目に見える世界を実像の世界と言い、目に見えない世界を虚像の世界と言う。肉体は目に見え、魂は見えない。どちらが真か?見えない世界に、見える世界は動かされている。肉体は目に見えない魂に動かされている。
肉体が病むと云う事は、魂が病んでいるからであろう。勿論怪我などの外傷はこれに当てはまらないのだが、精神的な病気や臓器の病は過度なストレスから発生すると言う。真に正しいことである。
前回書いたステッキについて補足したい。私達は目に見える物で価値を計ろうとするが、実際は目に見えない物に動かされている事に注目しなければならない。目に見える物は霊障などにおいては効果を発揮するのであるが、魂の成長には余り期待出来ないのである。
すなわち、魂が病んでいるから悪霊に影響を受けたのであり、受けたからその霊障を処理するのが実像の部分である。このステッキを使う最大の目的はあくまでも魂の浄化と成長であるから、目に見えない隠された部分に注目しなければならないのである。
杖の中心部をくりぬき金属のパイプを差込んでいる。これが目に見えない部分で、杖の本髄である。パイプの中には「法」が入っているのである。神社には神社の奥義があり、墨の中に五黄を溶かして書く場合もある。
これは、密教の目的からしてシークレットであり秘密なのである。伝承されたある物を奥深く差し込んで、さらに如意宝珠を満杯になるまで入れ、封じ込めるために蓋がされる。もしこの蓋を取り中の法物を見たなら、そこで修行は終わりとなるので気をつけなければならない。
このように中に埋め込まれた物が本髄であり、それが神のバイブレーションにより外の法物に影響を与え魂に活力を与えるのである。でありますから、最初は4つの法物から始め5つ6つとなるのであるが、通常は6つの段階に進むのは難中の難と云われている。
菩薩行の為に法力が必要なのか?個人のエゴの為かが厳しく採点されるのがこの段階である。普通4~5つの法物が揃えば人を導くことは出来るゆえに、この段階が肉体を持つものの最終段階とも云われている所以でもある。