まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

南武線の風景と『間にある都市』

2011-02-20 22:49:40 | 建築・都市・あれこれ  Essay

今日は横浜の日本郵船歴史博物館「船→建築 ル・コルビジェがめざしたもの」を見てから出勤しました。そのためまずは南武線経由で横浜に向かいました。

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京王線から南武線に向かいます。上のような風景が続きます。

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途中には確か石山修武氏設計の保育園です。しかし、ここで私が伝えたいのはこの保育園ではありません。このあたりの風景を見て感じることです。農地と住宅、それも1戸建てもあれば集合住宅もある、工場もあるというあらゆるものが入り混じった風景。

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こういう風景どう解釈してよいのか迷っている自分に気付きます。これは、郊外居住を求める人たちが緩やかな建築規制、都市計画規制のなかで20世紀後半に作り出した典型的な郊外風景でしょう。

こういった風景は古典的な建築家、都市計画家にとっては、あくまで市街化されるまでの過渡的なものとして位置づけられるはずです。私もそういう感覚を持っています。しかし、実際にはあるバランスのもとで、農地と住宅の混在が時間的にも空間的にもある種の安定状態を続けています。そういった中で、ずたずたに切り裂かれた農地に積極的な意味を見出し、都市に必要な環境(そして営み)として保全していこうという考えもあります。

実際この風景の背後を注意深く見ると市街化が進む以前の農業集落の様子が垣間見えます。

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プラットフォームから農家も見えます。また少し歩くと用水のある風景にも出会うことができます。

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ですから、農地を保全しようとする意見も良くわかります。しかし、それはこの風景の固定化につながり、この風景を是とすることにもつながります。

この混在の風景は都市計画の分野で今までどのように扱われてきたのか、私は詳しく知りませんが、あまり積極的な肯定の論調は少ないように思います。以前、第三山の手論なるものが風靡し、確かその中では南武線が新しい山の手線として位置づけられていたような記憶があります。

この地域に対する一定の肯定的評価ですが、マーケット論や社会学的な議論の対象として扱われていたわけで、都市のあり方という点からの議論ではなかったように思います。

ところでこういう風景は日本独特のものかとおもっていたら、かの計画高権、建築不自由の国ドイツにもこのような端布を継ぎ足したような市街地があるときいて驚きました。その典型例が以前コメントしたIBAエムシャーパークが対象としたルール北部地域だということです。都市計画家蓑原敬氏が監訳された『都市田園計画の展望 「間にある都市」の思想』はルール地方に広がる「都市と都市の間を埋めている、都市とは全く別の空間的、社会的特性をもっている田園地域」を「間にある都市」と名づけ、そこの計画理論を構築しようと試みる書です。

著者のトマス・ジーバーツはIBAエムシャーパークに建築家、都市デザインナーとして関わった人物です。彼は、明快な中心と限られた領域(広場と城壁)からなる「ヨーロッパ都市」以外に、車社会の進展と共に郊外に延々と広がった「間にある都市」が存在しているという事実を直視するところから議論を始めます。

ヨーロッパでは70年代にそれまでの機能優先のシステム的思考での市街地作りから、歴史的な中心部を大事にし、歴史文化を人々が確認できる生きられる環境としてのまちをつくろうというところに大きく舵を切ったことは、周知の通りです。しかし、それと共に、計画者の間に「ヨーロッパ都市」の理想型がインプットされ、現実の「間にある都市」を正面から扱う計画理論が成熟してこなかったようです。

この「ヨーロッパ都市」についてはヨーロッパと日本を比較しながら都市を論じたロランバルトの『表象の帝国』を読むとはっきりとしたイメージを得ることができます。ちなみに少々脱線しますが建築家槇文彦氏を中心とするグループ(私もその末席を汚しています)はその「ヨーロッパ都市」とは全く違う空間認識を背景にした都市、全く違うロジックによって成立した都市が東京であることを『見えがくれする都市』に描いています。

さてトマス・ジーバーツはいまや古典となった「ヨーロッパ都市」を「都会性」や「中心性」という概念を一つ一つ検証しながら、それがもはや少数のエリアにしか通用しないものであることを示します。

彼は、新しく「間にある都市」を読み解くことの必要性を訴えます。また実際IBAエムシャーパークで彼は、役割を終え、否定的なメッセージしかもっていなかった地域を芸術文化、または建築の力を使って見事に違う新しい肯定的なメッセージを発信する場所に変えていきました。都市を「環境とその住民との間の相互作用の領域」であり無限の多様性を持ち、常に変化し続けている社会的、文化的な場(ケヴィン・リンチ)」として理解する彼らしい方法です。

このあたりの議論は大変読み応えがあります。また既成概念にとらわれず自由に思考を展開する彼の知性も感じられます。ただ成長のない時代にこの絨毯のように広がった市街地をどうすればよいのか即効性のある手法や目標設定等のノーハウを安直に得ようとする私たちには、このあとの議論は若干もどかしいものでもあります。

しかし、この本は私たちに、都市と都市の間にある現実に率直に向き合うことを教えてくれたこと、その時の基本的な視座を与えてくれたという点で大変貴重なものだと思いました。

ということを考えながら横浜に到着。昼食は横浜国際女子マラソンを見ながらということになりました。時間がなくあせりましたが、ここまできたので、『見えがくれする都市』でもお世話になった大野秀敏さんたちが設計されたNHK横浜も見てきました。

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坂倉準三氏のシルクセンターの前をマラソンランナーが駆け抜けます。

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NHKのアトリウムです。浮かぶホールです。


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