まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

再開発を考える

2008-10-25 01:58:14 | 建築・都市・あれこれ  Essay

高松/鶴岡から再開発を考える

再開発事業はその場所の持っている経済的ポテンシャルと、その場所の実態の差を経済的合理性の軸に沿って再構築するものであるといえます。たとえば、20世紀後半に駅前の法定再開発事業が流行しました。これは、駅前というポテンシャルがあるにもかかわらず、小さな個人事業のお店が並んでいるという現状に対し、その場所の経済的ポテンシャルに「ふさわしく」高度の土地利用を進めるために土地を集約化し、大規模な店舗などのその場所にふさわしい機能を導入するというものです。鶴岡でもその流れの中で駅前が再開発されました。

その場所のポテンシャルが第一義ですからそこに住んでいる人は地区外移転してもしようがないという考えです。もちろん既得権を持つ人はその場所で、ポテンシャルと実態のギャップがうみだす経済的利益を享受することもできます。

その場所にふさわしい高度の土地利用を増進することが公の利益にかなう、すなわち公益的であるという考えがあり、それゆえに国の補助事業として再開発事業は位置づけられています。

私の故郷である四国の高松市丸亀町商店街の再開発は今全国的な脚光を浴びていますが、まさに上記の考えを実践したものです。企画力実行力を備えた地元リーダー、国と密接な関係を構築することのできる優秀なコンサルタントの二人三脚によって再開発事業をみごとに成功させました。高松の中で最も優れた立地の商店街が、そのポテンシャルを十分に活かし、全国ブランド店や、大型書店などを導入して地域の一番街としてのパフォーマンスを達成したわけです。

一方現在の私に縁の深い鶴岡の商店街でも、まちの活性化を目指した取り組みが続けられています。しかし、かかわっている方に聞くと、この地では必ずしも人々が経済合理的な行動選択をしないということです。その場所のポテンシャルを十分に活かした方向にみんなが向かえば、利益が得られることがわかっていても、自分の土地に執着したり、先祖代々の職業にこだわったりしてなかなか共同行動が取られないようです。

ちなみに、先ほど例示した高松市丸亀町商店街は、400年以上続く歴史ある商店街ですが、人はどんどん入れ替わり、またそこに長く店を持つ人も同じ商売をしているわけではないとのことです。まさに、その場所が人や商売のあり方を選択しているわけで、そこにかかわる人が職種や、場所にこだわる鶴岡のようなあり方とは対照的な様相です。

しかし、どちらの考え方が、本当の意味で公の利益にかなっているのか、公益的であるのか今一度考えるべきテーマであるような気がしています。その場所や、自分のこれまでのこと(先祖からの職業云々)にこだわりながらも、公を担うようなあり方がありえないものか、そんなことを考えています。

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


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