「Jerry's Mash」のアナログ人で悪いか! ~夕刊 ハード・パンチBLUES~

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リレー連載「震災を考える…」(上)「フクシマン土屋」の「イイトコ探訪 福島県!」(第三回) 特別寄稿 〜 「3月11日」という日〜

2019-03-14 12:47:00 | 「フクシマン土屋」の「イイトコ福島県」&more

こんにちは!
「フクシマン土屋」です

今日は3.11について
「フクシマン土屋」が
思うところを少し書きます

3月11日。
2011年3月11日。
東日本大震災が起きた日。

あれから8年もたちました。

いろいろあったし、
今もいろいろある。

過去のことであって、
現在進行中のことであって、
廃炉作業のある福島県では
30~40年先の未来にも続いていること。

そんな出来事です。
長い付き合いになりそうです。

何か思い出すとき、
過去の話をするとき
それは「震災前か、後か」で考える
そんな癖がつきました。

人生において
「時間軸の基準点」
に2011年3月11日があります。

毎年この時期、3月に入ると
ニュースや新聞、
そしていろんなメディアで
「被災地の今」「復興の様子」
などが取り上げられますね。

まるで何か
「大きなイベントの日」
でもあるかのように。

「8年たってもこんな状況です」
「8年たってこんなに復興しました!」
わかりやすいように
対照的なものを紹介するのでしょう。

それもなんだか
「演出じみて」感じられて…

そんなのばかりが
3月11日まで続けられます。

それらを見るのは嫌でした。
「こんな時ばかりしか取り上げない」
ってひがみ根性があったから…

正直、今年もそんな想いで
3月11日をむかえて
朝から気持ちも重かった。
そして天気も風雨でした。

仕事を終え帰る途中、
福島駅前ではキャンドルナイトが催され、
ろうそくの入ったカップに
思い思いのメッセージを書いて
光を灯しているところに行き当たりました。

部屋につきテレビをつければ
「被災地でがんばる人々」
「まだまだ、こんな状況…」
的な内容の番組。

だけどそれらを見ていたら涙が出てね…

「つらい状況に同情した」のもある
「がんばっている姿に感動した」のもある
「やるせない気持ち」もある

そして湧き出してくるのは
「今、自分がこうしていられることへの感謝。」

自分には
「心の内にある言葉にできない
得体のしれない暗い影」
みたいなものが
震災以降ずっとあるな…
ってことは認識していた。

そのようなものは多かれ少なかれ
福島に限らず、被災地に限らず、
多くの人々が持っているんじゃないかな。

それを表現できる人、する人。
できない人、しない人。
そのうえで本当に様々だけれど、
「みんな必死に生きている」
んだなと感じました。

そして今、こうして生活していられるのは
それら全ての人々のお陰なんだと。

3月11日は多くの人にとって
「弔いの日」であったり、
「つらい思い出」の日です。

でも知ってください!
「いろんな課題がある」ことを。
「色々なチャレンジをしている」ことを。
そして
「それらに向き合っている人たちがいる」
ことを。

多少演出が入っても、
とにかく「被災地の現状」を知ってほしい!
感じてほしい!

この時期だけの特番や特集も
現実を知ってもらうには必要で、
制作して発信してくれるだけでも
「本当にありがたいことなんだ」
と考えを改めました。


自分もまだまだ知らないことばかり。
これからの旅でその辺も意識しつつ
「福島」を紹介していければ…

そんなことを考えた
今年の3月11日でした。

「イイトコ探訪 福島県!」
を読んでくれてありがとうございます。

恥ずかしながら涙して…
すっきりしました。

企画・編集・校正・加筆リライト「Mash」)

https://1on1.crayonsite.com


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ゲスト・ライター陣紹介
〈フクシマン土屋〉
俺「Mash」とは小学5年生時から!
という長い付き合い。

彼が福島県に移る中3の夏まで
毎日登下校をする仲であった。
ちなみにここ時の彼への餞別には
ビートルズ「ホワイトアルバム」の
「ミュージックテープ(国内盤2本組み)」
(当時はカセットテープも売られていた)
を贈った。

以後、お互いの結婚式に出掛けたり…
と関係を保ち続けながら、
「震災後」頻繁に手紙のやりとりを続け
現在に至る。

俺にとっては数少ない
「友人」と呼べる人物。
である。