まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

創造都市(CREATIVE CITY)01―ニューカッスル・ゲイツヘッド―その1

2009-09-28 11:59:52 | 講義・レクチャー Lecture

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都市再生の世界的な潮流ともなっている「創造都市」の成功例として知られるニューカッスル・ゲイツヘッドを訪れる機会がありました。

 

中心部の荒廃地区を芸術・アートをテーマに活性化したキーサイドQuaysideを中心に、チャップマン先生が案内してくれました。チャップマン先生は50kmほど南にあるティースサイド大学の先生ですがニューカッスルが生まれ育った町です。東北公益文科大学渋川教授とともに列車で到着した私たちを駅まで迎えに来てくださり祝日(8月31日:Bank holiday)にもかかわらず、精力的に案内してくださりました。

 

 

 

 

ニューカッスル・ゲイツヘッドのあるイングランド東北部、タイン川流域は産業革命以来の重工業で栄えた地域です。タイン川をはさんだ北にあるニューカッスル市は商業都市で現在人口が約27万人、南にあるゲイツヘッドは人口約20万人で工業・炭鉱の町といわれてきました。中でもタイン川沿いのキーサイドQuaysideは軍艦の造船を中心に非常に栄えた地域で戦前の日本の軍艦の多くがこのタイン川を中心とした地域で作られていたそうです。しかし産業構造の転換の中でとくに20世紀の後半からは工場の多くがなくなってしまい、失業者の多い、荒廃した地域となっていました。

 

 

 

この地方がイングランドの中でどのような位置づけにあったのかについては小説家プリーストリーの『イングランド紀行』(岩波文庫、2007)を読むのがよいでしょう。1930年代の不況下のイングランドの様子が描かれています。残念ながらチャップマン先生の大学のあるティーズ地方やニューカッスルのあるタイン地方のことはあまり肯定的なトーンで描かれているわけではありません。むしろ産業革命からの繁栄をすでに終え負の遺産に苦しむ衰退を続ける街としての描写が続きます。

 

 

まず「薄汚いコテージの集合、トタンの礼拝堂、ペンキが剥がれ落ちた映画館、臓物が吊るされた肉屋のウインドウが見えてきた。産業都市の中心部に近づきつつある証拠だ」というのがゲイツヘッドの最初の描写です。またニューカッスルでの兵役時代の思い出が語られますが、いきなり「その辺一帯があまりに醜悪だった」こと「その地方が大嫌いになった」ことを思い出します。

 

 

「これほどまでに都市としての尊厳や都市文明の証拠が欠けている町があったなら、その名前と特色を知りたいものだ。みすぼらしい巨大な宿泊所のような街を生み出す文明が真の文明といえるだろうか…中略…かつてゲイツヘッドはすばらしく精密な馬力のある機関車を製造していたが、町づくりをする暇はなかったと見える」。ゲイツヘッドは「労働者の宿舎の町」であり「市民が快適な町づくりをする時間もないままに産業のほうが先に衰退しつつある」町として描かれます。

 

ニューカッスルについては、劇場などもあり「中心部はある種の威厳がある」と書いていますが、今回見学したキーサイドは失業者の群れが見える大変荒廃した地区との印象を記しています。

 

 

余談ですが、プリーストリーは決して冷たく距離を置いてこの地域の人を見ているのではなく、行間からは彼の労働者に対する共感が読み取れます。「この沿岸が煙に黒く汚れ、国民全体の幸福及び彼ら自身の安寧と自尊心のために懸命に働く数万の人々の労働の槌音が響いているとしたら、激しく心をゆさぶられたことだろう…中略…それは過去のことだ…この地方は無関心に打ち捨てられている」「タイン川を燃え上がらせるような炎の心と言葉を持った少年詩人がこんな通りから出てもよいではないか」……。

 

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


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