元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

「何があっても大丈夫!」逆境をバネに(体験談)

2019-09-11 15:48:02 | 日記

小学5年で自宅に引きこもり、自殺を考える日々

父と母が昔から幸福の科学の会員でした。
私も幼い頃に入会していましたが、当時は信じていませんでした。「こうあるべき」という気持ちが自分を縛っている感じがして嫌だったのです。

それでもいい子ぶって育ってきたので、何も文句を言わずにいました。しかし小学5年生の時、転校した先でのいじめもあり、突然何かがプッチンと切れて不登校になりました。

それから3、4年間ずっと自宅に引きこもり、誰もいない夜しか外出しませんでした。

だれがみても「かわいそう」と思うような姿だと思っていたので、人に見られるのが嫌だったのです。太陽も嫌いで、日が出ているときには活動することができませんでした。

毎日「どうやって死のうか」「窓から飛び降りたらどうなるんだろう」「壁に何回手をぶつけたら骨は砕けるんだろう」などとくだらないことばかり考え、リストカットをしたりもしました。


インターナショナルスクールで変われた!

そんな生活が、中学1年生が終わる頃まで続きました。

「このつらい人生がいつまでも続いたら、どうなるんだろう。
勉強もできないし、人とも話せないし、このままいったら、苦痛でしかないんじゃないか」と思いました。

だから自殺も考えていたのですが、「こんな人生嫌だ、やっぱり変わりたい」と思ったのです。でも、どうすれば変われるのかもわからずにいました。

そんな時、母に「沖縄に幸福の科学の会員さんが経営しているインターナショナルスクールがあるから、そこに行ってみる?」と言われたのです。

私は「これしかチャンスはない」と思い、その2週間後には沖縄に旅立ちました。最初は泣きながら毎日両親に電話して「私、こんな状況もう無理」と話していましたが、徐々に変わっていきました。

「自分ってこうやって話せるようになるんだ!」とか「一人でモノが買えた!」とか、一つ一つできるようになることが本当に嬉しかったです。その頃から、両親にも感謝ができるようになりました。


不登校児支援スクール「ネバー・マインド」

その後、家の事情で、また東京に戻りました。

私の変貌ぶりを見て、「あんた、そんなんだったっけ!?」と驚く周りの声に「私変われちゃったんだよね。電車も一人で乗れるよ」と笑って答えていました。

それから、母に幸福の科学の書籍『太陽の法』を薦められ、読み始めました。 初めは少し難しかったのですが、「こういうことか!」と思うところもあり、幸福の科学の支部に足を運んだりもするようになりました。

沖縄に行く前から、幸福の科学の不登校児支援スクール「ネバー・マインド」に所属はしていましたが、「私のことを受け止めきれないだろう。友達にもなってくれないだろう」と思い、行くのを拒んでいました。

しかし、その後偶然が重なり、ネバー・マインドの合宿に参加することになったのです。中学3年生の時でした。

その時、「ふつうの友達と法友(幸福の科学の仲間)はこんなに違うのか!」とびっくりして、そこから「勉強したいな」と強く思うようになりました。

「みんなは、どんなことを思っているんだろう」とか「どういうふうにしてここまで来たんだろう」という事がとても気になり、聞いたり話したりする中で、「悩んでいるのは一人じゃなくてみんな同じだけど、考え方とかが一人ひとり違うんだな」ということもわかり、自然と友達ができるようになりました。


父が植物人間に……

そんな矢先、昨年1月、私の父が突然、扁桃腺が腫れて息ができなくなり、緊急で病院に運ばれました。

針を刺して膿を出そうとしたけれどうまくいかず、ほとんど息が通らなくなっているにも関わらず、1時間も点滴をされてしまいました。

「もう復帰はできない。100%もとには戻らない」と言われ、しばらく立ち直れませんでした。

「どうして最後の夜にそっけなくしてしまったんだろう」と、とても後悔しました。その3、4時間後に父と話せなくなるなんて考えもしませんでした。

また、病院の処置次第では助かったかもしれない、と思うと悔しくて、どうしても憎む心が抜けませんでした。

それでも、担当医の方も一生懸命やってくださっているので、感謝もあります。なかなか整理がつくものではありませんが、「仕方がない。あきらめよう。受け入れる」と思った時から、またすべてが変わり始めました。

父は、最初はICUに2、3ヶ月入り、「いつ死んでもおかしくない」と言われていましたが、もう1年間も生きています。
それ自体が奇跡ですし、「もう自分で呼吸することはできない。全部機械です」と言われましたが、今は自発で全部呼吸しています。

「お父さんはこの地上に使命がある!」と強く思い、回復を心から願っています。


将来は海外で働きたい!

私は、母がずっと英語教室を経営していることもあり、昔から海外の人と交流するのが当たり前の環境で育ちました。
そのため、高校に進学するよりも「海外に行きたい!」と思うようになっていました。

「チケット代だけは稼ぐ!」とアルバイトをしながらお金を貯めていましたが、父のこともあり、しばらく海外に行こうという気持ちからは遠ざかっていました。

でも、すべてを受け入れようと思った時から、「きっと父は、『自分が倒れたとしても、目指す道を歩んで欲しい』と思うだろう」「今ここで夢を諦めてしまったら終わりだ」と思うようになり、アメリカに行くことを決意し、昨年2ヶ月半の間、アメリカでホームステイをしました。

アメリカでは、「本当にあなたはできない」と言われ続け、落ち込むことのほうが多かったのですが、「やっぱりここ(海外)の世界にいたいな」と思いました。

私は今17歳ですが、将来は、海外で働いているイメージしかありません。

人々が幸せで、笑顔で、そして、そうすることで自分も幸せになって、笑顔になれるような仕事をしたいなって思っています。それがなんの仕事か今はわかりませんが、そのイメージを目標に、頑張っていきたいと思っています。

幸福の科学の教えがなければ、今頃ボロボロだった……

私は今が本当に幸せなんです。
生きているだけで幸せってこういうことなのかな、と思います。

すごく大変なことや、嫌なこともありますが、それで自分が成長できて、その分他人のことを理解できたり、他人のことを知れたりするのなら、自分にとっては幸せなことなんだなぁって思います。

やはり、父のことがあったから、「これ(ふつうの生活)が当たり前じゃない」と気づけました。本当に感謝です。

母にも本当に感謝しています。
私のことを理解してくれていて、私の気持ちがおさまるまで全部やらせてくれるんです。いい両親です。

昔はすべてから逃げていましたが、今はもう何があっても「大丈夫、私できる。いくしかない。逃げちゃいけない」と思えます。

私は「主エル・カンターレに愛されている」ということが分かったから、両親の愛も感じられるようになりました。
「主が私を愛するように、お母さんたちは私を愛してくれているんだな」って思えたんです。

だから私もここまで生きてこれたし、今も明るく過ごせるんだと思います。多分この幸福の科学の法(教え)がなければ、今頃私はボロボロです。普通だったら耐えられないのかなって、時々思ったりします。


不登校の時の心境を振り返って

小学5年生の当時を振り返ると、引きこもりになったのは、「自分が愛されている」っていう実感がなかったからだと思います。

日本人は「好き」とか愛情を表現しないので、伝わりにくいですよね。色々と教えられても、「本当に私のこと好きで言っているの?」と思ってしまっていました。

また、私の家族は兄が一人、弟が二人の四人兄弟だったので、兄弟が多い分、一人に回すエネルギーも少なくなってしまうのもあったと思います。

私は弱音も言わずに溜め込んでいくタイプで、いじめられたことも、母親に言いませんでした。
自分の感情を押し殺して、「いいよやるよ」と言ったり、甘えたくても、「いいよ、私じゃなくて、弟たちでしょ。私はひとりでも大丈夫」と言ったり、「つらい?」と聞かれても「全然つらくない」と答えたり。

ずっと、「自分のことを最初にやっちゃいけないって」と思っていたんです。でもそんな風に、全部偽りの自分で生きていったので、積み重ねが爆発した時に不登校になり、すべてが嫌になってしまったんです。

その頃は「自分は嫌われている」と思っていたので、「むしろ嫌われるような存在になってやろう」と思い、友達が来てくれていると聞いても「帰って」と言ったりしていました。

「そういうことをすると○○になるの、わかる?」と言われるのがとても嫌でした。「分かっているからこそ嫌なんでしょ!」っていう時って、誰しもありますよね。

静かにそっと見守り、普通に扱ってくれたりとかするのがすごく嬉しかったです。


「主エル・カンターレを愛している」それだけで幸せ

今では友達に「黙ってると怖い!」とか「ニコニコしていても怖い!」といじられるんです。でも、そんなことを言われるぐらい、自分の心をオープンにできるようになったから、こんなに幸せで楽しいのかな、と思います。

今も、落ち込んだりすることもあります。
「言わなきゃよかった」とか「言われちゃった」とか。

でもその時は泣いて、叫んで、その日だけです。
次の日は「昨日悩んでいた自分はどこにいったんだろう」ってバカバカしくなっちゃうんですよね。

私は、幸福の科学の経典が大好きです。
今は『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』を手帳に書き移しながら学んでいます。そこまで要領がよくないので、興味ある経典を何度も読んで、腑に落としたいと思っています。

伝道活動はまだできていませんが、いつか「なぜあなたは幸せなの?」と言われた瞬間に、「主エル・カンターレを信じているからです」って言える人間になりたいんです。

「主の教えを信じているんです。私は主を愛しています。
主に愛されているのも、すごくわかる気がするんです。
私は主を愛しているのです。それだけです」

そう言って伝道をしたいんです。そんな自分になるには未熟なので、頑張っていこうと思っています。

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