご追分」帰ってこい、など歌謡曲にある岩木山は幾つだろう。この地に住む人たちにとって心の山であろう。
夕暮れの岩木山、朝日に照り輝く岩木山、まさしく「心の山」であった。明日は斜陽館へ行く。

中国の友人たちへ

2012年08月19日 | スピーカーズ・コーナー
領土問題で2国間がギクシャクしている。
日本は古来より中国人を尊敬してきた。それは自らの行動師範に論語などを取り入れてきたからである。
終戦の詔勅さえ春秋左氏伝より影響を受けている。「仁」「義」などの考えは論語より学んできた。
然るに昨今の中国人の言動に「義」も何もない。残念である。
 
 子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼    知者は惑わず、仁者は憂へず、勇者は懼れず

勇者とは上陸を試みる人ではない。偏狭なナショナルリズムと資源によって周辺国に圧力をかける姿は、軍事力を背景とした東洋鬼とダブる。都市の日本商店を襲う姿は「義和団」を思い出させる。義和団も民族の独立を目指した愛国行為と定義すれば、為政者には都合がよろしい。
デモ参加者の諸君、かって席巻した「造反有理」は棚上げですか。雷峰に学んだ人はいませんか。大賽は工場地帯となりましたか。
もう一度、自国の古典を紐解かれたい。秋灯下、共鳴する愛読者は世界中にいますよ。


追記
投稿し、TVを見ると日本人の市議達が上陸したという。
古典の愛読者は少ないが「勇者」はどこにでもいますね。両国の志士(勇者)たちは国民をさんざん扇動して、いかなる結果が望みなのでしょうか。「日本(中国)の領土に上陸して、何が悪い」普通の市民に被害が及ばねばいいのですが・・・心配します。横浜の中国人経営店に暴徒が押し寄せないことを望みます。行列ができ、ラーメンを食べているのが似合っています。
日本にも「打ちこわし」の伝統はありますが、100年以上前の話です。
支那事変勃発時も「腹の立つ事」が次々と発生し、熱狂した国民はマスコミに踊らされ、マスコミは国民の望む記事を書き、愛国行為に走りました。不逞の輩を征伐しました。戦(いくさ)に正義はありませんが、勲章はあります。
中国当局は「仁」を大切にし、覇権(覇権とは周辺諸国が判断するものです)を唱えず、義の政治をされたい。

日本当局は帰ってきた市議らに「拳骨あめ」を食わせてやってください。まさか、尻馬に乗らないでしょうね。