まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

東大門デザインプラザを通して都市デザインの現在を想う

2024-07-01 18:13:25 | 建築・都市・あれこれ  Essay

동대문디자인플라자를 통해 도시 디자인의 현재를 생각하다

 韓国と日本の都市デザイン専門家の交流会「日韓都市デザイン交流2023」で仁川市や議政府市の都市デザインを見学し、韓国の都市デザイナーや建築家たちと意見交換をしました(6月1日、2日)。最終日(6月3日)はソウルに移動し、みんなでまち歩きを楽しみました。まち歩きのスタートがザハ・ハディッド設計の東大門デザインプラザ(DDP)でした。DDPはデザインやアートをテーマにした、床面積が8万㎡を超える巨大建築です。地下鉄駅、史跡、広場、歩道、歴史公園など多くの機能を複合した都市空間でもあります。ここではDDPを一つの都市デザインという視点でとらえ、私の感じたことを述べます。

 

◆東大門デザインプラザから神宮外苑へ

 敷地は、ソウル市の歴史的地区である東大門地区です。かつては東大門運動場という運動公園でした。野球場、サッカ-スタジアムがあり、多くの人に親しまれる都心の貴重なオ-プンスペ-スです。東京でいえば神宮外苑です。そこにザハ・ハディッドが巨大施設を設計した・・・となると、私の話はどうしても東京オリンピック2020前夜の東京、神宮外苑のことから始まります。神宮外苑は東大門運動場と同様に野球場やラグビ-場からなる、都民に親しまれる公園です。その地に2012年、国際コンペ(設計競技)によりザハ・ハディッドの設計でオリンピックのメイン会場である国立競技場が、建てられることになりました。

 その結果に公然と反対意見を述べたのが建築家槇文彦氏です(私は、修業時代13年間を槇事務所にお世話になりました)。槇氏はザハの案そのものではなく、コンペのプログラム(設計条件)が、既存の風致地区としての都市計画規制を一気に緩和し、巨大構造物の建設を前提としていることを主要な問題としました。多くの日本人建築家から賛同が示されましたが、結果的には別要因(建築工事費の問題)でザハの案は白紙となりました。

 コンペに勝ったにも関わらず、幻の設計者となったザハは日本人建築家に対する感情的で辛辣な批判をした後、急逝しました。後味の悪さとともに2つの残念な思いがあります。

 一つ目は亡きザハの誤解です。槇氏は開発志向のプログラムを前提とすることに異議を唱えましたがザハが言うように外国人を排除しようとしたわけではありません。「新しいプログラムのもとでザハ・ハディドを設計者にするのが良い」と提案しているのです(槇文彦2020、『ア-バニズムのいま』鹿島出版会p171)。

 もう一つ残念なことは、プログラムを修正したうえでのザハの案を見たかったということです。周辺環境への配慮が埋め込まれたプログラムを前提にした場合、ザハはどのような案を提示したでしょうか。知りたいものです。

 

◆東大門デザインプラザの都市デザイン

 前置きが長くなってしまいました。東大門デザインプラザを見ていきます。

 まずDDPの外観のユニ-クな形状に圧倒されます。全体がアルミパネルに覆われ、あえて例えれば少し扁平の飛行船(ちょっと比喩が古臭いでしょうか)のような曲面体が、くびれと折れ曲がりにより非定型の3つのゾ-ンに分かれているのです。それぞれがデザインラボ、ミュ-ジアムとア-トホ-ルになっています。この曲面体の三分の一程度が歩道レベルより下にあり上部の三分の二程度が地上に顔を出しています(写真-1:北側からの外観)。

 曲面体がくびれ、折れ曲がった部分に、地下2階から地上部分に抜ける階段などの移動空間が仕込まれています。実にダイナミックです。ザハデザインの特徴である曲面はこういう三次元の人の動きを伴う場所で一番生きるように思います(写真-2:地下から地上への階段)。

 

アルミパネルのつくる大きな面に沿って上方に移動し、地上部に出ると、建物の東側の歴史文化公園を望みます。歴史施設との対比も面白く目に映ります(写真-3:隣の歴史文化公園)。

 

 また曲面体は地下空間を覆うように張り出しています。スペ-スフレ-ムで片持ち構造をつくっているとの説明でした。さぞかし迫力のある現場の情景が想像されます。私は以前工事中に訪れましたが、遠くから眺めるしかありませんでした(写真-4:工事中のDDP)。

 アルミの巨大なボリュ-ムに覆われた地下2階の広場には建設中に発掘された遺跡が残され、未来的なザハの造形と面白い対比をなしています。印象に残る場面演出です(写真-5:史跡とDDP)。

 建物の中に入ると、ここにもザハワ-ルドです。デザインラボから案内してもらいましたが、階段という移動動線が、うねる曲面により巧みにデザインされています(写真-6:ユニークな階段)。

 

 

最上部は屋上庭園(写真-7:屋上庭園)です。この庭園も地上までつながった移動スペ-スです。

 

 ミュ-ジアムゾ-ンの上下移動は経験したことのない長いランプ。自然にみんな導かれていきます。不思議な体験です(Fig-8:長いランプ)。

 DDPの全体はデザイナ-の恣意的で自由な造形に見えますが、史跡のある地下広場と周辺街区や歴史公園に連続する地上部のダイナミックに結びつけ、また地下鉄駅と周辺東大門市場などとをうまくつなぐ役割も果たしています。地上部に広がるグロ-バルシティとしてのソウルと、地下にある李氏朝鮮時代の歴史をつないでいるということもできます。現在にも過去にもない未来的な造形で、現在と過去をつないでいるということもできるでしょう。地上部でその曲面に沿って、ユニ-クなパブリックア-トに出会いながら歩くという体験も新鮮です。まさに巧みな都市デザインだと思います。

 東大門地区は、城門の置かれた歴史地区であると同時に、ファッション関係の企業や店が集中するファッションタウンです(写真-9:ファッション店)。

 

 DDPのアルミパネルで覆われた不定形の曲面体という全体の姿や、流れるようなダイナミックな感覚を体験させる内部空間は、東大門地区をデザインの力でさらに発展させていきたいという地区の持つ意志や持つべきイメ-ジを強力に発信し続けています。

 

 グロ-バルな都市間競争の時代にあって、デザインでソウルのアイデンティティを確立するというのは、歴代ソウル市長の都市戦略です。その戦略に沿って、DDPは十分すぎるくらいの役割を果たしでいるのは間違いないと感じました。ザハは、自分のデザインを思う存分展開することによって、期待された役割を果たしたと言えます。都市デザインの力を感じさせる成功例です。

 

◆東大門デザインプラザでもう一つ感じたこと

 都市デザイン的な成功例であることは間違いないと感じたのですが、私個人レベルでは、少しだけしっくりこない感じを持ったことも正直に報告します。それは先ほどのランプの印象に象徴されます。ザハの空間は、ダイナミックで動きがあり楽しく刺激的ですが、私が気になるのは、移動させられているという感覚が生まれてしまうことです。計算されているがゆえに、私個人の行動が、ザハによってうまく誘導されているという印象です。人間は移動の途中にも立ち止まったり、しゃがんだり、場合によっては逆方向に歩き始めたりと、ある意味では勝手な動きをするものです。もちろんこの空間でもできなくはありませんが、ちょっと勝手にはしづらい設定された「流れ」のようなものを感じてしまいます(写真-10:演出された階段)。

 違う見方をすると、この経路で建築家のデザインを体験してほしいという意図があまりにも直接的に感じられるということでしょうか。人間が「流れ」の空間にあっても勝手に自分中心の場をつくったり、よどみをつくってしまうものです。建築家がそれを前向きに受け止めようとしているのであれば、そういうよどみのきっかけとなるような質感の違い、素材感、小さな場所の感覚・・・そういう自由度、ある意味ではゆるさ、があってもよいのではないか、その方が、人がリラックスできる環境ができるような気がします。あえて言えば、人間スケ-ルの建築空間においては、個人の行為のすべてを読み切ることをあきらめるしかないか、という建築家の自信のなさや逡巡が表れてもいいのではないか・・・私は時にして思うのです。

 もう一つ別の視点からの印象を述べます。

 ザハの示した都市デザインは、ソウルの歴史やまちの構造にもしっかり対応しています。しかし、造形自体はソウルでなくても成立するものです。この地の風土的、歴史的なものとのつながりがあればさらに良いのでなないかという思いです。

 

 以上私個人の2つの印象と思いを付記しました。しかし、私の希望にこたえるようなデザインは、ザハのめざすところではありません。ザハのデザインは、それ自体で個性にあふれるもので、その個性ゆえに世界中をくまなく席巻したのだと思います。才気あふれるザハならではの空間が隅々にまで徹底されているのです。その土地固有の事情に拘泥すればザハらしさを失うことでしょう。以前ロ-マの21世紀美術館を見ましたが、あのロ-マ固有の歴史的市街地にあってもザハはザハでした(写真-11:ローマ21世紀美術館)。

 だからザハに私が考える都市デザインを期待してはいけないということになりますが、では私の考える都市デザインとは何か、もう少し具体的に述べてみようと思います。

 

◆私の考える都市デザイン

 私たちを取り囲む都市空間は、建築、道路、橋、公園、川など様々な構築物や自然的要素から成り立っています。都市空間という言葉はフィジカルな実態を指すと考えていいでしょう。そこに私たちが暮らしいます。ひとのいとなみや暮らしの場だと考えると、都市空間というよりは都市環境という言葉が似合います。

 人間にとっての環境という意味では、気候や自然、風土なども都市環境の一部と考えたほうが良いでしょう。

 私たちの都市環境は自然や風土のもとで人々の物的あるいは精神的ないとなみが長い時間をかけて作り上げたものです。そういった都市環境のなかで私たちは育ち、くらし、様々な経験をします。時間とともに、都市環境は、様々な意味や物語に満ち、複雑な文脈をもつ世界となります。その環境とのかかわりの中で、私たちは自分が誰であるのかということを確かめます。「ここはどこ?」という問いは「私は誰?」という問いにほぼ等しいと思います。私たちは、歴史的、文化的、また風土的存在である都市環境との関係の中で生きているのです。

 19世紀半ばに生まれた近代都市計画や20世紀初頭から並走するモダニズム建築や都市思想は、都市環境が歴史的、文化的また風土的存在であるということをひとまず棚上げして、インタ-ナショナルで機能優先の都市空間づくりに励んできました。その結果が均質で味わい深さに欠けるまちを生みました。その反省のもとに、都市空間に再び人間を置き、歴史的文化的また風土的存在としての都市環境を個性的魅力のあるもの、誇りをもって生きるためのよりどころにする活動が20世紀後半からの都市デザインだったというのが私の理解です。

 都市デザインが扱うべき課題や目標、手法は地域、時代によって様々です。しかし、人間を中心に据えるということと、歴史、文化、風土的存在として都市環境をとらえるという態度は根底にあり、変わらないものだと思います。

 ここでDDPに戻ります。先ほどふれたミュージアムゾーンの長いランプは人を移動させるという機能にザハらしい流動的で未来的なデザインを与えたものです。一方、都市空間に常に人を想定し、その人にとっての環境として捉えるのが都市デザインです。ザハの「美しいランプ」には建築家の思いがみちているものの、「自分の居場所」にできるような手がかりがない、つかもうとしても手から滑り落ちてしまうというのが、私の印象です。

 また、都市デザインは、その場所における時間の流れや、文化の繋がり、そして風土が積み重ねてきている文脈を注意深く読み取るところから出発します。そのうえでそっと丁寧に新しいものをつけ加えていくという態度です。もちろん既存の文脈にばかりに目を捕らわれると単なる保守主義になってしまいますが、といって何も知らないかのように振る舞うことは、私の考える都市デザインとは異なるものになります。

 ザハの都市デザインは、きわめて個性的な造形力で解決すべき課題を都市空間の中で見事に解決しているという賛辞が送られるべきものです。同時に、ほんの少しですが、置き去りにしたもの-それは私の考える都市デザインには不可欠な「一人ひとりの人間の存在への思いやりと地域らしさへのこだわり」-があるのではないか、というのが私の個人的な感想となります。

 

◆ソウルの都市デザイン、東京の都市デザイン

 DDPの感想にとどめるつもりでしたが、少しばかり話が拡大してしまいました。もう一つだけ私の印象を述べます。

 DDPのデザインラボを案内してもらったときにヘザウィックというイギリス人建築家の面白い椅子と出会いました。最近までヘザウィックという建築家のことはよく知りませんでしたが、たまたまDDPを訪れる1週間ほど前に、東京の森美術館でヘザウィックの展覧会を見て関心を持ち始めていたので気になりました。ソウルでも展覧会があるらしく、またネットで検索すると新しい開発計画の指名コンペにソウル市からヘザウィックが招待されているとの情報が出ていました。そのことに興味が引かれました。

 東京でグロ-バルな都市デザイン戦略を展開する森ビルでは最新作の麻布台ヒルズに彼を起用しています(写真-12:麻布台ヒルズ)。

 あくまで私の印象ですが、森ビルはこれまでKPF事務所などインターナショナルスタイルのデザインを求めることが多かったように思います。ヘザウィックもグローバルに活躍していますが、その場所や敷地の条件に合わせて固有の解を見つけだしたり、特有の質感や素材感にこだわったりする人のようです。世界中どこでも同じスタイルを主張する(ザハのように)のも一つの個性ですが、場所に合わせて毎回変身してみせる建築家にも惹きつけられます。ヘザウィックの起用は時代の空気を読む森ビルの戦略でしょうが、同じ現象がソウルにも起こっているとしたら、面白い符合だと思いました。

 当たっているかどうかは分かりませんが、グロ-バル戦略に沿った都市デザイン(それも都市デザインの在り方の一つです)の世界においても、場所固有の条件や人間の持つ手触り感覚を生かして発想していくような建築家への期待が大きくなっているのではないでしょうか。

 

◆再び神宮外苑へ

 冒頭に続き、神宮外苑に再び触れてこの小文を終わります。

 神宮外苑では、オリンピック後にも大きな問題が噴出しています。東京オリンピック2020の前に大変厳しかった都市計画規制が緩和されたわけですが、その緩和の恩恵を享受する高度利用再開発案により、既存環境の激変が懸念されています。都市デザインのアウトプットは誰の声に重きを置くかにより、大きく異なってきます。神宮外苑の再開発案では、関係するグロ-バル企業の声が優先されています。一方、永遠の森をつくるために全国から浄財を寄せた、名もない多くの人たちの願いが形になったのが神宮外苑です。もう一度原点に戻り、歴史文化的存在としての神宮外苑に向き合い、絡まった糸を丁寧にほぐし、つむぎなおすことが、都市デザインに求められています。

 神宮外苑の都市デザインを、韓国の都市デザイン専門家の皆さんに大手を振って紹介できる日が来ることを願うばかりです。

This is an essey on Dongdaemun Design Plaza, or DDP, in Seoul I visited last year as a member of NPO Town Desgn Aid. Everybody knows DDP, designed by a renowned architect Zaha Hadid  as a  successful case on urban design. While I also appreciate it, I found myself not fully satisfied  with her way of design. She left behind something indispensable to human oriennted urban design I had been pursueing.  

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design