神とは一体何だろう?神と聞けばいかがわしく、怪しい存在に聞こえ、多くの人は巻き込まれないように防衛線を張る。これは、マルチ商法などと同じく、お金が絡むからでありましょう。マルチに手を出したら損をする。宗教に入信したらお金を巻き上げられる。それでは、神はどのようにしてお金を巻き上げるのでしょうか?それは、どう考えても無理ですね。
神は与える一方ですから、人間からお金を巻き上げることも出来ないし、どちらかといえば与える方です。神に貴方が出世させて下さいとお願いすると、神は一生懸命努力しますが、結果はあなた次第という事になります。何故なのか?その前に神とは、何なのかを考えなくては理解できないでしょう。人間は、神の一員や神の雫とも言われています。そして大宇宙に対して小宇宙とも呼ばれています。
地球の外には、大宇宙があり、一つの法則で成り立ってる世界があります。そして、その世界は法則通りに運行されているのです。その法則とは、宇宙は規則正しく一定の法則(真理)に従って巡行されており、ある一定の信号によって維持され、向上しています。それをヒンドゥー教の神に置き換え説明して考えますと分かりやすいのですが、最初無の世界から有が発生しました。暗闇の中から一つの光が起こりました、これをブラフマー神、日本では阿弥陀如来のお陰と教えられています。
その光は進化し、大宇宙と言われる計り知れない世界を作りました。それが形成されると、それを維持させなければ後退になりますので、進化させながら維持するエネルギーーが発生しました。その維持を行うのがビシュヌ神の仕事であるのですが、その維持も永遠には続かず、いずれは、破壊されます。その破壊はすべてが終わりでなく、破壊の次には、創造(クリエーション)が始まります。無から有が発生する創造が始まり、また再び、次のサイクルの世界が生まれ、その世界で、同じく進化と向上によって維持される世界が形成されます。
なら、秩序と進化と向上のエネルギーは何かといえば、それが神である宇宙意識なのです。神、即ち宇宙意識なので、人間も宇宙意識というエネルギーによって生かされているという事になります。健康から考えるなら、この大宇宙の法則と共に生活をしなければ弾き飛ばされることになります。人間の肉体ではなく、魂が神の一員であり、その魂は何度も生まれ変わる間に進化と向上を計り、やがては肉体を必要としない魂だけになります。その魂は大宇宙から見れば、一つの塵(チリ)に過ぎないと言われていますが、その塵の一つ一つにも意識はあるのです。
その塵の集合体が神ですから、神の意識に合わせた生活をしなければならないのです。今、地球は、その意識から離れた方向に進んでいます。それは文化と利便性を大義名分に自然を壊し続けているのが原因の一つなのです。それは神が望む方向ではないのですが、悪魔界が牛耳る世界が形成され多くの人は、お金が全てある肉体中心の教えが蔓延り洗脳されています。宗教にお金がかかるも同じで、神の意志ではなく、それを取り巻く人間が神を利用してお金儲けの道具にしているのです。マルチ商法も同じようなもので、大切な友人さえも仲間にし、ネズミのように、楽して儲けようと思う人が増え、宇宙の秩序を壊しているのです。
洗脳された人間は、その時は気が付きません。楽をして魂の進化と向上はあり得ない事を知りません。ただ肉体の快楽を求めている人には気が付きません。神は楽をする者には、神の一員としては、迎え入れないのです。ゆえに楽をして儲けようと思う人は、永遠に六道輪廻の鎖につながれて生きなければなりません。神は超えられないハードルは与えないと言っており、努力をしなければハードルを超すことは出来ないのですが、多くの人は、そのハードルを自分で高くしていきます。
ストレスもそうですが、自分に降りかかってきたストレスを増幅して行きます。ストレスがなければ進化と向上は出来ないのです。無風では物は腐って行くのです。健康もそうですが、ストレスが無くなれば免疫力は低下していくのです。そのストレスが問題なのですが、大きくするのも自分であり、小さくするのも自分なのです。ストレスを大きくしているのは、欲なのです。必要以上の欲なのです。そして名誉や地位に縋りつくことで大きくしているのです。神は、捨てて次の段階に進みなさいと教えているのに、それを無理して離さないのです。自分が、神から来た合図を無視して起こった結果が悪ければ、神に怒りをぶっつけるのです。
今、二人の社畜が一つの空きポストを狙って競争しています。一人は、あらゆる手段を使って手に入れようとしています。まるで馬の鼻先にニンジンなのですが、食べたくて食べたくて仕方ありません。それを手に入れようと相手を蹴落とす算段を考え仕事どころではありません。一人はすべては神に任せ、淡々と与えられた日常を送っています。社畜、社畜と良く聞かれますが、その社畜は誰が作っているのでしょうか?今はニンジンを食べたくて、食べたくて仕方ありませんが、ニンジンを食べることが出来たら、次が欲しくなります。それは永遠に続くのです。
そのシステムは神が造ったのでしょうか?神は神と共に生きている人を可愛がります。今の短い一生の中で負けても、いずれの世界では、その人より上に必ず行けます。無理して手に入れた物はいつまでも手元にはありません。泡銭(あぶくぜに)は泡のように消えていきます。その間、その人は魂の向上ではなく、魂の低下を行ったのです。魂の向上を行うには、魂に栄養を与えなければなりません。その栄養は神が与える試練を大きくしないで、ハードルを超えるだけの知恵です。このハードルを超すための知恵が無欲であったに事に気が付くことが出来るのです。この無欲が神の意識を知るに必要な教材である事に気が付く事になるのです。
神(大宇宙)の意識と共に生き、意識の向上を図りなさいと言っているのです。それが人間に、生まれた唯一の目的であり、人間の終局は宇宙の塵の一つなのです。そして宇宙の秩序と運行と向上を計るのが人間の目的だと言われているのです。そこに、たどり着けば苦労はありません。肉体がないので、享楽も必要ありません。それがムクタ―(羽ばたく)の世界であり、奴隷である六道輪廻の鎖を解放し、自由の身になれる唯一の方法なのです。
人間は肉体を喜ばせるために生まれたのではないのです。そして人間の魂は、宇宙の決められた秩序と進化と向上を図る一員になるための、修行者として修行の場である地球に生まれて来ているのです。それを理解出きず、肉体が全てと思っている人の、病気は治しようがないという事になります。病気は、「自分で創り、自分でしか治すことはできない」と言われる所以なのです。
いずれは、地球は核爆発かウイルスによって破壊されるでしょう。これは宇宙の法則ですから逃れる事は出来ないでしょう。今の地球を長続きさせたいなら、石器時代に戻る以外ないでしょう。世界人口が90億人に達した後、人口は減って行くと言われていますが、今のようなウクライナ戦争が長引けば餓死者が多数出たり、贅沢を追求し続けた結果で温暖化などの影響で、もっと早く減るかも知れませんが、いずれは、この地球は破壊され、宇宙の進化と向上に役立つ人は、もう一つの地球に隕石の中に乗っていく事になるでしょう。この繰り返しですから、選ばれた人の死後の魂は、確証はありませんが、どこかにあるであろう、魂の集合場所に集まるのかも知れません。
まるでSFの世界と思われますが、もし否定するなら、人間は何のために生まれてきたのかを問わなければなりません。幻の夢だけを追いかけるためだけに、満員電車に揺られて上司から怒られ、部下から無能上司とののしられる為に生まれてきたのでしょうか?そして、また子供に同じ道を要求する。何を求めて、今日を生きていくのですか?人の悪口を言う為に生きるのですか?政治が悪い。会社が悪い。世の中が悪い。あいつが悪いから自分は幸になれない。これでは、永遠に解決することは出来ないでしょうね。自分の価値観を変える以外ないのではないでしょうか?
これは、空想の物語で見方によっては脅しに聞こえるかも知れません。死んだ後、何もないかも知れません。なら、老後を心配している人は、自分が心配している老後でなく、孫に囲まれた幸な老後が待っているかも知れません。同じで、死んでみなければわからないのですが、万が一あったら、その時「しまった~」と後悔しない生き方をしたいと思っています。いくら貯金しても、何もない世界なら、生きている時に有効に使わなければ、永遠にストレスを発生させるだけです。残すことを考えなければ、ストレスも減るのではないでしょうか?「子孫に美田残すべからず」です。私は、死後の世界はある方を信じて生きていきます。なければ、無い方が良いのですが?死後がないのなら、葬式もお墓も必要ないでしょうね?